さて、どっち?


 くっきりと頬に残されたのは真っ赤な手形、額や顎に走るのはこれまたみごとな爪の跡。

「しかし、いつ見てもめざましいな」

 鬱蒼うっそうとした木立を左に臨む道を、ふもとの町から砦のほうへと戻りゆく道すがら。感心するリシャールに、思い人から贈られた愛のあかしで顔じゅうを彩ったサイモンは憮然とする。傍らでは、つくづく懲りぬ男よとばかりにウルリックが呆れ顔で首を横に振る始末だ。


 魔物を相手に、拳で語るばかりが<狼>の牙ではない。これといった軍務がないときには、砦や町に住まう人々の暮らしを守る務めも担っている。

 そんなわけだから、<狼>たちの六年目――ギルバートとリシャール、サイモンとウルリックの四人も、それぞれ二人一組になって町の見回りに当たっていたのだが。

 南の通りで大きな魔物が暴れていると、巡礼たちが息を切らしてギルバートとリシャールに救いを求めてきたのが一刻ほど前。同じように通報を受けた他の二人と合流し、現場に駆けつけたのが十分ほど後のことだった。

 砦に坐す聖女へ呪いの言葉を吐きながら、騎士たちに牙を剥いた魔物だったが――野菜売りの親爺が投げつけたイワカボチャの一撃によろめいたところを、鍛冶屋の徒弟が繰り出した真っ赤な鉄串に尻をじゅうと焼かれるはめになった。

 怒りの咆哮を上げて、逃げるふたりを追おうとした魔物の前に立ちはだかったのは、担ぎ棒に鍬、鎌や鉄鍋に包丁にほうきとそれぞれ得物を手にした老若男女の不敵な笑み。

「おいでなすったぜ」

「ふふふ、久しぶりに腕がなるじゃあないかい」

「おふくろ頼むから年甲斐もないことは」

 砦が築かれるよりも前から魑魅魍魎が潜む樹海の側に暮らし、<狼>たちと長い歳月を歩んできた人々だ。たかが魔物一匹、それもなりばかり大きい雑魚が町に入り込んだくらいで泣きわめくようなひよわさなぞ、三つの幼子ですら持ち合わせちゃいない。

「いや最近どうも腕がなまっちまってなあ」

「砦の奥方さまにお願いして、来年はあたしたちもベリー摘みに加えていただけないもんかねえ」

 朗らかに語り合う人々の中心で、容赦のない袋叩きに遭った異形が哀れな悲鳴をあげるさまに、自分たちが来るまでもなかったかと騎士たちは肩をすくめたのだが。

 ふと、西から来たお調子者の姿がないことにギルバートが気がついた。いったいどこにとリシャールとウルリックが辺りを見まわせば何のことはない。騒ぎから離れた所で、見物にやってきた菓子売り娘へ盛んに愛想を振りまいているときたものだ。

 止めさせようぞと進み出たウルリックをとどめ、ギルバートは通りの向こう側を見てみろと指し示す。言われるままにふたりの騎士がそちらへ頭をめぐらせてみれば――うら若き乙女の姿をした憤怒が、静かにサイモンへ近づいているところだった。

 ひとの怖ろしさというものを、骨の髄まで味わった魔物がよたよたと飛び去っていくさまを笑顔で見送っていた町の人々へ、今度はじつに面白おかしい娯楽が供されたというわけで。

 サイモンあんたってひとは、いや待てロザリーこれはだなッと繰り広げられた修羅場を見ようと、たちまちできあがった黒山の人だかりを前に、このまま放って帰ろうと残る三人がうなずきあったのは至極当然のことだったと言えよう。


「花を愛でるたびに、飛び出した蜂に鼻面を刺されるようなものだろう」

「勝ち目のないいくさに挑むなど、無謀以外の何ものでもあるまいに」

 口々に言うリシャールとウルリックに、やかましいとサイモンは反論する。

「たとえ鼻を刺されようと、咲き誇る花たちを分けへだてなく愛でるのが俺の主義だ」

 とはいうものの、実のところサイモンの戦果はまるで芳しくない。町や砦に住まう娘たちの中には、ロザリーの幼なじみもおり、このお調子者の手綱を誰が握っているかをよく知っていたからだ。

