第16話 夜の散歩

「……寝れない」


 そう呟きながらグレイはベッドから起き上がった。

 頭の中に昼間見た、戦場の景色がこびりついているからだ。

 生まれてからずっと王都で暮らしていたグレイにとって、戦場を見るのはこれが初めてだった。


「……ちょっと散歩してこよう」


 寝れないのにベッドに入っていても仕方がないので、グレイはベッドから立ち上がると部屋から出た。

 ケープを羽織ると城の中を、魔石のランプを持って歩いていく。

 廊下は最低限の明かりはあるものの、ほとんどの明かりは落とされて、かなり暗かった。

 グレイの年頃の普通の女の子ならこの暗さが怖いのだろが、あいにくグレイは見たことがないものを信じない主義だ。


 グレイが向かっている先は城の中にある、庭園の奥の林だった。

 つい最近見つけたのだが、月が綺麗に映る泉や虫の音が聞こえてきて雰囲気がいい。

 それにしても、城の中に林まであるとは流石に広すぎやしないだろうか。


 ちょうどよい遠さなので、散歩して戻ってくれば丁度いい感じに眠くなっているだろう。

 庭園を抜けて林の方へと向かうと、次第に虫の音と、光の粒がそこら辺を飛び交い始めた。


 蛍が飛び交う季節ではない。

 この光は精霊や妖精だった。

 光はグレイの側に付き添うように飛び始める。


「一緒に来たいの?」


 グレイが問いかけると、肯定が帰ってきたような気がした。

 次第に庭園を抜けて林と、泉が目の前に現れる。

 今日も綺麗に月が水面に写っていた。

 まるで絵画のような一面にグレイは嘆息する。


「……?」


 だが、そこで違和感に気が付いた。


 いつもは聞こえるはずの虫の声が全く聞こえない。

 それに気がつけばさきほどまでグレイに付き添っていた精霊や妖精たちが消えている。


 怖気が走るほど無音になった周囲。

 グレイは水面の上に何かがいるのを発見した。

 月明かりしかないためはっきりとは見えなかったが、なにか黒い泥のようなものが蠢いていた。


「っ……!」


 ──あれは、いけないものだ。


 グレイは瞬時に察した。

 同時に、母親の忠告を思い出した。


『いい? グレイ。竜の血はいいものもよくないものも寄ってくるの。そして、夜はよくないものが沢山いる時間なの。夜には外に出ては駄目よ』


 夜でも明かりが煌々として、人通りの多い王都で暮らしていたグレイは、幸いにもほとんどその「よくないもの」と遭遇することはなかった。

 だからこそ、その忠告は今まで頭からすっぽ抜けていた。


 あの黒い泥のようなものが、「よくないもの」だ。

 虫たちの鳴き声が聞こえないのも、精霊や妖精たちがいないものあの泥が泉にいるからだろう。


「──」


 ぞぞぞっ、と黒い泥のようなものが水面を素早く走ってくる。

 到底グレイの足では逃げれそうにない。


 竜の力を使うのも間に合わない。

 黒い泥が目の前まで迫ってきた。


「っ!」


 グレイが目を瞑った。

 その時だった。


「まったく、夜に出歩くとは、まだ教育が足りていなかったのか?」

「わっ……」


 誰かに抱き寄せられる感覚と、何かが硬い壁にぶつかったような音が聞こえてきた。

 顔を上げると、自分を抱き寄せたのはアレクなのだと分かった。

 ぶつかるような音がした方向を見ると、そこにはグレイに襲いかかってきていた黒い泥が、透明な壁にぶつかっている状態だった。

 泥の中には光る目が二つ浮かんでおり、泥からは二本の腕のようなものが生えていた。


「これで分かったか? エルドリッチは精霊や妖精が多いが、その分、こういう奴も多い。夜は迂闊に出歩かないようにすることだ」

「はい、身を持って理解しました」

「それならいい」

『フゥウゥゥゥゥッ!!! ガアアッ!!』


 黒い泥は人間のような唸り声を上げながら、透明な壁で自分の邪魔をするアレクを睨みつける。

 そして透明な壁に何度も爪を立てて引っ掻いた。

 その黒い泥を睨みつけながら、アレクは一言発した。


『こいつは俺のものだ。失せろ』


 昼間見たような詠唱のように魔力が乗った言葉。

 それが目の前の黒い泥へと叩きつけられる。


『ギッ!?』


 すると黒い泥は悲鳴を上げ、グレイたちから逃げていった。


「ふん、所詮は威勢だけだったか」


 アレクはその背中を見つめながらため息を発する。

 グレイは黒い泥が逃げていくと、自分を抱きしめているアレクから離れた。


「……ありがとうございました」


 グレイは助けてくれたことのお礼を述べる。


「大したことはしていない」

「さっきのはなんなんですか」

「あれは妖精のたぐいだ。属性的には土か闇だろう」

「あれも妖精なんですか……」


 グレイが今まで見てきたような妖精は、羽の生えている小人のようなものだ。

 あれも妖精なのか……、とグレイは心のなかで呟いた。


「やっつけなくてよかったんですか」

「存在自体は邪悪だが、人間にとって全く利益をもたらさないわけではない。そもそも、妖精や精霊は俺達人間の善悪の基準で測れるようなものでもない」


 グレイの質問にアレクは首を振った。


「そういうものなんですね」

「ああ、それと……」


 アレクはグレイの足元を指さした。


「それの弁償代は、お前の給料から天引きしておくからな」

「……あっ」


 グレイは足元を見て呟く。

 なぜならグレイの足元に転がっていたのは。


 先ほど邪悪な精霊が襲ってきたときに落としてしまった、魔石のランプが壊れた状態で転がっていたからだ。

 ガラスが飛び散っていて、中の魔石も割れてしまっているので修理のしようもない。


 魔石のランプは王都でも各家庭に普及しており、その日暮らしのグレイですら持っていたため、特段高いというわけでもない。

 だがしかし、弁償するとなれば確実に平民の給料が数日分が飛んでいく。


「あ、あのー……」

「だめだ」


 グレイがなにか言う前にアレクはピシャリとそう言った。

 それでもめげずにグレイはアレクへとごますりをする。

 不慣れな笑顔を浮かべながら。


「その、なんとかなりませんかね。不幸な事故だった、とか」

「却下する。勝手に夜に出かけたツケだ」

「で、でも……」

「大した金額でもないから、勉強代だと割り切れ」

「そんな……」


 グレイはがっくりと項垂れる。

 お金が何よりも好きなグレイにとって、給金が減るのは何に変えても嫌だった。

 でも勝手に夜に散歩して魔石のランプを割ったのはグレイなので、強く反論もできない。

 結局、少し高めの勉強代としてグレイは受け入れたのだった。

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