第11話 突然の来訪者

 その翌日から、グレイは宣言通りアレクと一緒に食事を摂ることになった。

 たった一週間で叩き込まれたテーブルマナーが完全なわけでもなく……アレクは容赦なくグレイの平民だった頃の癖を叩き直した。


 グレイがエルドリッチに来てよかったと思ったことは、三つほどある。

 まずは超高額なお給料をもらえること。

 そして二つ目は、毎日お風呂に浸かれること。

 最後は美味しい食事が毎日食べられることだ。

 その日暮らしで日々のご飯ですらやっとの思いで食べていたグレイにとって、食事の心配をする必要がなかったというのはかなり大きいことだ。

 金貨が大好物で、お風呂もそこそこ好きで、美味しい食事は当然好きなグレイにとっては、まさに天国といってもいい職場だった。


 だが、最近ではその食事が憂鬱になり始めていた。

 なにせ、食事はテーブルマナーの練習の場なのだ。食事を味わっている余裕などない。

 これなら、パンと豆のスープだけを食べていた平民だった頃とあまり変わらない。

 高額な給金と、温かいお風呂がなければもう里帰りしていたといってもいい。

 そしてしばらくすると、ついにアレクは自分ひとりでは足りないと思ったのか、執事やメイドにグレイを指導するように言いつけた。

 後ろに控えている執事や、専属メイドであるリリアナですらグレイへと指導をした。

 かくして、アレクやリリアナをはじめとした使用人による短期集中講義によって、グレイのテーブルマナーは短期間で劇的な改善を遂げることとなった。

 ひとまずはテーブルマナーだけで見れば他の貴族の令嬢とは忖度ない状態になった、とアレクからお墨付きをもらったときは、リリアナは泣いて喜んでいた。



 それから、グレイがエルドリッチ城に来て、一ヶ月ほどが経ったときのこと。



(なんだか、今日は城の中が騒がしいな)


 いつもと違って、城の中の使用人が全員忙しなく動いていた。

 メイドたちは慌てた様子で洗濯をしたり、城内をくまなく掃除したり、慌てたように廊下を行ったり来たりしている。

 厨房も覗いてみたが、料理人たちも料理をひたすら作っていた。

 まるで、誰かを迎える準備をしているようだ。

 極めつけは、いつもはグレイを教育しようとしてくるアレクが、今日に限っては「今日は休んでいろ」と言ってくる始末だ。


(ま、用事がないならそれはそれで良いことだ)


 まぁ、グレイからすればテーブルマナーの練習や、勉強がないならそれに越したことはない。

 グレイは降って湧いてきた休日を楽しむことにした。

 と、思っていたのだが。


「グレイ・アッシュフォード、いるか」


 ベッドでごろんとしていると、アレクがやってきた。

 アレクがグレイをウィンターハルトでなくアッシュフォードと呼ぶのは、グレイの希望からだった。


「……何をしている、お前は」


 寝転がっているグレイを見ると、目を細めて呆れたような表情になった。


「ここ最近、息をつく暇もなかったのでゆっくりしていました」

「ほう」


 最近ずっと貴族としての礼儀作法を学ばされていた皮肉を混ぜて、グレイはアレクへとそう言った。

 するとアレクは目を細めた。


「そうか、暇をしていたならちょうどよかった」


 アレクの言葉にグレイは心のなかで冷や汗をかいた。


(あ、まず。失敗した)


 これは面倒事がやってくるパターンだ。

 そしてグレイの予想は当たっていた。


「今から客人がこのエルドリッチへとやってくる。それにお前も一緒に出迎えろ、いいな」

「え、どうして私も一緒に出なければならないんですか」

「公にはお前と俺は婚約を結んでいることになっている。お前も一緒に来るのが義務みたいなものだ。それに、暇なんだろう?」

「うっ……」


 自分で言ってしまった手前、言質を取られてもなにも言えなかった。


「安心しろ。お前は基本的に喋らなくていいし、俺の後ろにいるだけでいい。というか何もするな。だが、自己紹介だけは教えたとおりにきちんとやれ、いいな」

「なんだか注文が多いですね……」

「文句を言うな。リリアナ、今すぐに用意しろ」

「かしこまりました」


 アレクはリリアナに言いつけて部屋から出ていく。


「さぁ、グレイ様。お着替えしましょうか」


 リリアナがニコニコ顔でブラシを持ってくる。

 グレイをお世話できるのが嬉しいのだろう。


(これも仕事だ。やるしかないか……)


 グレイは心のなかでため息をついて、リリアナに大人しく髪を梳かれることにした。

 このときのグレイは、四大貴族が出迎える相手など誰なのか考えすらしなかった。




 流石に時間がないということで、化粧などは最低限に抑えられた。

 リリアナは「もっとグレイ様の魅力を引き出したかった……」と嘆いていたが、グレイにとってはあまり化粧をされても落ち着かないので、これでよかった。

 化粧品とは生活に余裕のある人間がするものであり、外に出る機会も、お洒落をするような相手もいなかったグレイにとっては、化粧は縁遠いものだった。


(やけに動きにくい服装だ。これ、走れないんじゃないか……?)


