悪いのはだれ?


 のんびりのどかな昼下がり、<アーケヴの狼>たちの詰所にて。


「そ、それはまさかッ」

 卓上を埋めつくさんばかりの瀟洒な紙の山に、恐怖の色を浮かべたサイモンが椅子ごと後ずさる。

「乙女の初々しさとはなやぎを表わした、繊細かつ可憐な香り。イヴェット嬢の手になる逸品か」

 手紙に添えるためだけに、一流の調香師に作らせたというすみれの香にウルリックがうなる。

「盾型に三つ星、黄金の鍵――ということは」

 手紙を飾る空色のリボンと、天鵞絨の小箱にあしらわれた都市の紋章。おそるおそる琥珀の双眸を向けてきたリシャールに、たいそう苦い面持ちでうなずいて、

「ランスのへぼ詩人だ」

 ギルバートのことばに、三人の騎士たちはどっとのしかかるやるせなさに肩を落とす。


 砦の守り姫に宛てて、ランスのベルナールが使者に託して届けさせる手紙を知らぬものはない。法曹家の息子になぞ生まれなければ、詩人として世を渡りたかったと公言する若き市長の実力のほどは、

「昼寝をしていた猫が、もがきながら椅子から転げ落ちた」

「詩を謳いあげるよう依頼を受けたある楽師が、その晩に荷物をまとめて逃げだした」

「楽師どころか、鼠という鼠が一晩でランスから姿を消した」と、じつに禍々しい評判ばかりに彩られている。

「我らが砦では、ダウフト殿が奇禍に遭っておられるが」

 後生ですから受け取ってくださいと、涙ながらに使者が捧げた天鵞絨びろうどの箱。

 あのわたしちょっと用事がと後ずさるダウフトをしっかと捕らえ、いやー許してともがく娘の手にすかさず箱を置くことで、たしかに聖女が手紙を受け取ったと証だてねばならぬ政治的配慮とやらに、琥珀の騎士は目頭を熱くせずにはいられない。

「おまけにどこぞのたわけときたら、泣きじゃくる姫君にそれを読み聞かせるという無体な仕打ちを」

「人聞きの悪いことを言うな」

 市長の手紙を読まずにおいたとあっては、のちのち面倒な事態を招きかねない。そんなわけで、やたらと冗長な文章からギルバートが要点だけを拾い上げて、ダウフトに伝えているというわけだ。

「ロンスヴォーの古戦場さながらの、壊滅的な詩の数々は省いてある」

 そう主張するギルバートを、胡乱げに見やったのはサイモンだ。「夜の静寂しじま、眠れぬままに貴女を想う心は、さながら薔薇と紫水晶からなる暁を待ちこがれる旅人」という市長のことばを、「多忙につき寝不足」とひとくくりにする男の感性にも大いに問題があるのではなかろうか。

「何が悲しくて、他の男が書いた恋文まがいの手紙なんぞ読ま――」

 ぽろりとこぼしたサイモンの口を思いきり塞ぎ、勢い余って椅子ごと後ろに倒したのは<熊>の大きな手だった。これ以上の発言は、堅物とお調子者の友誼に致命的な結果を招きかねないと判断したらしい。

「週に一度が、四日に一度。このまま行けば日に一度になりかねん」

 嫌がらせを通り越してもはや荒行だなと言い切るギルバートに、いやだからそれはおぬしの主観がかなりとリシャールが呟く。

「この書簡をどうしようと考えておるのだ、エクセター」

 非公式とはいえ、いちおう外交書簡であるからにはへたな扱いはできなかろうと問うた髭面の巨漢に、問題はそこだと黒髪の騎士は渋面をつくる。

「ウィリアム殿に頼んで、書庫の奥へひとまとめに保管してもらおうとしたんだが」

 あんまりですエクセター卿、わたしに生命を棄てろとおっしゃるんですかと、泣きながら回廊を駆け去ってゆく学僧をとどめるすべもなかったのだとか。

「施療室はどうだ?」

 魔物もまたいで通ると評判の、長老たちの遊び場に置いておけば近づく者もいなかろうというリシャールの提案は、他のふたりから喝采を浴びかけたのだが、

「ジェフレよ、おぬしは砦を破滅に追いやる気か」

 ぼそりと呟いたウルリックに、三人の騎士はうっと言葉に詰まる。隠居ということばがまるでそぐわぬ長老たちに、災厄級の代物が渡った時に起こるであろう、あんなことやこんなことが脳裏を駆けめぐったからだ。

「万事休すか」

 腕を組み考えこむウルリックに、ダウフト殿もつくづく運がないと、椅子へ座り直したサイモンが気の毒そうに首を振る。

「<ヒルデブランド>にとねりこの坊主、ブリューナクにランスの市長。とかく奇妙奇天烈きみょうきてれつにすり寄られる星の下か」

「悪かったな」

 憮然とするギルバートをよそに、何か妙案はと窓の外に目を向けたリシャールだったが、

「……箱」

 そらしっかり担げよと、従者たちが互いに声をかけあいながら運んでゆくのは大きな衣装箱。にぎやかにゆく一団をしばし見送って、その手があったかと琥珀の騎士は手を打ち合わせる。

「どうしたのだ、ジェフレよ」

 問いかける<熊>どのに、まあ三人とも耳を貸せとかつてのいたずら小僧はにやりと笑う。その表情が、たいていはありがたくない騒動の前触れだと知るギルバートだけが、不審そうに幼馴染を見やったのだが、

