第25話 万能の霊薬


「アレク様、本日分の仕事でございます」

「いつもより多いな」

「これでも随分私の方で減らしました」


 最近、主人が変わられた。

 ジェームズは心のなかでそう呟く。


 以前まではとにかく張り詰めた糸のような、なにか少しでも間違えば全てが崩れ落ちてしまうような、そんな危なっかしさがあった。


 その理由をジェームズは知っている。

 主人の両親と、その妹が事故で亡くなってから、アレクはエルドリッチの領主たらんと、常に気を張り詰めるようになった。


 もともと魔法の才能と、領主としての才覚に恵まれていたため、なんとか今まで上手くやってこれたが、一つボタンの掛け違いが起こればまったく別の結果になっていただろう。


 最悪、エルドリッチ自体が滅んでいたかもしれない。

 もともと、隣国から侵略を受けているエルドリッチは常にそういう剣の刃の上を渡るような状態だった。

 突然の先代夫妻と妹の死、そしてエルドリッチ家の当主という重圧は、当時まだ十代だった主人に重くのしかかった。


 その重圧が主人があそこまで張り詰める原因になっているのは分かっていたが、ただの使用人であるジェームズにはどうしようもなかった。

 ただ、その重圧もあの少女が婚約者になったことで紛れているようだ。


「さて、グレイにはなんの魔法を教えるべきか……ジェームズ、何か案はないか?」


 魔法についてはジェームズよりアレクの方が詳しいということはお互い承知している。


 しかしそれでも主人が質問してくるのは、自分の思考をまとめるためにだということを知っていた。

 ジェームズは主人の求めているであろう答えを返す。


「防御系統の魔法がよろしいのではないでしょうか」

「そうだな、防御系統なら実際に発動しても被害が出る可能性は少ないか……」


 真剣な表情で考え込むアレクの表情が、ジェームズには少し浮ついているように見えた。

 長い付き合いであるジェームズには、アレクの心の中がおおよそどうなっているのかも理解できる。


 そして始めは使い勝手の良い手駒だと考えていた仮初めの婚約者に、今は単なる手駒以上の感情を抱いていることも知っていた。

 できれば、主人にはこのままでいてほしいと、ジェームズはそんなことを考えた。



***



 ある日、エルドリッチに来客がやってきた。

 グレイがそれを知ったのは、いつもの時間になっても部屋にやって来ないアレクを疑問に思い、外に出たからだった。


 リリアナに見てきてもらう、という選択肢もあったが、グレイは散歩も兼ねて自分で行くことにした。


『…………から、そんなものはないと……るだろう』


 アレクの自室に行こうとした時、その道の途中にある部屋の中からアレクの声が聞こえてきた。


 たしか、ここは来客を迎えるための応接室だったはずだ。

 部屋の中からはアレクの他にも声が聞こえてくる。


『………………はずだ! 金は払う』


 こちらは少々苛立っているのか、大声を上げていた。

 四大貴族であるアレクにこんな態度を取れるとは、よほど地位が高い人間なのか、それとも単に恐れ知らずなのか……。


 そんなことを考えていると、話が終わったのか、扉が開かれた。

 中から出てきたのは、でっぷりと太った腹を突き出し、不機嫌そうな顔をぶらさげた、中年の男性だった。


服装や尊大な態度を見るに、恐らくは貴族。

 その中年の男は扉から出てくると、立っているグレイを見て驚いたように目を見開く。


 それは扉から出てきたら目の前に人間がいた、ということに驚いていると言うより……グレイという人物がいたことに驚いているようにグレイには見えた。


 そしてじっと冷静に観察するようにグレイを見つめる。


(なんだろう、私の髪の色が珍しかったのか?)


 グレイの髪の色はめったにいないような色だ。

 瞳もそこらにはいない色だ。


 中年の男はすぐに尊大な態度に戻ると、「ふん」と鼻を鳴らして歩いていった。

 男が去ると、応接室から出てきたアレクにグレイは質問する。


「あれ、どうしたんですか」

「愚か者だ」

「いや、そうじゃなくて」

「いいや、愚か者だ。俺の領地に不老不死の薬があると言って、それをよこせと主張してきた」

「そんなものはあるんですか?」

「よく考えてみろ。そんなものあったとして、エルドリッチがそれを大切に保管する意味があるのか?」

「確かにそうですね」


 誰だって死にたくない。

 不老不死の薬があるなら、真っ先に使われているだろう。それがないということは、そういうことだ。


「どうして不老不死の薬があると思ったんですか?」

「どうやら、エルドリッチに伝わるおとぎ話を鵜呑みにしたようだな」

「おとぎ話?」

「短くまとめると昔のエルドリッチの当主が、妖精から不老不死の薬をもらったというものだ。それを愚かにも本当だと信じた奴は、俺にそれを売れと言ってきた」


 どこにでもそういった伝説を本当だと信じてしまう人間はいるものだ。

 ありもしないおとぎ話を実話だと信じてしまった愚か者、とそういうことらしい。


「一応、おとぎ話のもとになったものは保管されているがな」

「え、あるんですか」


万能の霊薬エリクサーだ。効果は薬の中でも突出しているが、不老不死にはほど遠い」

万能の霊薬エリクサーって、超貴重品じゃないですか。どうやってそんなものを手に入れたんですか?」

「当時の当主が妖精からもらったそうだ。大方、この話に尾ひれがついて広まったのだろう」

「でも、霊薬自体はあったんですね。どうして売らなかったんですか?」

「エルドリッチが代々受け継いできた貴重な霊薬を、どうしてせいぜい十数年しか生きれないあんな小物のために売らなければならない」

「まぁ、そうですね」


 見ただけで不健康と分かるあの男は、すぐに病気になるだろう。

 もうすでに持病を抱えているかもしれない。

 不老不死を求める前に、健康の面で解決することが山積みだ。


 いや、健康になるような食事へと変更できなかったから、不老不死の薬を求めているのかもしれない。


 このときのグレイは、暢気にそう思っていた。


 後からグレイはジェームズに、あの中年の男はダルド・モンフォールという名前で、伯爵家であることを教えてもらった。

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