ぼくたちにもそんな時代がありました
渡る空の色も遠く高くなりつつある、ある秋のこと。
「何やってるんだ、ダウフト」
寄れば角突きあうお年頃。派手な取っ組み合いのおしおきに、生真面目少年ともども養魚池の掃除へとやってきたわがまま侯子が問いかけました。
池の周囲をぐるりと取り囲む立て札の群れ、そのうちのひとつをじっと眺めやっていた娘さんが、ふたりに気づいてどうしたんですかと目を丸くします。
「いまは剣の稽古でしょう。何かあったんですか」
案じる娘さんに、いやそのちょっと違う鍛えかたをとごまかそうとしたわがまま侯子でしたが、
「この間、こいつとやりあった喧嘩のおしおきです。ダウフトさま」
すっぱりと答えた生真面目少年に、ばかしゃべるなってと慌てるわがまま侯子。そんなふたりを見やった娘さんが、こらえきれずに吹き出しました。
「笑っている場合か、ダウフト」
「ごめんなさい、でも」
おそろいなんですものと続けた娘さんに、ふたりの騎士見習いは情けない顔をみせました。それぞれの片目をまあるく彩る青痣が、いまだにくっきりと残っていることを思い出したからです。
「それはそうと、ダウフトさまは何をしているんですか」
生真面目な少年の問いに、魚を捕まえようと思ってと娘さんは答えました。
「いま、シロスの殿さまが砦を訪ねておられるでしょう。レネたちといっしょに、奥方さまのお手伝いをすることにしたんです」
「それで鱒か」
籠の中でぴちぴちと跳ねまわる、活きの良い魚たちをのぞきこんだわがまま侯子へ、殿さまが香草焼きをご所望なんですと娘さんは微笑みました。
「腕によりをかけましょうって、奥方さまがはりきっておられました。だからわたしも、はりきって池に来たんですけれど」
そう言いかけて、娘さんは恥ずかしそうに頬を染めました。
「滑って転んで池に落っこちたところを、<狼>さんたちに見られてしまって。そのまま引きずり出されてつまみ出されました」
「だろうな」
娘さんをすっぽりとくるむ、大きなマントの下からのぞくずぶ濡れの服と素足を見たわがまま侯子はうなずきました。
池のほうへと視線を転じてみれば思ったとおり。それぞれに真剣な面持ちで、鱒と格闘している三人の騎士―ひとりは砦いちのお調子者、ひとりは<熊>どの、そして最後のひとりは言わずもがな―がおりました。
りっぱな鱒を手に喜んだのもつかの間、苔か何かに足を滑らせて派手な水しぶきを挙げた娘さんの悲鳴を、たまたま通りかかった<狼>たち――ことにマントの持ち主はどんな面持ちで耳にしたのやら。
村では魚ぐらい捕まえていたのにと主張する娘さんへ、有無を言わさずマントをかぶせて囲いの外へとつまみ出し、代わりに自分がほかの騎士たちとともに魚を捕まえることにしたのでしょう。
「ギルバートと、サイモンさまとウルリックさまが戻ってくるまでここで待っていたんですけれど」
何が書いてあるのか気になってと首を傾げる聖女さまに、何なら読みあげてやるぞと快く返事をしたわがまま侯子が、生真面目少年とともにずらりと並んだ立て札へと近づきました。
「釣り禁止」
「遊泳禁止」
貴重な水源と魚たちを守るためには、まあ当然だろうなとうなずいた少年たちでしたが、ここからが妙な具合になりました。
「洗濯禁止」
「焚火禁止」
「飲食禁止」
「……戦闘禁止?」
ありとあらゆるだめ出しがこれでもかとつらねられた立て札に、何だこれと呆れたわがまま侯子に、アルトワさんだろと応じたのは生真面目少年でした。
「たしか奥方さまから、養魚池や厩舎の監督を任されていたじゃないか」
「あのうるさ型がか」
くせものぞろいの砦にあって、人々の暮らしと安泰を守るべく日々奮闘する御仁による血と汗と涙の結晶を、やかましい小言と一蹴したわがまま侯子に、おまえ知らないのかと生真面目少年は溜息をつきました。
「何年か前、ここでとんでもないいたずらをしでかした奴らがいたらしいぜ」
このくににしてはめずらしい暑さに、人もけものも魚も魔物も干上がりそうになったある夏の宵のこと。
暑さと寝苦しさに耐えかねて、そうだいっそのこと水辺で涼もうと、仲間たちとこっそり連れ立って養魚池までやって来たのが運のつき。
