第26話 エルドリッチの冬
エルドリッチに冬がやってきた。
「グレイ様、起きてください」
ゆさゆさ、とグレイの専属メイドであるリリアナが布団の上からグレイの身体を揺する。
「ん〜……」
しかし布団にくるまったグレイは、そんな形容しがたい不思議な声を発するだけだ。
「早く起きないと布団を剥ぎ取りますよ」
「いやだぁ……」
「なら早く起きてください。もう朝ですよ」
「う〜……」
気の抜けた返事をするグレイに、リリアナはとうとう布団を剥ぎ取ることを決意した。
リリアナは主人とは言え遠慮なく布団を剥ぎ取るタイプだった。
グレイは布団を引っ張って抵抗するが、殆ど寝ている状態のため全く力が入っておらず、
とうとう布団を引き剥がされたグレイは、仕方なくベッドから降りる。
「まだ眠い……」
ほとんど閉じている瞼をこすりながら、グレイはもにょもにょとそう呟いた。
竜の血を引いているからなのか、グレイは基本的に寒さには弱い。
だから冬の間はこうしてリリアナとの間で毎朝戦いが起こっていた。
「温かい紅茶で目を覚ましてください」
リリアナがすかさずグレイへと淹れたての温かい紅茶を差し出し、肩から上着をかける。
「私主人なのに酷い……」
「はいはい」
グレイのへにゃへにゃとした抗議をリリアナは軽く受け流し、手早く朝食の用意を済ませていく。
そして朝食の用意ができるとグレイがもそもそと食べている間に、リリアナはグレイの髪をすく。
「今日の予定は……」
「今日は魔法の練習です」
「うへぇ、魔法の練習か……攻撃魔法も撃てないし退屈なんだよね……」
攻撃系統の魔法は調整が難しい、ということでグレイはアレクから防御用の魔法ばかり教えられていた。
身を守る防御の魔法も大切であることは変わりないのだが……たまには景気よく攻撃的な魔法を撃ちたいものである。
まあ、自分が攻撃系統の魔法を撃てばどんなことが起こるのかは身を持って分かっているし、それで城の施設を破壊しようものなら弁償させられてしまうのでやれないのだが。
その時、すっとグレイが朝食を食べていたテーブルに手が置かれる。
顔を上げるとそこには爽やかな笑顔を浮かべるアレク。
「誰の魔法が退屈だって……?」
「げっ」
まさか今の発言を聞かれていると思わなかったグレイは、気まずそうに視線をそらす。
「……聞き間違いでは?」
「そうか、俺の耳にはしっかりと退屈という言葉が聞こえたんだがな」
形勢が悪いと踏んだグレイは、話をずらすことにした。
「というか、寝起きの乙女の部屋に入ってこないでくださいよ」
「ほう? 先日まではただ平民だったくせに、言うようになったじゃないか。その成長に免じて、今日は防御魔法基礎訓練をプラス百回までにしておいてやる」
「鬼……」
グレイは机に突っ伏した。
それを見て愉快そうに笑うアレクを見て、「やっぱり性格が悪い」とグレイは心のなかで悪態をつくのだった。
グレイが習っている防御の魔法は、グレイが夜に散歩して邪悪な妖精と出会った時に、アレクがその妖精からグレイを守った魔法だ。
防御魔法を発動するときは大抵詠唱する暇はないため、とっさの場面でも詠唱無しで安定して出せるようになることが求められる。
地道な反復練習をして無詠唱で安定して発動できるようにならなければならないのだ。
だからこそグレイはアレクに執拗とも言えるほど防御魔法を練習させられていた。
グレイとしてもこの魔法をしっかりと発動できるようになるか否かで、緊急時の生存率が格段に跳ね上がることは理解している。
そのため文句は言えないものの……それでも、どうしてもただの単調な反復練習では飽きてしまう。
グレイは猛抗議をすることにより、アレクから休日を勝ち取ったのだった。
***
「休日がほしい?」
「はい、そろそろ休む日がほしいです」
グレイが初めてアレクにそういった時、アレクは驚いたような顔になった。
「なるほど……確かに、普通の人間は休息の日も必要か」
もしかして、この人は休日の概念を知らないのだろうか。
いや、恐らく高確率で知らないだろう、とグレイは心のなかで結論付けた。
アレクが執務を休んでいる日を見かけたことがなかったからだ。
「ふむ、良いだろう。今日はしっかりと休め」
よしっ、とグレイは心のなかでガッツポーズをとった。
するとアレクが興味深そうな顔でグレイに質問してきた。
「それで、休日は何をするつもりなんだ?」
「……聞いて何になるんですか?」
「いや、あくまで参考にするだけだ」
本当か……? と訝しげな視線を送りながら、グレイは自分の休日の予定を述べた。
「普通にエルドリッチの街を散歩するつもりですけど……」
「エルドリッチの街を散歩?」
「こちらに来てから、あまり街を見て回る時間もなかったですから」
今まで休日がまともになかった、という皮肉も交えながらグレイはそう言う。
「観光みたいなものか」
当然の如くアレクはその皮肉に気が付いていながら受け流す。
「それなら、護衛がついてた方が良いんじゃないか」
「はい?」
グレイは思わず聞き返した。
「仮にもお前は四大貴族の婚約者だ。お前を狙う奴もいるだろう」
「私が婚約者だなんて、以前のパーティーに出てた人しか覚えていませんよ。それに私なんか狙う奇特な人はいないでしょう」
なにせ、肉付きも良くない痩せぎすの自分なんて、奴隷にしたとしてもいい値段はつかない。
そもそもこの国では奴隷は法で禁じられている。
その上髪の色も瞳の色も気味の悪い色。
こんな女を狙うような人間はいないだろう、とグレイは思っていた。
「……そうか、お前はそう考えているのか」
「え?」
「いいや、何でもない。気にするな」
アレクがなにか呟いたような気がしたが、グレイには聞き取れなかった。
「では、俺がついて行ってやろう」
「嫌です」
グレイは断固として拒否する。
休日に職場の上司と一緒に出かけたい人間がどこにいるだろうか。
それに、前回ので仕事から抜け出す口実にしようとしているだけだと学んだグレイは、今回は騙されないぞ、と息を巻く。
「何が不満なんだ」
「不満しかありません」
「お前がそこまで言うなら止めはしないが……」
(なんだか含みのある言い方だな)
グレイはそう思ったものの、休日までついてこられてはかなわないので、気にしないことにした。
それがどんな結果になるのかを知らずに。
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