イワカボチャひみつけっしゃ


「そんなにかしこまることはないだろう、ウィリアム殿」

 美しい花や鮮やかな緑に囲まれた四阿あずまやで。たいそう緊張した面持ちで席に座る若い学僧へ、琥珀の騎士が笑いかけました。

「そうおっしゃいましても、ジェフレ卿」

 どうもわたしはあがりやすくてと、バスカヴィルのウィリアムは茶器を手に取りました。めずらかな花鳥風月を繊細に描きだした陶磁器は、アスタナよりもはるか遠き白椿の国からはるばるもたらされたもの。ふだんの彼であれば、ものごとの真理を究めんとする者の常で、時が経つのも忘れていつまでも眺めやっていたことでしょう。

 けれどもいま、ひょろりとした身体を黒い僧服に包んだ若者の関心は違うところに向けられていました。

 卓に並べられているのは、うららかな午後にこそふさわしい品々でした。

 さわやかな香りをたちのぼらせているのは、学術と交易の都シエナ・カリーンからもたらされた東方のお茶。蜂蜜とローズマリーを練り込んだ、山吹色の切り口も色鮮やかな焼菓子。カラメルをかけたプディングに、とりどりの果物にすみれやミモザの砂糖づけ。甘いものには目がない砦の娘さんたちが見たならば、たいそう喜んだに違いありません。

「焼菓子は料理長の新作だ。試食を任されたダウフト殿の太鼓判というはなしだぞ」

 とてもおいしかったですよと、お菓子をぺろりと平らげた聖女さまの姿を思い出したのでしょう、騎士の口元がやさしくほころびました。

 砦や町のご婦人がたをとろかせる、秀麗な微笑みとはすこし違うそれを見て。そういえばダウフト殿やアネットとお話をするときに、ジェフレ卿はよくこんなお顔をされるなあと、お茶を飲みながら学僧は思います。


「ウィリアム殿、報告を」

 先ほどからたいそう気にかけておいでだと騎士に促され、うなずいた若い学僧は茶器を卓に置くと、幾枚かの紙を取り出しました。

「ええと、南の城壁塔を守るドニとセブランからの報告です」

 紙面につらねられた文章を読み上げはじめた学僧のまなざしが、ゆったりと広がるびろうどの裳裾へ向けられました。

 上品な趣味を伺わせる、しっとりと落ち着いた色合いの裳裾をそっと目でたどってゆくと、顔の上半分を瀟洒な仮面で隠し、絹の扇で口元を覆ったひとりの貴婦人へとたどり着きました。

 若者の不安げな視線に気がついたのでしょうか。案ずることはありませぬと告げるかのようにうなずくと、仮面の貴婦人は報告の続きをと手振りで示してきました。そのゆったりと優雅な仕草にふしぎな安らぎを覚え、学僧はふたたび紙面へと向き直りました。

「<森>の教練から二日後、エクセター卿が玉ねぎのタルトを所望されていたそうです」

「あれだな」

 今はなき南東のオードに伝わる料理の名を耳にして、琥珀の騎士はうなずきました。つい三日前、できるだけ冷めないようにと丁寧に包まれ、大切に籠へ収められた一品を黒髪の騎士へと手渡しながら、ゆっくり味わってくださいねと娘さんがとても嬉しそうに話していたからです。

 そんなふたりを見るなり、ひとりじめは断固反対とわがまま侯子が猛烈な抗議を始めたのですが、

「ダウフトさまにさんざんごねて、タルトを丸ごとせしめた奴がえらそうに」

 生真面目な少年にずばりと指摘されるやいなや、ええいこの裏切り者、さっさとタルトのありかを白状しやがれと、わがまま侯子は食欲旺盛なる仲間たちからよってたかってつるし上げを食らうはめになりました。

 愛弟子の災難には、まるで見向きもせずにいたものの。はからずも衆目を集めていると気づいた黒髪の騎士は、そのなんだ、いらぬ手間をかけさせたなとか何とか、じつに不器用きわまりないお礼の言葉を娘さんに述べると、足早に詰所から歩み去ってしまいました。

