ゆかいなエクセターさん家・ふたたび


 いつか、どこかの空の下。


「どうしたのだ、エドワード」

 いつになくどんよりとした表情で、手紙を手にしているエクセターの若き騎士に、デュフレーヌのロランは声をかける。まだ十を過ぎたばかりだという弟からの手紙を、戦友が故郷をしのぶよすがとして心待ちにしていることは知っていたのだが。

「ロラン殿」

 ようやく面を上げ、さみしそうに笑った北の騎士に、何があったのかとロランは尋ねる。

「どなたかが、身体でも壊されたのか」

 そう問うたロランの心に、妃から届いた涙ながらの手紙がよぎる。元気いっぱいに庭を駆け回っていた息子が足を踏み外して池へと転がり落ち、派手なたんこぶをこしらえたという内容だ。

『幸い大声で泣き叫んだため、大事なきことはわかりましたが。うろたえたお義父とうさまが、アンダルシアからあらゆる傷に効くという膏薬を取り寄せようとして、家中のものたちに止められる騒ぎにございます。それも馬用を』

 せめて、人間のくすりにしていただきとうございました。切々と訴える妃の手紙に、そういう問題ではないだろうと頭を抱えるはめになったものだ。

「いえ、幸いにしてそのようなことは」

 おかげさまで、母もつつがなく過ごしておりますと応じたエドワードだったが、

「ただ、妹たちがそろって仔羊に頭突きを食らったと」

 よちよち歩きの末妹キャスリンを、ひつじさんを見に行きましょうねと七歳のイザベルが連れ出したのが運のつき。

 ああっお嬢ちゃまたちがと、館の使用人たちが慌てて駆けつけた時には既に遅し。そろって草地に転がり、わあわあと泣き叫んでいるふたりの側で、めえと鳴く仔羊の姿があったのだとか。

「それはまた、災難だったね」

 兄としてさぞ心配だったろうとなぐさめたものの、それではエドワードが浮かべる暗い表情の説明がつかぬ。どうしたのかと問いかけるよりも前に、心底口惜しそうな表情になったエドワードがロランを見すえた。

「怪我はありませんでしたが、いちばん末の妹までもがとうとう羊に蹴倒されてしまいました」

「……どういうことだ?」

 思わず問い返したロランに返ってきたのは、エクセター家に代々伝わる呪いですと、真顔で答えるエドワードのことばだった。

「エクセターが、林檎と羊毛を産することはご存じでしょう」

「どちらも有名だからね」

「羊とゆかりの深い地に生まれ育ちながら、なぜか我が一族は羊と相性が悪いのです」

 むくむくの集団に弄ばれながら、なおも羊を追いかけようとしたエクセター家の祖先を、毛刈りの賦役は免除するからと、涙ながらにとどめた王の言い伝えまであるほどだという。

 何はなくとも、どういうわけか必ず一度は羊に蹴倒されるこのさだめ。聞けばエドワードも、三つのころに仔羊にのしかかられ、泣きながら助けを求めていたのだとか。

「妙な呪いがあるばかりに、我が一族は羊には手も足も出ません。収穫祭の余興に行われる、由緒正しき毛刈り競走にも参加がかなわぬほどです」

「その様子からすると、幾度となく試みたね。エドワード」

 冷静なロランの突っ込みに、十八のときにかなうはずだったのですがと北の騎士は溜息をつく。

「ジェフレ家のきょうだいや館の者たちにばれて、囲いから引きずり出されている間に、祭りに連れてきていた弟のことをすっかり忘れて」

 ギルバートはどこだと、慌てて探しまわった時には後の祭り。母羊による猛烈な体当たりを食らい、草地に突っ込む哀れな幼子の姿を目の当たりにするはめになったのだとか。

「その後は、針のむしろです」

 わざわざ、ギルバートを羊に蹴倒させるためにお出かけになりましたの、お兄さま。

 すぐ下の妹マティルダからは、容赦のない追い打ちを食らった。おまけに両親と館の者たち、ジェフレ家の年長のきょうだいたちからもこってりと絞られた。なかでも最大の痛手は、泥だらけで泣きわめいていた弟が、二度と羊の囲いに近寄らなくなったことだという。

「いつの日か兄弟そろって、羊の毛刈り競走で優勝するのが夢だったというのに」

「……実現には相当の困難をきたしそうだね、エドワード」

 力なく呟いたロランに、だからこそ今一度手紙を書いたのですとエドワードは拳を握りしめる。

「かわいい妹たちのかたきを取りたくはないのかと、毛刈りの祝祭へ出るようにと弟へ」

「弟からは、何と?」

 さりげなく問うたロランに、たちまち暗い顔つきに戻ったエドワードが手紙を差し出す。それを受けとり、広げて見せた侯子の目に飛び込んできたのは、



『いやだ』



 紙面いっぱいに綴られた、にべもないことば。

 けれどもよく見れば、思いのたけを全力で書きつづったであろう子供の苦悩がまざまざと伝わってきて、無理もなかろうなと呟いたロランはそっと手紙を閉じる。

「せめて我が最期の頼みと思って、聞き届けて欲しかったものを」

 兄さんは悲しいぞと、この場にいない弟に向かってぼやくエドワードに、いやそれは無茶というものとロランはなだめる。

「十を過ぎたばかりでは、そもそも参加がかなわぬだろう」

「では十五でも二十歳でも、あれが一人前になった折に」

 世にも情けない呪いを解くことに、一族の悲願を掲げていたのであろうエクセター家の人々の執念を、若い騎士のなかに垣間見たような気がしたのだが。

 いやそもそも、弟くんの羊嫌いは君がすべての元凶では。

 そんなことを思ったものの、『羊に蹴られるのは、兄上だけで十分です』と、さらに続く弟の手紙にとどめを刺されているエドワードを目の当たりにしていては、とても口にはできなかった。


 願わくば、弟くんが将来出会うやもしれぬいずこかの乙女が、仔羊のようでないことを祈るのみだな。


 かわいい孫のためにと、馬の軟膏を取り寄せようとする父の無謀を、母や妹たちとともに全力で止めるよう書き送るべきか。

 羊の呪いに比べれば、馬の軟膏などまだかわいいほうだよと書き送るべきなのか。

 さてどちらにしたものかと、とねりこの侯子は『どうか、一日も早くお返事をくださいませ』と結ばれている、妃からの手紙への返事を考えるのだった。


(Fin)

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