第12話 治療

 また城が騒がしくなったのは、その日の夕方のことだった。

 慣れない貴族を演じていたグレイは、その後は完全な休日になった、ということで久々の暇を謳歌していた。

 何をするかと言えば、ひたすらゴロゴロすることである。

 以前まで働き詰めだったグレイにとって何もしなくていいというのはとても貴重なことだった。

 そしてゴロゴロしていると……いつの間にかグレイは眠ってしまっていた。


「ん……」


 うたた寝から目を覚ましたグレイは、あたりを見渡す。


(あれ? リリアナがいない)


 いつもならすぐ近くにリリアナがいるのだが、今日は珍しいことにいなかった。

 夕食の準備に駆り出されているのだろうか。


「雨……」


 窓の外を見れば、雨が降っていた。

 いつもなら夕焼けがきれいな時間帯がだが、今は曇天で真っ暗になっており、どこか不吉だった。


「ありゃ、そのまま寝ちゃったのか……」


 身体が重くて下を見ると、エリザベートと会った時の服装のままだった。

 浴槽に湯が張られる間、少しベッドで寝転がっていようと思っていたのだが、そのまま深い眠りに落ちてしまったらしい。

 高価な服にしわがついてしまったかもしれない。


 それにしても、リリアナはどこに行ったのだろう、とグレイは顔を上げた。

 浴槽の湯はとっくに張れているはずだ。

 リリアナなら、浴槽に湯が張れたら起こしてくれるだろうに、そうではないということはリリアナは長い時間どこかへと行っているということになる。

 グレイはリリアナを探しに行くことにした。


 自分の部屋の扉を開けて廊下へと出る。

 すると遠くの方から叫ぶような声が聞こえてきた。


 嫌な予感がしたグレイは、足を早めてそちらの方向へと向かった。

 廊下を走ると次第に声は大きくなり、怒号が飛び交うような声が聞こえてくる。


 声が聞こえる部屋までやってきた。

 扉は開け放たれており、そのからメイドや執事が飛び出して走っている。

 リリアナもその部屋の中から出てきた。どうやら緊急の手伝いに駆り出されていたようだ。

 グレイはその部屋の中を伺い見た。


「これは……」


 部屋の中には大勢の人間がある人物を取り囲んでいた。

 その人物は……先ほどグレイが会ったエリザベートだった。

 彼女は真っ青な顔になり、うめき声を上げていた。

 右肩は真っ赤に染まっている。恐らくエリザベートの血だ。

 アレクはエリザベートの身体に魔法をかけている。


「何があったんですか!」


 グレイは近くにいるアレクの元へと駆け寄る。


「お前、なにを……いや、良いところに来た!」

「ちょ、これはどういう状況なんですか!」


 アレクはグレイをエリザベートの前へと連れてくる。

 わけもわからないまま引っ張ってこられたグレイは、状況を掴めずアレクへと尋ねる。

 しかし返ってきたのは……予想外の言葉だった。


「彼女を──治療してくれ」

「え?」


 唐突な言葉に、グレイは唖然とした。


「わ、私がですか……?」

「そうだ」

「医者はいないんですか」

「いるにはいるが、今は全員前線に出ていて呼び戻すことが出来ない。だから、どうすればいいか分からないんだ」


 医者はおらず、どう対処すればいいかわからない。

 そこにたまたま通りかかったのがグレイだったというわけだ。


「お前は薬を知識を持っていたな。ということは毒の知識も持っているな」

「それはそうですが……」


 毒もうまく扱えば薬になるものもある。

 逆もまた然りだ。

 そういうわけで、グレイは毒の知識を持っていた。


「彼女は毒矢を肩に受けた」

「なんでそんなことになったんですか」

「彼女の希望で、前線に行っていた。毒矢を受けたのは不慮の事故だ」

「前線にって……それは」


 エリザベートの服装は自分とさほど変わらない。

 ということは、戦場へ走ることも敵わないような服装で赴いたということだ。

 そんなの自殺とほとんど同義だろう。


「毒の知識を持っているのは今、お前しかいない」


 アレクはグレイの肩を掴む。


「グレイ、彼女の毒を解毒してくれ」

「そうは言われましても……」


 毒の知識があると行っても、毒の種類が分からなければ対処のしようがない。

 毒矢を受けたということは、恐らく毒の種類は分かっていないはずだ。

 それにエリザベートの衰弱具合からして、持ってあと数時間だろう。

 そもそも治療したところで命が助かる保障はない。


 加えて、エリザベートは貴族だ。

 助からないものを治療して助からなかった場合、恨まれたり、その責任を負わされればたまったものではない。