 その背を見送りながら、今度はどうかしらと笑った娘さんでしたが。もう少し話をしていたかったのにと、緑の瞳がちょっぴり寂しげであったことを見逃す琥珀の騎士ではありませんでした。


「そこですかさず、エクセターには羊飼いのパイシェパーズ・パイがあるぞと話しておけばよいものを」

 北の地に伝わる、羊肉と芋を使った名物料理のことを耳にしたならば、好奇心に富んだ娘さんです、ぜひ聞かせてくださいとねだったことでしょうに。まったくあの朴念仁めがと、琥珀の騎士は山吹色の焼菓子へとフォークを突き立てました。

「そういう点は、坊やのほうがよほど積極的だろうに。絵まで描いてダウフト殿のところへ持ってきたくらいだ」

 三つのときに、母上が作ってくれたんだと胸を張る若君が見せたもの――ランスの若き市長が月に一度、使者に命じて聖女さまへと届けさせる詩にも匹敵するであろう絵をしげしげと見つめたあと。

 十三の時から包丁を握っていますけどね、わたしゃこんなきわもの料理は見たことがありませんよと正直にのたまった料理長と、お母さまはいったい何をこしらえたんでしょうと呟いた娘さんとが、そろって頭を抱えていたのはつい先日のことです。

「なかなか侮れませんね、レオ殿は」

 あちこち動き回るぶん、行動の予測がまるでつきませんと嘆息する学僧に、琥珀の騎士が笑いながら同意します。

「何しろ、勢いだけは一丁前だからな。もう少し分別がつけば、レネ殿やマリー殿の目もずいぶんと変わるだろうに」

 遠慮のないことばとともに、切り分けた焼菓子を口に運び。ふむなかなかと琥珀の騎士が評する傍らで、仮面の貴婦人がかすかに身を揺らしました。どうやら笑っておられるらしいと、林檎の蜂蜜づけを食しながら学僧はその姿を見つめます。

「ウィリアム殿、ほかには」

 貴婦人の求めを察したのでしょう。琥珀の騎士が問いかけると、学僧はそうでしたねとうなずいて次の紙を見やりました。

「これはご存じでょうか、ロレッタさんの話なんですけれど」

 馬たちに惜しみなく愛を注ぐ厩舎の親方が、頭が上がらないうえに尻に敷かれっぱなしだと認める女房の名を挙げて、

「先日、エクセター卿がモンマスから戻られたときなんですが」

 見たそうですよと、声を潜めたウィリアムの表情がいたずらっぽいものに変わりました。

「革手袋の端から水色のリボンがこう、ちらりと」

 表面に施されたタイムの刺繍を目ざとく見つけ、まあ粋なお守りですことと笑ったおかみさんに、いやへたな護符よりは効き目がどうとかごまかそうとしたものの。

 あっ俺そのリボン知ってるよと、おかみさんへ明るく答えようとした馬丁見習いの口を慌てて塞ぎ、ブリューナクに水をやってくれと馬房へ引きずっていってしまったのだとか。

「ロレッタさんが笑っていましたよ。エクセターの旦那がお守りを受け取ろうっていう娘っ子とくれば、おひとりに決まっているじゃないかと」

 学僧がつけ加えると、リボンにまつわる騒ぎの仕掛け人は会心の笑みを浮かべました。

「怒れる狼と、半日追いかけっこをした見返りはあったかな」

 笑った騎士に、それを言うならば少しは塩味が効いたと表すべきではと若い学僧は訂正します。

「何といっても、私たちの目標ですからね」

「エクセターの南瓜頭に塩味を効かせるひみつの集い、略してイワカボチャ秘密結社だからな」


 ふざけた名前でも、所属するものたちは至極大まじめ。いくさや雑事の合間を縫って四阿でお茶を囲みながら、見ているほうがもどかしい件のふたりについて、その動向を報告しあい今後の方策を話し合うというじつに能天気な集いです。

