ゆかいなエクセターさん家
やわらかい冬の日射しが、書庫を満たす昼下がりのこと。
「何を読んでいるんですか、ギルバート」
自分の席に座し、何やら真剣な面持ちで一冊の本を広げている黒髪の騎士へダウフトが問いかけた。
ずいぶんと熱心ですれどと呟きながら、軽い食事をのせた盆をそっと机の上に置く。こうでもしないと、本に夢中になったギルバートがしばし寝食を忘れることを、彼の従者をつとめる少年がこぼしていたからだ。
「手紙だ」
意外なこたえにきょとんとする村娘に、黒髪の騎士は端が黄ばんだ数枚の紙を見せる。そのむかし、幼かった彼が使い、今はダウフトが書き取りの練習に使っているぼろぼろの教本にはさまっていたのだとか。
「実家を出るとき、荷物にまぎれこんだらしい」
「手紙って、誰からですか?」
「兄だ」
ぽつりと呟いた騎士に、ダウフトは案ずるようなまなざしを向ける。<帰らずの森>で、はじめて兄のことを語ったとき、ギルバートが垣間見せた表情を思い出したからだ。
お兄さまの思い出を偲んでいたところに、考えなしに押しかけるなんて。
心で自分を叱りつつ、そっと机を離れようとした村娘へギルバートの声が飛んだ。
「どこに行く」
「あの、静かなほうがいいと思って」
慌てて言いつのるダウフトを、漆黒の双眸でしばし見つめて、
「兄上のことは、前に話しただろう」
ぶっきらぼうに告げた騎士にまず驚き、次いで明るい笑みで応じると、ダウフトは手近な椅子を騎士の坐す席の真向かいへと引きずっていき、ちょこんと腰かけた。
「何て書いてあるんですか」
故人の人となりをしのばせる筆跡に、ダウフトはやさしいまなざしを向ける。
つたない字しか綴れぬ自分では、手紙を書くなど夢のようなはなしだったけれども。いくさ場にあってなお、幼い弟を案じていたであろう若い騎士の、精一杯の<おもい>だけは感じ取ることができたから。
「たわいもないことだ」
元気にしているか、母や姉、妹たちはどうしているか。故郷の秋は、赤い林檎とこがね色の麦穂があやなす恵みと人々の笑みに満ちあふれているか――
どんな武勲をたてたかを並べるよりも、家族と故郷のことばかりを気にして書き綴ってきた兄の手紙を、十を過ぎたばかりの少年は来る日も来る日も心待ちにしていたのだとか。
「兄上に喜んでもらおうと、俺もたわいもないことばかり書き綴った。館のことや林檎の育ち具合、妹たちがそろって仔羊に突き飛ばされたこととか」
「お兄さまからは、何てお返事があったんですか」
幼子たちを見舞った災難に唖然としながらも、問いを発した村娘に、いやそれがと黒髪の騎士はにわかに複雑そうな顔をする。
「妹たちのことを書き送った後で、兄上からやたらと強い筆跡で走り書きが」
おそらく、陣地の移動で忙しかったのだろうがとぼやきながら、ギルバートは一枚の手紙を広げてみせた。
『弟よ、今こそ毛刈りの祝祭へ。我が一族の悲願を果たせッ』
書庫に、しばし沈黙が落ちた。
「……何ですか、毛刈りって」
不審そうに問うたダウフトに、エクセターに伝わる夏の祝祭だとギルバートは溜息をつく。
「それぞれの家から男子がひとり出て、囲いにいる羊を捕まえて、いかに早く毛を刈り取るかという由緒正しい祭りなんだが」
なぜか人生において、必ず一度は羊に蹴倒されるさだめにあるエクセター家の人々。偉大なるアルトリウスの御代から続く祝祭に参加したいと願いながらも、やめんか生命を無駄にするな、柵の側に立つだけで羊に突っこまれるだろうがと、近所の人々によって全力で出場を阻止されてしまうのだとか。
「兄上も十八のとき、祭りに出ようとしたのがばれて、館の者やリシャールの兄上たちに囲いから引きずり出されていた」
そんな男たちの騒ぎをよそに、何も知らない四歳のギルバートが仔羊の囲いに潜りこみ――己が家に連綿と続く、羊にまつわる悲劇を身をもって知るはめになったわけだ。
「はじめてこの手紙を読んだとき、三日は悩んだぞ。兄上は俺に生命を棄てろというのかと」
「十歳じゃ、まだ出られないと思います」
やんわりと突っ込みを入れながら、ダウフトはふと浮かんだ疑問を口にする。
「どうして、ギルバートのうちの人は羊に蹴飛ばされるようになったんですか」
ご先祖さまが羊をだまして食べちゃったとか、といかにもな理由を挙げてみせたダウフトに、分からんと騎士は頭を横に振る。
「亡くなった父上に聞いても、近所の古老に聞いても、誰もが首をかしげるばかりで」
羊たちにいいように弄ばれる、エクセター家の祖先を心底哀れんだ王が、毛刈りの賦役だけは免除してやるようにと、涙を流して臣下に命じられたほどであったそうだとギルバートはぼやく。
……いったい、どんなうちなのかしら。
とくに深い理由もなく羊に蹴倒され、踏まれ続けた人々の面影を、目の前にいる若い騎士のなかに探してみようと試みながらも。
きっとギルバートのお兄さまは、羊の呪いを解きたかったのかもしれないわ。
十歳の子供を悩ませた、長きにわたる一族の怨念をちょっぴり感じさせる手紙を、ダウフトはこわごわと眺めやるのだった。
(Fin)
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