泣いてもいいですか
ごうごうとうなるは暗い森、ざあざあと窓を叩くはご機嫌ななめの雨と風と雷の姉妹たち。
どこかで見たよな場面ですが、それもそのはず。今は誰も使わなくなった森番の小屋に、またもや雨風を避けて飛び込んだのは娘さんと騎士殿でした。
「よくここにお世話になりますね、わたしたち」
毛布代わりにと放られた、大きなマントを頭からすっぽりとかぶってにこにことする娘さん。そんな彼女とは対照的に、砦いちの堅物で知られる若き騎士の表情ときたら、これまたたいそうこわばったものでした。近づこうとする娘さんからすさ、と離れて、剣を抱えたまま小屋の入り口に無言で陣取ります。
ふつうは立場が逆ではと問いたいところですが、どうやら騎士殿は、以前同じ場所で起きたじつにやるせない出来事を思い出していたようです。
いちおうお年頃だというのに、警戒心も何もあったものではない娘さんの能天気ぶりにじわじわと気力を削がれ、さらには床に置いたものものしい剣の防衛線すらあっさりと突破されました。
自分の服をしっかと掴んだまま、傍らに寄り添い健やかな寝息をたてていた娘さんに心底たまげ、声に出せぬうろたえぶりを披露し、離れようにもそれもかなわず。やがて東の空に訪れた暁を、あの時ほど待ちこがれたことは後にも先にもありませんでした。
あんなことは二度とごめんこうむるぞ、と心でそっと呟く騎士。彼の実家の銘でもある「忍耐」を試されるような事態にまたも出くわすぐらいならば、今すぐ雨風が吹きすさぶ表に飛び出して、魔物と拳で語り合ったほうがはるかにましというものです。
「構うな」
そんなわけでしたから、林檎でも食べませんかと勧めてきた娘さんにも、ついいつもよりもそっけないことばを返してしまいました。
「ギルバート」
夜明けとともに出立するかと、てきぱきと考えをめぐらせていた騎士の耳に飛び込んできたのは、たいそう打ち沈んだ娘さんの声でした。
「そんなに、わたしといっしょにいるのがいやですか」
かそけき灯をともして悲しげに揺らめく緑の瞳が、かたくなによろおうとした心を射ぬきます。
別におぬしがいやだとかそういうわけではなくてむしろ降ってわいた何とやらに諸手を挙げてというかいや決してやましい意味で言っているのではなくてというか俺にこの難局を素面で乗り越えろとでも言うのか天にましますおせっかいやきの
仏頂面の下で繰り広げられている、若い騎士の激しい葛藤なぞつゆ知らず。娘さんはしょんぼりとした表情で続けます。
「いくらわたしの寝相が悪いからって、あんまりです」
ぐらり、と視界が傾くような感覚を黒髪の騎士は覚えました。これでは幼馴染にすら心底哀れむようなまなざしを向けられた、あの忌々しいことこのうえない一夜とまるで同じではありませんか。
「それなら、ギルバートはここで休んでください」
わたしが外で寝ますからと、古ぼけた剣を腰に佩き。少々丈の長すぎるマントをひきずりながら、悄然と表に出ようとした娘さんの手を騎士はつかんでいました。
「何のために俺がいる」
思わず口にしたことばに、娘さんが大きく瞳を見開きました。当の騎士自身も驚きました。いったい俺は何のうわごとをとうろたえるあまり、続いて飛び出してきたのはあまりにもあまりなことばでした。
「敵がここに踏み込むなら、扉を蹴破る確率が高いだろう」
守るべきものを奥に配し、入口に剣を持つものが控え、すぐさま応戦できるようにすることが防衛上の定石ともいえたのですが。何が悲しくて、こんな所でこやつに戦術なぞ説かねばならんのだと、騎士が自分で自分を殴ってやりたい衝動に駆られたときです。
「ギルバート」
感激に瞳を潤ませた娘さんの唇からこぼれたのは、ごめんなさいということばでした。
「寝ずの番をするつもりだったんですね」
それなのにわたしったら誤解してと、どこかずれた納得のしかたをする娘さんに、妙な具合だがどうにかおさまりそうだと黒髪の騎士は胸をなで下ろしかけたのですが、
「でも、ギルバートだってちゃんと休みませんと」
娘さんが放った一言に、何とはなしに首の後ろがざわつくのを騎士は覚えました。こういうときは、たいていはろくな目に遭わないのが子供のころからの常でしたけれど。
「三日の間、寝ずに馬を駆ったこともある」
だから構うなと言いきかせたところで、聞き入れるような娘さんではありませんでした。
「だめです。この間だって、寝不足でふらふらしながら砦に帰ったでしょう」
誰が元凶だと思っている。
反論しようとした騎士に向かって、娘さんが取り出してみせたものは――
「ほら、これなら大丈夫です」
大きなマントにくるまって、嬉しそうに告げたのは娘さんでした。
「魔物だって近寄ってきませんし、昼間みたいに明るいでしょう」