 時々ちょっとした陰謀を企んだり、情報提供を求めるなどひそかに活動を続けた結果、今では砦のあちこちに協力者ができるようになりました。ことに奥方づきの侍女から、洗濯場のおかみさんに至るご婦人がたの話の輪――井戸端会議の力がいかに絶大であるかを、琥珀の騎士と学僧はこの数か月で改めて感じておりました。

 とどのつまり、娘さんと騎士のなりゆきは、今や砦に住まう者たちのひそやかにして最大の関心事のひとつとなっていたのです。

 堅牢なる石の砦が白旗を掲げるまであと三月、いや一年とみた、いくら何でも半年が我慢の限界だろうと<狼>たちがこっそりと賭けの対象にしていると知ったり、ご婦人がたがそれはにぎやかに繰り広げる噂話の数々を耳にしたならば、黒髪の騎士は相当打ちのめされるに違いありません。


「エクセター卿が、もう少し積極的になってくださるといいのですが」

 ぼやいた学僧に、それができればなと琥珀の騎士は溜息をついてみせました。

「とはいえ、ダウフト殿の意に添わぬなりゆきでは元も子もない。そこが難しいところだ」

 あくまでも、娘さんのしあわせな笑顔が条件です。そのためには、南瓜頭の命運なぞこのさい二の次、三の次だと騎士は言い切ります。

「見たままの図太さだ、多少ダウフト殿に振り回されるくらいがあやつにはちょうどいい」

 幼馴染の暗躍がもとで、黒髪の騎士が今までに見舞われたさまざまな騒ぎを思い浮かべて。あれらがみな、多少のうちに入るのですかと突っ込みたい気持ちをそっと忍ばせて、のっぽの学僧は口を開きました。

「ずいぶん、エクセター卿に手厳しいですね」

 本当のところは、ふたりがそろってしあわせであることが望みでしょうに。琥珀の騎士ときたら、どういうわけか黒髪の騎士ばかりに試練を課すものですから。

「さしずめ、荒療治とでも言っておくべきかな」

 あのたわけがさっさと自覚すれば、こんな回りくどいことをせずともよいものをとこぼしながら、茶器を口元へ運んだ騎士のまなざしがふと真剣なひかりを帯びました。

「ダウフト殿が天の御使いでも何でもない、地上の乙女だということを」


 神の娘、<母>の愛し子、救国の乙女――<ヒルデブランド>をふるい強大な魔族を討ち取るたびに、剣を抱いた娘さんには新たな呼び名が添えられていきました。いにしえの賢王や、<狼>たちの母となった女王に並ぶやもしれぬ、数多くの名声や賞賛が娘さんに寄せられていることをうらやむ者とて少なくはありません。風の噂によると、エーグモルトに坐す大公さまですら例外ではないのだとか。

 それは娘さんにとって、決してしあわせなことではないのだと琥珀の騎士は呟きました。

「重すぎる枷だ。<髪あかきダウフト>という呼び名そのものが」

 いつ果てるとも知れぬ災厄にあえぐ人々は、<髪あかきダウフト>に今生の救いを求めてすがります。それが続く限り、娘さんはただのダウフトとして生きることを決して許されません。

 友達とはしゃぎながら野や森に遊び、家族と笑いあったりちょっとした諍いを繰り広げたり、胸をときめかせて待ち合わせの場所に向かったり。ごく当たり前のことすらも、<ヒルデブランド>を手にしたその時から、娘さんからは隔てられ遠ざけられようとしていたのです。

 輝かしい聖女の姿は、泣き虫の村娘にとっては呪いにほかなりませんでした。そなたは選ばれたのだよと、はじめに娘さんを担ぎ出した司教たちが口々に述べた、うわべばかりの祝福のように。


 けれども、もしこのいくさが終わったとしたら?

 アーケヴの人々が、もはや誰ひとりとして聖女を必要としなくなったとしたら?

 帰りたい家も、おかえりと出迎えてくれる人とてない娘さんは、いったいどうなるというのでしょう?