 したがって、彼女たちがサイモンの声かけを本気に受け取ることは皆無に等しく――通行手形をつけられるわよと笑いながらかわされるのがおちというわけだ。

「思うに、ロザリー殿は情にほだされやすい方なのではないだろうか」

 聞けば小町娘の父親も、もとは空腹のあまりにふもとの町――それも彼女の母となったパン屋の娘の前でばたりと行き倒れた貧乏騎士だったとか。花の盛りを、こやつごときに費やすこともあるまいにと嘆息するウルリックに、どういう意味だとお調子者は口元を引きつらせる。

「だいたい、リシャールだって似たようなものだろうが」

 かぐわしき花たちを相手に数々の浮名を流しているというのに、どういうわけかジェフレのリシャールに対して世のご婦人がたはたいそう寛大ときたものだ。

 南国のまばゆい太陽にも似た<狼と牝鹿亭>の女将か、清楚な美貌が聖母像にそっくりと評判の尼僧か、はたまた偉大なる叡智ソフィアの現身と聞こえも高いカドール卿の姉君か。

 つかみどころのない男が心を寄せる相手をめぐり、老若を問わず多くの女たちが好奇心をわき立たせるのだが、いまだそれを明かすことに成功した者はいない。巧みにはなしをかわしてしまうリシャールに、まあ悔しい、琥珀がとらえた花はいずこにありますのと、彼を取り囲んだ市井の娘たちや姫君がたからかわいらしい抗議が上がるのもいつものことだった。

「俺がやると平手打ちにひっかき傷、おぬしがやると<青髯公>もかくやの大漁ぶり。何だこの差は」

 納得いかんと力説するサイモンにも、当の本人ときたらけろりとしたものだ。

「さしずめ、人徳といったところか」

 厚顔無恥とは、まさにこやつのためにあるような言葉ではなかろうか。世の娘さんたちは絶対にだまされていると確信したサイモンだったが、

「なあ、ギルバート」

 少しばかり自分の旗色がよくないことを察して、さっきから黙って先を行く黒髪の騎士につとめて明るく話しかけた。

「おぬしだって分かるだろう。かわいい子を見たら、ちょっと名前くらい聞いておこうとか何とか」

 お調子者が精一杯に求めた同意は、冷ややかなまなざしに一蹴された。

「おぬしと一緒にするな」

 ことが起きるたびに、あんな男別れてやるッと怒り狂うロザリーを懸命になだめるダウフトやレネを目の当たりにし、俺が手紙の文面を考えるから、何とか気の利いた言い回しを添えてくれとサイモンから平身低頭されたりと、それなりに騒ぎに巻き込まれているためか。

 おぬしではあるまいし、生命がいくつあっても足りんような真似なぞするかと容赦のないギルバートと、冬の騎士よりも冷たい奴だなと目を潤ませたサイモンの間に、まあ待てとリシャールがなだめに入る。

「そもそも、ギルバートに同意を求めるほうが大間違いだ。仮にこやつが同じことをしでかしたとしても、洒落では済まん事態になるだけだからな」

 にやりとする琥珀の騎士に、何だずいぶんと大袈裟だなと笑い飛ばそうとした西の騎士だったが、

「あれでもか?」

 リシャールが指さした方角を見て、笑おうとした表情のまま凍りつく。


 四人の騎士の眼前で枯葉や枝をまき散らし、めきめきと盛大な音を立てて倒れていくのは、それは大きな一本の枯木。

 その傍らで、いやあすまないねえ嬢ちゃんと笑う老いた木こりたちに、どういたしましてと笑っているのは――何と、砦の守り姫ときたものだ。


「これでようやく仕事がはかどるってもんだ」

「ずいぶんと変わったもんを持ってるねえ。新しい斧かい」

「いえ、いちおう剣です」

 ダウフトの手で輝きを放つのは、まごうかたなき<ヒルデブランド>だ。のんびりと散歩をしていた最中に、枯死した木を切り倒すのに苦労していた木こりたちを見かねて手伝いに入ったらしいのだが――その辺りの斧と一緒くたに扱われたありがたいはずの聖剣は、心なしかいつもより輝きが鈍っているような気がしてならない。

「へえ、世の中にゃいろんな魔法があるもんだなあ」

「何だほら、砦にいる聖女さまとやらも、ぴかぴか光る剣を持ってるっちゅうはなしを聞いたことはあるけどなあ」

 まさか目の前に立っている、のんきそうな娘がそれとは思いもよらないのか。老いた木こりたちはそらお礼だよと森で採れたものをいくつもダウフトへと渡している。

「あまい木の実だよ、シルヴィアさまのお恵みだて」

「まあ、おいしそう」

「こっちのきのこも持っていきな。シチューにでもすりゃほっぺたが落ちるほどにうまいからな」

「ありがとう、おじさん」

 木こりたちと村娘とのほのぼのとしたやり取りの傍らで、たいそう重く低い音を響かせながら枯木がついに地面との抱擁を果たした。辺り一面に枯葉や枝が舞い散り埃がもうもうとたちこめる中、