まるでご主人を慕う子犬のように、無邪気に話しかけてくる娘さんに、ああと力なく応じたのは自分のマントにくるまった黒髪の騎士でした。どうしてこうなるという問いが、さっきから谺のように頭の中に響きわたっています。
あたりの闇をを払うかのごとく、小屋の入り口で燦然とした輝きを放っているのは<ヒルデブランド>でした。抜き身の刃に照らされるだけで、魔物たちが怖れをなして逃げ去る聖剣は、松明代わりという不遇な扱いに黙って耐えているかのように騎士には映りました。
「こうすれば、ギルバートだって眠れるでしょう」
おぬしが寄り添っているこの状況で、どうやって俺に眠れというんだ。
そんなことばすらも、もはやのしかかるやるせなさに打ちのめされた騎士の口からは出てきません。
この能天気が眠りこけた隙を見はからって、さっさと小屋の片隅に離れるぞと誓った騎士でしたが。
そんな彼の心を見透かすかのように、床に置かれた<ヒルデブランド>が脅すようなうなりをあげました。ひとの身とははかないものだなという幼馴染の笑顔と、目の前でめきめきと音を立てて倒れていった枯木とが騎士の脳裏によみがえります。
入り口には容赦なき神の剣、傍らにはぴたりと寄り添う娘さん。
行くも地獄、戻るも地獄。
「ギルバート、何かお話をしてください」
「わかった、わかったからそれ以上近づくな」
「だって、あたたかいんですもの。ほっとします」
「――」
エクセターの不羈と忍耐は、果たしてオードの乙女にいつまで持ちこたえることができるのか。
騎士殿の命運や、いかに。
◆ ◆ ◆
「ジェフレ卿」
何やらこわばった面持ちで近づいてきた兵士に、琥珀の騎士は泰然と問いかけました。
「サイモンが日頃の悪行を悔い改めて僧院にこもる決意でもしたか、団長がついに奥方から三行半を突きつけられたか」
「そ、そんなことではありません」
冗談とも本気ともつかない騎士のからかいに、若い兵士は慌ててことばを続けます。
「先ほど、ダウフトさまとエクセター卿が砦へお戻りになりました」
「ダウフト殿は、変わりなくお過ごしか?」
琥珀の騎士の問いに、はいそれはもうと兵士は微笑ましいものを見るかのように表情をなごませました。
「ゆうべは森番の小屋でぐっすりお休みになり、帰りにはおいしい木の実を見つけてきたからとあちこちに配っておられます」
そう話す兵士が、ささやかなおすそわけを手にしているさまに、のんきな聖女さまの姿を笑みとともに思い浮かべた騎士でしたが、
「エクセター卿は」
「腹ぺこのまま生け捕りにされた、狼のような顔をしておられます」
即答した兵士の表情に、琥珀の騎士は思わず額に手を当てました。
心配をおかけしましたと、出迎えた人々におわびをして回る娘さんの後から、幽鬼のごとく現れた寝不足と不機嫌の権化。いやお熱いことでとからかったお調子者を即座に沈黙させた後、黒髪の騎士はそのまま詰所へと消えていったのだとか。
「エクセター卿が詰所の扉を閉め、中から
「それであの騒ぎか」
こら開けろギルバート、おい
一度あったことは、二度ありそうなもの。この程度は想定の範囲内だなと考えをめぐらせていた騎士に、続いてもたらされたものはとんでもないできごとでした。
「森と街道の警備にあたっていた者から、殴り倒された魔物たちが転がっていたとの報告が」
「……どこからだ」
呆然と問い返した琥珀の騎士に、あのそれがと兵士はじつに言いにくそうな面持ちをみせました。
「森番の小屋から街道に出て、ふもとの町の大通りから砦に向かう道沿いにその、点々と」
「点々と」
愚かな人間どもをいたぶってやろうと思いついたのか、はたまた空腹を満たそうとしたのか。
早く砦に帰りましょうと、うきうきしながら帰路を急ぐ娘さんの前に立ちはだかったことが魔物たちの運のつき。行き場のない懊悩だとか煩悩だとか何とかだとかを、黒髪の騎士がこれでもかと晴らすにはまさにうってつけだったというわけです。
「あの、これもエクセター卿と何か関わりが」
大ありだ、と言いたいところでしたが、やはりここは友の名誉を守らねばならぬもの。
「なに、ダウフト殿についてゆく道すがら、魔物の討伐を兼ねたのだろう」
哀しき冬の騎士が森や町や村を白く冷たく覆ってしまう前に、街道を荒らす魔物たちの討伐が近々予定されていることをほのめかした琥珀の騎士に、なぜか兵士は大いに感心してうなずきました。
「先を見越して動いておられたというわけですね、エクセター卿は」
「そうとも言うかな」
いいかげんに出てこんか、副団長を呼ぶぞと、殺気だった仲間たちの声を聞き流しながらも。
「二度あることは三度あるのか、はたまた三度目の正直か」
いまは頭から毛布を被り、無理やり
(Fin)
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