「エクセター卿だけなのに」

 僧服の裾に視線を落として、若い学僧はぽつりと呟きました。

「ダウフト殿を、ふつうの娘さんに戻すことができるのは」

「ウィリアム殿」

 貴婦人の御前だぞとたしなめた騎士に、だってそうでしょうと学僧は面を上げました。

「任務任務と、エクセター卿はダウフト殿にいつもそればかりおっしゃいます」

 何の情も抱かず、命ぜられたとおりに淡々と側づきとしての務めを果たすそぶりばかりを見せていました。砦を訪れたある使者が、なぜ聖女さまに監視なぞついているのですと不思議がったくらいです。

「でも結局、ダウフト殿を突き放すことができずにおられるではありませんか」

 娘さんが娘さんらしく、砦で暮らすことができるようにと最も心を砕いたものが誰であるかを、のっぽの若者は見ていました。

 <母なる御方>の御使いにふさわしくと、司教たちがあつらえさせた広い部屋や美しい衣装をすべて放り出して。ひとりぼっちはいやと訴えた娘さんが、婦人部屋で皆とともに寝起きを始めたと知り憤った司教たちへ、野育ちゆえ好きにさせておくがよいのでしょうと説いたのは騎士でした。

 いきなり聖女さまと言われても、どう接すればいいのやらと困惑する人々をよそに、どこからか探してきた糸車や野菜の入った籠を娘さんの前にどかりと置いたのもまた騎士でした。

「働かざる者食うべからず、というだろう」

 そんな一言を残して彼が立ち去ったあと、何て冷たいかただろうと囁きあった人々と、それは違いますと反論しようとした学僧の耳に、同じですという呟きが飛び込んできました。

「この糸車、母さんが使っていたものとおんなじ」

 なくした故郷をしのばせる品々を、じっと見つめていた娘さんのかたく強ばった口元を、ゆっくりとほぐしていった微笑み。魔物に追われて砦に逃げこんでから、ずっと泣いてばかりいた彼女がそこでようやく笑ったのだと、学僧は後になって聞きました。

「任務だけならば、そこまでしようとするはずがありません」

 時々、驚くほどに聡いところを見せる娘さんです。媚びへつらいやいつわりのやさしさなどすぐに見抜いてしまいます。お世辞にも洗練されているとは言えぬ気遣いであっても、そこにかすかなぬくみを感じ取ったからこそ、娘さんは誰よりも騎士を頼りに思うのでしょう。

「なのにあのかたは、どうして肝心のところでいつもいつも」

 もしダウフト殿が涙をこぼすようなことがあったら、わたしは『植物大全』を手に詰所へ乗り込みますよと学僧が拳を握りしめたときでした。


「ダウフト殿もエクセター卿も、よき友に恵まれましたこと」

 もはや、おかしさをこらえきれなかったのでしょう。扇で口元を覆って笑い出した貴婦人へ、

「そのように笑われては、南瓜の淑女ダム・シトゥルイユ

 微笑んだ琥珀の騎士に、あらわたくしとしたことがと応じながら。顔の半分を隠していた仮面をゆっくりと外したのは、なんと奥方さまでした。

「どうやらわたくしに、変装は向いていないようですね」

 雰囲気ですぐに分かると、我が殿や従兄どのにはよく言われたものだけれどと残念そうに呟いた老婦人へ、はじめはたいへんよろしかったのですがと琥珀の騎士は大まじめに進言します。

「とねりこのレオが話にのぼったあたりから、いささか怪しくなってきたものと」

「影の総帥とやらも、なかなか難しいこと」

 今のところ、琥珀の騎士とのっぽの学僧とのふたりが加わっているイワカボチャ秘密結社。そのあるじともいうべき存在こそが、賢くやさしき砦の母君だったのです。

 貴婦人の暇つぶしなどと断ずることなかれ。こちらもたいへん大まじめに、件のふたりを陰に日向に見守りつづけておりました。それが証拠につい先ほども、いちおうさまになるからという理由でディジョン公が催す夜会に黒髪の騎士を遣わそうとした夫君を静かに見つめ――ジェフレのリシャールに変更する、するから奥よ三行半だけはと確約させたばかりです。