月夜の下で水と戯れるあいだに、いつのまにか腹をすかせた誰かさんが魚を釣って焚火を始め、気にくわない奴を池に落っことしてやろうとたくらんだ誰かさんが逆に落っこちて。おまけに、魚の焼ける匂いに釣られて忍び寄ってきた魔物たち相手に大立ち回りを始める誰かさんまで出る始末。
あげくの果てには、池を河からへだてていた木の枠を勢い余って粉砕し、魚は逃げ出すわ水はあふれ出すわのとんでもない騒ぎになったのだとか。
「誰だ、それ」
なんて子供っぽい連中だと鼻で笑ったわがまま侯子に、悪かったなとじつに愛想のない声が届きました。
「向こう見ずが巻き起こす騒ぎよりはましだと思っていたが」
ひときわ大きな鱒を手に至極ご満悦の<熊>どのや、娘さんと同じく頭からずぶ濡れになったお調子者に続いて現れた、黒髪の騎士が放ったひとことに娘さんと少年たちは思わず顎を落としました。
「ぎ、ギルバートさま?」
およそ羽目を外すことなど、とうていありえなさそうな己があるじが、ずらりと並ぶ立て札の原因とはにわかに信じがたい生真面目少年でしたが、
「言っておくが、元凶はサイモンだ」
大まじめにつけ足した黒髪の騎士に、何言ってやがると猛然と反駁したのはお調子者でした。
「水に足をひたせば暑さもましだ、なんて言い出したのはおまえだろうがッ」
「たしかにそう言ったが、泳ごうなどと俺は一言も」
「エクセターを池に落とそうと企んだものの、しくじったあげくにみごとな弧を描いて池に落ちたのはおぬしであったなあ。ウォリック」
「やかましい、俺がさんざん止めたのに魔物の脳天に斧をぶちこんだ阿呆はッ」
「これは異なことを。背後からおぬしへと食らいつかんとしていたところを救ってやったというのに」
「おまけに、どさくさにまぎれて俺が焼いていた魚を食べたのは」
「ああ、それは俺だ。ギルバート」
唖然呆然とはこのことか。どこからともなく現れて、籠に収められた魚たちをのぞきこみながら、今夜は魚料理かと嬉しそうな顔を見せたのはなんと琥珀の騎士ではありませんか!
「り、リシャールさまもっ?」
「べつに驚くことなどありませんよ、ダウフト殿」
あのころは俺たちも年相応でしたからと優雅に笑ってみせる騎士からは、やんちゃ盛りなころの面影などこれっぽっちもうかがうことができません。
「ギルバートとサイモンの取っ組み合いなぞ日常茶飯事、四人でつるんで何かしでかしては、副団長の鉄拳を食らっていたものです」
かつてのやんちゃ小僧たちが引き起こした騒ぎを語る琥珀の騎士に、お調子者と<熊>どのがしみじみとうなずきます。
「とんがってたよなあ、俺たち」
「うむ。副団長の鉄拳がまいど骨身にこたえたものよ」
「この池の件では、四人そろってアルトワ殿には厳しい叱責を食らったな」
「いまだにこの始末だ」
ひとつぐらい外してもよかろうにと立て札を見つめてぼやく黒髪の騎士に、娘さんは開いた口がふさがらないようでした。それもそのはず、砦いちの堅物の名をほしいままにするこの男に、とんがってたお年頃があったなんてまるきり想像もつかなかったからです。
「そういやこの後だったな。俺とギルバートがそろって<帰らずの森>で迷子になったやつ」
「夜が明けてみれば、目と鼻の先に砦がそびえ立っていたという間抜けなおちだったな、サイモン」
「まあ赤っ恥をかいたおかげで、こやつらの喧嘩が収まったのだから悪くはあるまい」
「思い出させるな、ウルリック」
こいつのおかげで糧食の確保が散々だったと苦い顔をした黒髪の騎士に、ああおまえは魔物が迫ってたってすかした面をしてやがったよなとやり返すお調子者。
そんなおとなたちのやり取りを見つめる少年たちの裡に、人のことが言えた義理かよと突っこみたいおもいと、もしかしてこの砦では、若い騎士や見習いたちが何かしら騒ぎを巻き起こすのがならわしなんじゃという疑問が頭をもたげてくるのでした。
さて。
そんな若者たちを、露台に設けたお茶の席から微笑ましそうに見つめる人々がおりました。
「おお、元気のよいことだ」
いつ訪れても、この砦はにぎわいに満ちておりますなと笑ったシロスの殿に、これも砦の吾子たちのおかげと、ゆったりと微笑んだのは砦の母君でした。
「いささかやんちゃが過ぎることもございますけれど、わたくしには心地よいぐらい」