「いやです! エリザベート様っ! 私を置いて行かないで……!」


 エリザベートに付き添っていたメイドが、悲痛な叫び声を上げながらその痙攣している身体へと縋る。


「エリザベート様が死ぬくらいなら、私も……!」


 メイドはナイフを取り出して自分の喉元へと突きつける。


「まずい、取り押さえろ!」

「っ離して! 私は、私は……っ!」


 執事やメイドに数人がかりで羽交い締めにされたメイドは、号泣しながら拘束から逃れようとする。

 もしエリザベートが死ねば、あのメイドはその後を追って行くのだろう。


「絶対に彼女を死なせるわけにはいかん。グレイ、すまないが頼む」


 アレクがグレイへと頭を下げた。


「……失敗しても、恨まないでくださいね」


 そしてアレクの説得により、グレイは渋々頷いたのだった。


 まず、グレイはエリザベートの容態を見た。

 さきほどから白目を向いて痙攣している。


(やはり、毒の種類はわからないか……)


 近くで容態を見ればなにか分かるのではないかと思ったが、その思惑は外れた。

 そもそもグレイが持っている毒の知識は専門知識というレベルで持っているのではなく、あくまで素人よりはいくぶんかマシというレベルだ。

 平民であるグレイには本というのは非常に高価であり、薬に関係している本以外を買う余裕はなかったためだ。

 多分、あちらの国でしか取れない毒を使っているのだろう。


(さて、どうするべきか……)


 グレイは顎に手を当てて考える。

 実際のところ、グレイがエリザベートに打てる手というのは凄く少ない。

 すでにある程度の応急処置はなされており、グレイができるのも応急処置レベルだからだ。


(塩を飲ませて毒を排出させるのも、炭を砕いて粉状にして飲ませるのもやっているしな……)


 グレイは床にある塩が入った瓶や、炭をすりつぶして飲ませようとしたあとを見る。

 毒の知識がないとはいいながらも、最低限のことはしていたらしい。


 しかし、これでグレイができることはほとんど消え失せた。

 残る手段は……たった一つだけ。


「アレク様」


 グレイはアレクの方へと顔を向ける。


「申し訳ありませんが、人払いをお願いします」

「な、何をするつもりですか!?」


 グレイの言葉に真っ先に反応したのはエリザベートのメイドだった。


「エリザベート様を救う方法が一つだけあります」

「本当か」

「ですが、誰にも見られたくありません」


 グレイは真っ直ぐアレクの瞳を見つめる。


(頼む、伝わってくれ)


 グレイは必死に意図が伝わるように祈った。

 そして──


「分かった。人払いをしよう」


 アレクはグレイの言葉に頷いて、部屋の中から一人残らず退出させた。


 メイドはグレイから離れることを嫌がったが、一刻を争う事態ということで、力ずくで連れ出されることとなった。

 広い部屋の中で、グレイとエリザベートは二人きりになる。


「さて、一か八か……」


 グレイの取ろうとした手段は、グレイの竜の血を使うことだった。

 しかしグレイは竜の力を周囲には秘密にしている。


 そしてもう一つ、この方法を誰にも見られたくない理由があった。

 医療行為とは言え、この方法は彼女も見られたくないだろう。


 竜の血は、劇薬となる。

 たとえ一匙を口に含んだけでも、人間にとっては毒となるほどだ。


 だが、毒も使いようによっては薬となる。

 竜の血を人間が飲むと、体内の魔力が激しく活性化され、身体の中で暴れまわる。

 そして魔力とは生き物にとっては生命力と等しい。どんな生き物でも魔力が身体の中で巡っており、魔力が尽きればその個体は死に至る。


 逆に言えば、竜の血はうまく扱えば与えた人間の生命力を活性化することができるということだ。

 加えて、竜の血は毒を体内の毒を打ち消す。

 グレイが考えたのは、エリザベートに自分の血を飲ませることだった。


(これだけ衰弱しているなら、血を与えるのは危険だ。もっと、血液よりも薄いものを……)


 グレイはエリザベートの頬に触れる。


 これは、賭けだ。

 エリザベートの生命力を活性化できず、逆に毒となる可能性だってある。

 それに、もしかしたら“これ”は起きたときにエリザベートは怒るかもしれない。

 だが、もうこれしか方法がないのだ。


「許してくださいね……」


 グレイは謝罪しながら、その方法を行ったのだった。

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