たいようをてのひらに
<アーケヴの狼>のお膝元、東の砦のふもとに広がる町は、きょうもにぎわいに満ちている。
昔むかし、エーグモルトの大公や諸侯司教にその勲を妬まれ、華やかな宮廷から寂しい樹海へと追いやられた騎士たちが、住民たちとともに町の発展に力を尽くした結果、人や物資が自由に往来することができるようになったからだ。
たとえ魔物退治が目的であったとはいえ、あるじに棄てられあてもなく森を流離っていた先達を受け入れてくれた人々の恩義を忘れぬようにと、歴代の騎士団長は就任にあたり、「たとえ死に至るとも、剣を以て民を守らんことを」と誓うならわしが続けられている。そうしてそれは、今の騎士団長ヴァンサンとて例外ではないようだ。
『いらぬ騒ぎをひき起こした者、売り物や金銭をごまかした者には、後々まで語りぐさになるであろう恥ずかしいおしおきを各種取りそろえているゆえ、心しておくように』
町の広場に堂々と掲げられた通達を前に、なあ恥ずかしいおしおきって何だ、広場で腹踊りを披露するとか、どこかの騎士さまよろしくリボンずくめの馬で町内一周じゃないのかと、居合わせた老若男女を大いに悩ませたこともあったのだが。
何はともあれ、時たま起こる同胞どうしの諍いをなんとか収めたり、売り物や店にちょっかいを出そうとする魔物を容赦なく張り倒しながらも、人々は明るくたくましく日々の暮らしを営んでいる。
「さあさあ、朝採りのレタスにおいしいクレソンはいかが!」
「香りのいいハーブ! 玉ねぎとにんにく!」
「活きのいい小魚、湖から上がったばかり!」
「あつあつのパテにタルト、砦の聖女さんもお気に入りだよ!」
「襲い来る魔物をみごとにぶちのめした、勇敢なるイワカボチャさまだ。見た目も味も保証つき!」
さまざまな品を簡易なつくりの店先に並べたり、籠や肩に担いだり。道ゆく人々を引きつけようと、懸命に声を張り上げる売り子たち。あっちの店じゃもっと安かったわよと、一家の台所をあずかるたくましさを存分に発揮するおかみさん連中。
「あまくておいしいデュフレーヌの梨! 海を臨むまちシシリーのオレンジ――すいませんね旦那、エクセターの林檎は品切れで」
あちこちで真剣勝負が繰り広げられる中、商売がたきに負けじと声を張り上げていた果物売りの親爺は、店先を訪れた客にすまなそうに告げる。
「では干し杏を」
多めに頼むと銀貨を差し出したのは、何とも無愛想な男だった。
一見、町暮らしの若者にも見えたのだが。質のよい生地で仕立てられた服と、毛織物のマントを留める銀細工の組紐紋様が、熟練した匠の手になるものであることを伺わせる。何気なく果物を選んでいるように見えながら、漆黒の双眸を注意深くあたりに向けているさまや、腰に佩いた剣のつくりからどうやら砦づとめ――それも騎士だと果物売りの親爺は察する。
「どうしてもとおっしゃるなら、デュフレーヌ産なら余ってますがね」
勧める親爺に、それなら梨にしてくれと若い騎士は顔をしかめる。固いうえに酸味の強すぎるデュフレーヌの林檎など、とうてい食せた代物ではないと言外にほのめかしながら。
豊かさと強大さで知られるとねりこの侯国、唯一の瑕瑾ともいうべき林檎への評価は、何もこの騎士に限ったことではない。はい承知しましたと笑いながら、果物売りは言われたとおりに品物を包んでゆく。
「お連れさんにですかい、旦那」
「誰が連れだ」
「あれ、あっちの娘さんはそうじゃないんですか」
さっきから興味津々のご様子でさと笑う親爺につられて、騎士が指し示されたほうへと顔を向けてみれば。
オレンジにライム、レモンに柘榴になつめやし。山と積まれた南国の彩りを楽しそうに眺めている娘に、若い物売りたちが次々と声をかけているではないか!