「こやつは胃の腑をきりきりさせておるがの」
お茶の杯を手に呟いた砦の長どのに、当然だと即答したのは誰あろう砦の鬼でした。
「尻拭いに奔走させられる、俺の身にもなれ」
「おぬしが若造だったころに比べればましであろう、ナイジェル。道ゆけばなびく娘たちをみな無視しおって」
あのとき何度儂がもったいないと思ったことかと、拳を握りしめ述懐するシロスの殿に、砦の鬼は柘榴水の杯を傾け沈黙を貫くことに決めたようでした。
「むかしと言えば、サフィタ城の改修がようやく終わっそうだの」
アーケヴとの境にある、王族のために建てられた隣国の壮麗な城を挙げた騎士団長に、まあまだ工事を続けておりましたのと奥方さまは美しい灰青の目を見開きます。
「とうの昔に、直ったものとばかり思うておりましたけれど」
「それが奥よ。王弟の不人気と、税収をめぐる問題から遅々として進まなんだそうだ」
「王弟殿下はともかく、天守閣からの眺めはまことに素晴らしかったのですけれど」
殿が颯爽と窓から現れたときほど、<おかあさま>に感謝したことはありませんでしたわとうっとり告げた奥方さまに、いやそれは違うと首を横に振ったのは副団長でした。ひゅるりらと風が鳴く天守閣の石壁を、じりじりとよじ登らざるを得なかった、若き風来坊の顔に浮かんでいた恐怖の表情を知っていたからです。
「いやはや、少しばかりやりすぎましたかな」
そう言って、恥ずかしそうに頭をかいたのは何とシロスの殿でした。
「東方より伝来した火薬なる代物で、城壁の一部を穿ちそこから侵入する手はずだったのに」
「まさか、西の城壁すべてが崩落するとは思わなんだからなあ」
「どうせなら景気よく使えなどとおぬしが言うたからだぞ、ヴァンサン」
「何を言う。さんざん怖い怖いと騒いでおったくせに、結局しかけたのはおぬしだろうが、アロルド」
「いいや、おぬしが最初だ」
物騒きわまりない応酬を続けるシロスの殿と騎士団長に、だからおぬしらは行き当たりばったりなのだと苦い顔をしたのは副団長でした。
「あの騒ぎで、王弟の注意がイズー殿からそれたが唯一の僥倖」
そうでなければ、キャリバーンの精鋭が集いし城から姫君を救い出すことなぞ無理であったろうよと、砦の鬼は腐れ縁をねめつけました。
「おぬしが能天気にイズー殿へ愛を囁いている間じゅう、何度後ろから蹴倒してやろうと思ったことか」
「だからあのとき、無理についてくることはないと言うたではないか儂は」
「首を抱えたおぬしの亡霊に、枕元で恨み言なぞこぼされてたまるか」
「まあまあ、かの救出劇がかくも成功を収めたのはおぬしの奮闘あってこそだったな。ナイジェル」
無関係な人々の血を流さぬようにという姫君の懇願に、貴女は甘いと冷たく返したものの。結局は相棒と一緒になって、剣ではなく木の棒で、襲いかかってきたキャリバーンの兵士たちにたんこぶをこしらえる程度にとどめた男をおかしげに見やったシロス伯に、
「それにユーグ殿も、わたくしたちを助けて下さいましたわ」
「心の底から不本意そうであったがなあ」
睨み殺されるかと思ったぞとぼやいた騎士団長に、当然だと応じたのは副団長でした。
「デュフレーヌの老侯は、いまだにヴァンサンという名だけは気に入らぬと風の噂に」
「無理もなかろうなあ」
しみじみとうなずいたシロスの殿に、なつかしゅうございますわねと奥方さまはころころと笑い声を上げます。
「はじめて殿にお会いしたときのことを思い出しますわ。緑うたう五月の森のようなさわやかな笑顔と、流れる鼻血がとても印象的で」
「ああいや奥よ、そのはなしは」
「金の刺繍が入った美しい着け袖を、イズー殿がおぬしに与えたときの求婚者たちの顔ときたら見ものだったな」
「俺はいまだにイズー殿のお考えが読めん」
かたや辺境伯、かたや<狼>たちを率いる砦の首脳陣としていまは立つ身でしたけれども。
若者たちにはとうてい聞かせることのできない、昔日のやんちゃぶりをなつかしそうに語り合うおとなたちを、太陽と雲が呆れたように見つめていたのは誰も知らないはなしです。
(Fin)
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