第13話 説得

 扉の外で、アレクはグレイが出てくるのを今か今かと待っていた。

 まだ部屋から出て十分ほどしか経っていないが、エリザベートの容態は一刻を争う。

 もしグレイでも治せないなら、そのときは……。

 そう考えていたとき。

 ガチャリ、と部屋の扉が開かれ、グレイが出てきた。


「エリザベート様がお目覚めになられました」

「本当か!?」


 アレクたちは部屋の中に入る。

 するとそこには先程まで毒で痙攣していたエリザベートが、上体を起こして床に座っていた。


「あ、あぁっ……! エリザベート様ぁ……!」


 メイドは号泣しながらエリザベートへ抱きつく。

 エリザベートは事態を飲み込めていないのか、眉を顰めてあたりを見渡した。


「私は……どうしてこんなところに」


 どうやら、エリザベートには毒を受けた時の記憶がないようだった。

 まぁ、無理もない。あれだけ重体で死にかけていたのだ。記憶がなくなるくらいあり得るだろう。


「エリザベート様」


 グレイはエリザベートの前にしゃがみ込むと、質問する。


「意識はどうですか?」

「意識は……ハッキリしているわ」


 エリザベートは「なんでそんなことを聞くんだ?」と言いたげな表情で眉をひそめる。


「では体調はいかがですか。どこか変わった点などはありませんか」


 エリザベートに与えられたのは劇薬だ。

 それにあまり人間に使われた例はない。

 つまり、どんな後遺症があるのかはグレイですら分からないのだ。

 身体に変化はないか尋ねる必要があった。


「ないけど……」


 グレイはホッと安堵の息を吐く。

 どうやら、目立った後遺症などはなさそうだ。

 しかしその時、エリザベートがとんでもないことを言い始めた。


「っそうだ! 今すぐに前線に行かないと……!」

「……は?」


 グレイは思わず声を上げた。

 もしかして、今さっきまで自分がどんな状態だったか覚えていないのだろうか。


「ちょ、ちょっと待ってください。あなたは今……」

「クラリス、準備してちょうだい」


 エリザベートは抱きついているメイドへとそう言って、起き上がろうとした。


「駄目です!」


 それを止めたのはクラリスだった。


「エリザベート様は今、命の危険があったんですよ! それなのにもう一度行こうとするなんて……!!」

「関係ないわ。ここで成果を出さないと私は……」

「何を言われようと、死地に主人を向かせることはできません!! メイドとしてお止めいたします!!」


 クラリスは必死で止めていた。

 その気持も分からなくもない。

 なにせ、つい先ほどまでエリザベートは毒を受けてあの状態だったのだ。主人が大切ならまた同じような目に合わせたくないだろう。


 エリザベートは怒りに顔を歪める。


「私の言うことが聞けないの!」

「お願いします、エリザベート様……!」


 言うことを聞かないクラリスに腹が立ったのか、クラリスは手を振り上げた。


「っ! あんたなんか、今すぐにクビ──」


 パン、と乾いた音が鳴った。

 グレイがエリザベートに平手打ちをした音だった。

 部屋の中が静寂に包まれる。

 アレクや、使用人はその光景を唖然としながら見ていた。


「いい加減にしてください」

「な、え……?」


 エリザベートは打たれた側の頬を手で抑えながら呆然としていた。

 そして、グレイの厳しい目に射すくめられる。

 グレイは、静かに怒っていた。

 自分の命を捨てようとしているエリザベートに。


「せっかく命を助けたところなのに、ドブに捨てないでいただけますか」

「ド、ドブ……」

「そうでしょう。そんな服装で戦場に行くのは自殺行為以外のなにものでもありません。その証拠に、あなたは先ほど死にかけたんですよ」

「死にかけたって……」

「あなたは戦場に赴き、毒を受けて死にかけていたんです。覚えていませんか?」

「そんな、私は怪我をしてただ気絶しただけだと……」


 どうやら、エリザベートは自分が気絶していただけだと思っていたらしい。

 グレイの予想は当たっていたようだ。


(ちょっと生命力を活性化させすぎたかな)


 グレイは反省する。

 生命力を活性化しすぎたせいで元気になりすぎた結果、エリザベートは自分の重傷具合が分かっていない。

 この治療法も考えものだな、とグレイは心のなかで結論付けた。


「……思い出した。私は矢を受けて、その毒で……っ」


 エリザベートは肩を押さえると、その傷みに顔をしかめた。

 どうやら、グレイが言ったことで記憶を思い出したらしい。


「安全のために、今日は安静にしていた方が良いかと」


 幸いにも傷自体は処置されているが、念の為に今日は動かない方が良い。


「でも、戦争を止めて皆を助けることが出来ないと、私は……」

「助ける? メイド一人すら泣かせてるのに?」

「……!」


 エリザベートはハッとしてクラリスを見た。


「あなたの目的はわかりませんが、少しは自分の周りに目を向けた方が良いと思います」

「…………」


 エリザベートは沈黙の後、悔しそうに唇を噛み締めて、


「……そうね、その通りだわ」


 グレイの言葉に頷いた。

 エリザベートは今も泣きついているクラリスの頭を撫でた。

 どうやらエリザベートは正気に戻ったらしい、とグレイは判断した。


「では、私はこれで……」


 用も済んだので、グレイは颯爽とその場を離れることにした。


(これ以上ここにいたら、自分が”どうやって起こされたのか”を思い出すかも知れないからな……)


 グレイの懸念に応えるかのように、エリザベートが首を傾げた。


「あれ、そう言えば私、どうやって毒を……」


 まずっ、と思ったときにはもう遅かった。

 エリザベートはグレイの顔をじーっと見つめると──ボンッ! と顔が真っ赤になった。


「なっ、うそ……!」

「あー……」


 まるで真っ赤な薔薇のように顔が染まったエリザベートに、グレイは目を泳がせる。


「それでは、用事も済みましたし私はここで失礼しますー……」

「ちょっと待て」


 部屋から出ていこうとすると、アレクに引き止められた。


「お前、彼女に何をした」

「……なんのことですか?」


 グレイは激しく目を泳がせた。

 アレクからはその後、「どうやって解毒したんだ」としつこく聞かれたが、「乙女の秘密です」と煙に巻いてなんとか秘密にしたのだった。


 ……真っ赤な顔でグレイを見つめ続けるエリザベートとは、決して目を合わせないようにしながら。

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