「きれいな花はいかが、お嬢さん」
「花もいいけど、<淡雪の妖精>がいちばんさ。口ん中でふんわりとろける、ディジョン生まれのあまいお菓子だよ」
「いやいや菓子より、うちの小間物を見ておくれよ。絹のリボンにアイルのレース、きれいな櫛はエーグモルトの細工物だ」
ついでに君の家も教えてくれると嬉しいなあと、にやけた小間物売りが、繊細な象牙色のレースに見とれている娘の腰に手を回そうとするさまを目の当たりにして。
聞き慣れぬ北の古語をたいそう低く呟くと、騎士は果物売りの店先から離れ、娘に近づくなり腕を取って小間物売りから引き離した。何だい無粋な奴めと悪態をつく若者をひと睨みで黙らせると、娘を連れたまま歩きだそうとする。
「ああちょっと、旦那」
忘れ物ですよと慌てて呼ばわった果物売りの声は、どうやら聞こえていないようだった。
「もう、あんまり早く歩かないでください」
「ふらふらするなと言っておいたはずだ」
にべもない騎士のことばに、そんなに怒らなくてもいいでしょうとふくれる娘。
「あのレース、もう少し見ていたかったのに」
「レースより、エクセターの林檎が食べたいとごねたのは誰だ」
それで砦を抜け出す奴がいるかと呆れる騎士と、だってギルバートがおいしいって言うからと応じる娘の様子をしばし眺めて。
どうやら嬢ちゃんは、騎士さまが臍を曲げたわけにてんで気づいちゃいないようだな。
そう察するとともに、何ともいえぬもどかしさを覚えた親爺は、すぐとなりの商売がたきにちょいとここを頼むわと声をかける。
「おまえがさぼっている間に、俺ががっぽり稼いじまうぞ」
からかってくる商売がたきに、すぐ追い抜いてやるから安心しなと応じると、果物売りは己のささやかな領地である店を離れた。
「旦那」
人混みをかき分け荷物をよけ、小走りに後を追いかけて。やっとの思いでマントの端へ手を伸ばしかけた果物売りに、気配を察した騎士が振り返った。
それまで腕を引いていた娘をそっと前へ押しやり、後からやってくる者たちとの間を隔てるかのように立ちはだかる。剣の柄にかけられた手と、刃のごとく冴えた双眸に一瞬腰が退けそうになりながらも、
「忘れ物ですよ、<狼>の旦那」
銀貨を無駄にできるほどのお大尽ですかいと、息を切らしながらもにやりと笑ってみせた親爺に、若い騎士は己のうっかりに気がついたようだ。
「すまん」
ばつの悪い表情で柄から手を放し、親爺の差し出した包みを受け取った騎士に、ぽんとつけ加えられたのは太陽の彩り。
女神たちを競わせたうえ、ひとの王国に争いと破滅をもたらした黄金の林檎――包みの上に乗せられた大きなオレンジに、怪訝そうな表情をみせた若い騎士へ、おまけですよと果物売りは片目をつむってみせる。
「かわいい姫君と、一緒にどうぞ」
誰が姫だと言いかけた騎士から、そっと南国の果実を取り上げたのはやさしい手。
「ありがとう、おじさん」
さわやかな香りを楽しみながら、手にした果実にも劣らぬ笑みを返してきたのは娘のほうだった。
その美貌と気品を何としても我がものにと、数多の王や騎士諸侯が血で血を洗う争いを繰り広げた賢王の妃マルグウェンではあるまいし。どこにでもいるような娘の、野の花にも似た明るさとはなやぎに、若い<狼>は自覚せぬままに振り回されているらしい。
「砦に帰ったら、いっしょに食べましょう」
「その前に、小間物通りに寄る」
「あら、どうして?」
女の子がはしゃいでいる場所は苦手でしょうと、不思議そうに問うた娘に、
「アイルのレースなら、ジャンヌ殿の所で見立ててもらえ」
これまた不器用に放たれた騎士のことばに、きょとんとしていた娘の瞳にたちまち輝きが満ちてゆく。
どんな柄がいいかしらとうきうきする娘に、俺に聞くなと背を向けて、騎士は小間物通りへとつながる道を歩き出した。
そういや、砦の聖女さんにのぼせ上がった奴がいるとかいう噂があったけど、ありゃどうなったんだろうな。
町の人々に広まっているはなしをふと思いだし、人混みに消えてゆくふたりの姿をしばし見送って。
どっちにしろ難儀なことさねと笑みを浮かべて、果物売りはさあ商売商売と来た道を戻ってゆくことにした。
いささか値の張る品だけに、客たちがあまり手を伸ばそうとしないオレンジに、「竜にも癒せぬ何とやらに効く、あまい南国の香りだよ」とか何とか、ちょいと陳腐な売り文句でも添えてみるかとまじめに考えながら。
ささやかな出来事も、にぎやかな騒ぎも、笑ってゆったり受け止めて。
ふもとの町は、こうしてきょうも一日を過ごしてゆく。
(Fin)
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