「ひとの身というのは」

 言葉もなく立ちつくすギルバートの肩に手を置き、重々しくうなずいてみせながら、

「枯木よりもはかなかったな」

 リシャールの言葉にのろのろと振り返り、冗談じゃないとばかりに首を横に振ってみせた堅物男の双眸が恐怖に彩られていたのは目の錯覚か。<狼>いちのお調子者と髭面の巨漢とが互いに目くばせしあったとき、

「あ、<狼>さん」

 木こりたちに別れを告げて、ふもとの町へ向かおうとしたダウフトが四人に気がついたらしい。

「見回りは終わったんですか?」

 にこにことしながら村娘が近づいてきたとたん、砦に向かって猛然と歩み出した者がいた。きょとんとした表情で、その背をしばし見つめていたダウフトだったが、

「ギルバート、どうしたんですか」

 娘の声に、一瞬背筋をこわばらせたものの――エクセターの堅物男は、振り返ることもなしに歩みを早めてゆく。木こりたちからもらったお礼を両腕いっぱいに抱えて、待ってくださいと後を追いかけてくるダウフトの足音を耳にしたからだ。どうして黙って行っちゃうんですかと、思いきり不審そうな娘の問いにも応じる余裕がないらしい。


「愚かな」

 にぎやかに遠ざかってゆく村娘と騎士の姿を眺めやって、ウルリックはぼそりと呟く。

「さほど経たぬうちに追いつかれようものを」

「そうか? あのまま逃げおおせると思うが」

 首をかしげるサイモンに、あやつにそれができればなとリシャールは応じる。

「ダウフト殿が抱えたものを取り落とすか、追いつけずに半べそをかいて立ち止まるか。いずれにせよギルバートは必ず振り返るはめになるさ」

 琥珀の騎士が口にするふたりの姿を、あまりにも容易に思い描くことができたものだから。

「並みの腰抜けなら、荷物をまとめて夜逃げをしたくなるところだな」

 何気なく呟いてみせたお調子者に、砦や町の婦人たちを陶然とさせる笑みを浮かべて、

「逃げられるとでも思っているのか?」

 心底楽しそうにのたまったリシャールに、はてまだ冬には早いはずだがとサイモンとウルリックは後ずさる。

 一時の気の迷いがもとで<ヒルデブランド>に塵芥まで粉砕されかねなかったり、仮に逃げたとて友誼に篤い男に簀巻きにされたうえ、咎人よろしく乙女の前に引き立てられかねない朴念仁の命運を思いやり、サイモンは思わず<母>の慈悲を願うしるしを切る。

「とはいえ、いまだ戦局に進展なしか」

 残念そうに呟くリシャールの視線の先を追い――ふたりの騎士は、これまた何ともいえぬやるせなさに襲われる。

 琥珀の騎士の言葉どおり、城門まであと少しといった道の真ん中で。石か何かにけつまずいたダウフトが、盛大にばらまいた森の恵みを拾い集めているギルバートの、この世の終わりを迎えたような顔を見るはめになったからだ。ごめんなさいと謝りながらも、こっちにもきのこが落ちていましたと一緒に拾いものをしている村娘の幸せそうな表情とは、何とまあ対照的であることか。

「グレイプニルにつながれし狼と評するには、あまりにも情けなき姿よ」

 嘆息しそう評するウルリックに、魔法の紐よりも怖ろしきは乙女の腕(かいな)だろうとリシャールは笑う。

「逃れることも能わず快いぬくみに陥ちるか、攻勢に転じるかの見極めどきといったところだな」

 <帰らずの森>では物見高い連中が多すぎたから、次は少数精鋭でいくかと振り返るリシャールに、どうやら堅物男に安息の日々が訪れるのははるか先のはなしであるらしいことをサイモンは察する。

 毎度のごとく真っ赤な通行手形とひっかき傷をこしらえては、ロザリーの尻に敷かれている自分と、そっけない態度ばかりを示そうとするくせに、結局はダウフトを突き放すことができないギルバートと、いったいどっちがましなのかとひとり自問するのだった。


 やさしき乙女に手綱を握られた<狼>たちの、ささやかな波瀾万丈はどうやらまだ始まったばかり。


(Fin)

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