 グレイはごてごてとした自分の服を見下ろす。

 貴族用のスカートが広がった服装は、街の薬屋のときの服装とは程遠い。

 これでは街に買い物に出かけるのだって一苦労だろう。

 靴も履き慣れないヒール。

 多分、一時間も履いてれば靴擦れを起こしそうだった。

 そうこうしている内に、グレイはアレクの元へとやってきた。

 アレクがいたのは城の玄関にあたる部分だった。

 いつもの服よりも少し豪奢で、フォーマルな服装だった。


「来たか」


 アレクはグレイの格好を見ると一言。


「及第点だな」


 と、頷いた。

 それが婚約者に向ける言葉ですかね、と思ったがグレイとアレクはあくまでビジネスの婚約関係。

 アレクから急に褒められても気味が悪いだけなので、まぁいいか、とグレイは思うことにした。


 そんなことを考えていると、城の扉が開いた。

 一人では到底開けそうもない、大きく重厚な扉から入って来たのは……一人の女性だった。

 その女性は凛とした雰囲気の、美しい少女だった。

 夜の闇を閉じ込めたような黒髪。紫水晶の瞳。

 毎日、丁寧に手入れされているのであろう髪には艶があり、天使の輪を形成していた。


(髪がこれだけ手入れされているということは、恐らくは貴族だな)


 瞳と同じ色のドレスを纏っている彼女は、グレイとは違い、幼少期から栄養のある食べ物を食してきたからか、色々と平坦なグレイとは違って豊満な体つきをしていた。

 大人びた雰囲気を纏っているものの、年は恐らくグレイと同じか、一つ二つ上くらいだろう。

 しかし気の強そうな目は、視線を向けるだけで見るものを威圧する重圧を放っている。

 雰囲気もどこか刺々しい。

 美しい薔薇には棘がある。その言葉を体現したような女性だった。


「ようこそ、エリザベート様」

「ごきげんよう、エルドリッチ卿」


 アレクが挨拶すると、エリザベートと呼ばれた女性はアレクへとそう挨拶した。


「その子が、かの魔法卿がやっと認めた婚約者?」


 エリザベートの視線がグレイへと向けられる。

 アレクから肘を小突かれて我に戻ったグレイは、エリザベートへと挨拶をした。


「グレイ・ウィンターハルトと申します」


 教えられた通りにグレイはエリザベートへと挨拶する。

 テーブルマナー以外、まだ社交界に出るには口調も振る舞いまだまだなグレイだが、挨拶だけは先んじてしっかりと叩き込まれていた。

 隣のアレクの反応は悪くない。

 グレイが失敗するとアレクの反応は隣にいれば伝わってくるほど威圧が増すので、それがないということはグレイの挨拶は少なくとも及第点だったのだろう。

 エリザベートはグレイを一目見ると、すっと目を細めた。


「王都で噂になっているよりは美しくはないわね」

(余計なお世話です)


 どうやら自分は王都で噂になっているらしい。

 だが確かに、今まで婚約してすぐに婚約者を追い返し、婚約を破棄してきた魔法卿が、初めて一週間以上も婚約を解消しなかったのだ。

 魔法卿の新たな婚約者はよほどの美人なのか、と考えるもの無理はない。

 これから社交界に行くであろうグレイとしては、そんな自分への期待値が上がりに上がっている場所へ行くのは嫌でしかなかったが。


「魔法卿の婚約者を出したことで、今や、王都ではウィンターハルト家の地位は飛ぶ鳥を落とす勢いで上がっているわよ」


 グレイとしては、半ば拉致されここまで送り込まれたのでウィンターハルト家が持ち上げられていると聞くと、釈然としないものがある。


「立ち話もなんですので、こちらへ」


 アレクはエリザベートへそう言った。

 本来ならもう二言三言世間話をするだろうが、早めに切り上げたのはグレイがボロを出す前に切り上げたかったからだろうか。


「ええ、早く案内してくれる?」


 エリザベートは特に気にした様子もなく、アレクが案内についていった。

 グレイは「もう戻っても構わない」と言われたため、大人しく自室へと戻ることにした。

 好き好んで貴族のやり取りを聞いていたいわけではない。

 それに戻っても構わない、という言葉には「ボロを出す前に戻れ」という意味も込められている、というのはこの数週間の付き合いで分かるようになっていた。


(慣れないことして疲れたし、一旦部屋に戻ったらお風呂に入ろう)


 グレイはそんなことを考えながら部屋へと戻ったのだった。


 ──この後、事件が待ち受けているとは知らずに。

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