「ダウフト殿のためだ、少しくらい我慢しろ」

 諭すようなリシャールのことばに、市長からの手紙を目にするたびに、詰所のすみっこへ退避するべそかき娘を思い出し。

 サイモンに言われるまでもなく、俺とてあんな間抜けな役まわりはごめんだぞと心でぼやくと、ギルバートは悪だくみをする子供のような一団へと加わるのだった。



 数日後。


「<狼>さんたちは、何をしているんですか」

 栗に甘芋、山ぶどう。豊かな秋の恵みを籠いっぱいに抱えたダウフトが目を丸くする。

「教練だ」

 服のあちこちを土だらけにして、そっけなく応じたギルバートに村娘は首をかしげる。

「穴掘りが?」

 軍馬一頭が楽に入ろうかという、大きな穴。真剣に作業にいそしむ四人の騎士の姿は、どう見てもふつうの教練とは異なっているのだけれど。

「敵が坑道を使って侵入した場合を想定しているのですよ。ダウフト殿」

 ギルバートの言葉足らずを補うように答えたのはリシャールだ。秀麗な顔のあちこちを彩る土埃は、彼にこがれる娘たちが見たならば、さぞやたいへんな騒ぎになることだろう。

「騎士たる者、常にあらゆる事態を想定しておかねばなりません」

「わたしも、何か手伝えることはありますか」

 いらんと返しかけ、背後から聞こえたサイモンとウルリックの咳払いに気がついて、

「厨房で水をもらってきてくれ」

「あっ、それなら疲れに効くハーブのお茶があります」

 おばあちゃんが教えてくれたとっておきですと、婦人部屋へ取りに向かうダウフトを留めようとしたギルバートだが、

「パンにはさむのはチェダーのチーズですか、それとも木いちごのジャム?」

 お腹もすいたでしょうと、にこやかに問うてくる乙女にかなうはずもない。

「……木いちご」

 うなるようなギルバートのいらえを、ほころぶ花のような笑みで受け止めると、

「すぐに用意してきますから、待っていてくださいね」

 籠を抱え、ぱたぱたと走り出してゆく村娘を見送って、まったくあやつはとぼやいたギルバートの肩をリシャールがぽんと叩く。

「ダウフト殿が戻られる前に、埋めてしまうぞ」

 四人が額に汗して掘った穴に収められているのは、両腕で抱えるほどの鉛の箱。鍛冶師の親方によって継ぎ目が塞がれ、簡単にこじ開けることができぬ細工が施されている。

「ガスパール老に封印を施していただいたから、案ずることはないと思うが」

 真顔で呟いたギルバートに、ずいぶんな念の入れようだなとサイモンが目を丸くする。

「何の封印だ。施錠式か、それともびっくり箱式」

「アルファ・エト・オメガ式階層封印」

 人の世では最高位とされる封印を口にしたギルバートに、何もそこまでしなくともとお調子者はそっと後ずさる。

「よいではないか、市長とて後の世にまで赤恥を晒したくはなかろう」

 さりげなくひどいことを口にして、次々と大量の土を箱にかぶせてゆくウルリックに、それもそうかとうなずいたサイモンが掬鋤スコップを手に取る。

「ある意味、親切だな俺たちって」

「いらん仕事ばかりが増えた」

「だがそのおかげで、ダウフト殿と茶を楽しめる」

 良いことづくめじゃないかとからかってくる幼馴染に、知るかと応じながらも。黒髪の騎士は土からまだ顔を覗かせている鉛の箱に、これでもかと土をかけてゆくのだった。



 誰が知ろう。

 名状しがたき何かを抱いた鉛の箱が、幾星霜を経て偶然にも地上に姿をあらわした日のことを。


「日付からみて、<髪あかきダウフト>が軍役にあったころに間違いないようだの」

 紙面から顔を上げ、感嘆の溜息とともに評した師匠に、周りを囲んでいた学生たちが大いに沸きたつ。

「世紀の大発見ですね、師匠」

 その輝きを憎んだ者たちによって、徹底的にこぼたれ損なわれた聖女の軌跡。これならきっと、かの乙女に関する歴史的解明が進むだろうと、前途ある若者たちは数々の書簡を見つめ期待に胸を膨らませる。

「何しろ<聖女の騎士>ときたら、<髪あかきダウフト>のことを何一つ書き残しちゃいないから」

「だんまりにも程があるぜ。おかげで俺が何度史料を見に田舎の修道院まで往復したか」

「おしゃべりさんに、聖女の守りなんかつとまるわけないでしょ」

「それにしても、ずいぶんあっさりと封印の箱が開いたなあ」

「アルファ・エト・オメガ式が、こんなに簡単に解けるはずは――あらいやだ、綴りがひとつ抜けてるわよこれ」

 まさか自分たちが、先人たちが地中深く埋めた危険きわまりない代物を掘り当てたとは夢にも思わずに、間抜けな施術者だなあと学生たちは陽気に笑い合う。


 誰が知ろう。

 この発見がやがて、<髪あかきダウフト>にまつわる研究者たちはおろか、近隣諸国をも震撼せしめた「ランスのベルナールによる手稿コデックス」にまつわる騒動のはじまりだということを――


 さてさて、いちばん悪いのは果たして誰だったのだろう?


(Fin)

     

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