「ですが、リボンの顛末は初めて耳にしましたよ。良きほうにことが進んでいると祝しておきましょう」

「葡萄畑のかたつむり並みではありますが、あやつにしては上出来かと」

 なごやかに語り合う貴婦人と騎士に、あのうと遠慮がちに学僧が発言を求めて手を挙げました。

「ずっと気になっていたのですが。その、奥方さまの仮面は」

 何か意味があるのですかとたずねると、まあいやだ、ただの小道具ですよとやわらかな笑い声が上がりました。

「いちおう秘密結社と名乗っているのですもの、何か怪しい雰囲気をかもし出そうと思ったのです」

 じつに楽しそうな奥方さまの様子に呆気にとられ、学僧ははあと間の抜けた返答を返すしかありませんでしたが、

「わずかでもよいのです」

 たとえつたないことばであろうとも、ぎごちない抱擁であろうとも。そう呟いて、砦の母君はふたりの若者へ灰青のまなざしを向けました。

「すこし前に進むだけで、必ずや受け止めてくれるやさしきかいながあると気づくことができれば」

 語る奥方さまの表情は、さながら初々しいおもいに唇をほころばせる乙女のようで――そのむかし、美しい姫君の心をめぐって風来坊の騎士ととねりこの若殿、たわけ者の王弟殿下が繰り広げた騒ぎを師匠から聞かされたっけと学僧はなんとなく思い出していました。


「ウィリアム殿、これからいかがいたしましょう」

 奥方さまにやんわりと声をかけられ、我に返った学僧は慌てて最後の紙をめくりました。

「レネさんからの報告です。こんど町で催される聖母の祝祭を、ダウフト殿がとても楽しみにしておられるとか」

「しぶしぶ出かけることを承諾したか、南瓜頭め」

 そう評した琥珀の騎士に、問題はここからですと学僧はにわかに悲壮な面持ちになりました。

「<帰らずの森>の二の舞にならぬよう取りはからえと、レネさんからのげ、厳命が」

 できなかったらわたしは逆さ吊りですと震え上がった学僧の肩を、琥珀の騎士はいたわるようにそっと叩きました。

「ならばこの場で、じっくりと話し合おうじゃないか」

 いいはなしを聞いたと呟きながら、ありとあらゆるたくらみを頭の中にめぐらせ始めたらしい琥珀の騎士に、はあとうなずいて。

「お菓子はいかが、ウィリアム殿」

 にこやかに笑った奥方さまに、あっではそちらのプディングをと答えながら。

 じつに物見高い人々が集う東の砦にあって、ある意味実現が難しいこの命題にどうやって解を導くのかと、若い学僧は思い悩むのでした。



 さて一方。

「……ぬうんッ!」

 裂帛の気合いとともに、鋭き斧の一撃が振り下ろされました。

 ごつりと鈍い音がしたかと思うと――薪割り用の切り株の上でぱっくりとふたつに割れたのはイワカボチャでした。

「終わりましたぞ、ダウフト殿」

 ほっくりと甘く美味なることで知られてはいるものの、名が示すとおり外側が岩のように硬いため、食すまでにかなりの手間を要する野菜を軽々と手に取って、砦の<熊>どのはさわやかな汗をぬぐいました。

「ありがとうございます、ウルリックさま」

 髭面の巨漢から割れた南瓜を受け取って、これで今日のぶんは大丈夫ですと笑う娘さん。周りには、芋と玉ねぎの代わりにたくさんのイワカボチャが積み上げられています。

「できあがったら、ウルリックさまへもお届けしますね」

 ノリスさんにお願いしておきますと話す聖女さまへ、それは楽しみなことですなと笑ったリキテンスタインの若き当主どのは、こちらへと近づいてくる姿を見とめました。

「またつれなき叡智ソフィアとの逢瀬か、ギルバート」

 おぬしも諦めが悪い男よとからかってくる戦友に、本を手にした黒髪の騎士はやかましいと応じようとしましたが、

「何をしている」

 籠いっぱいに積み上げられた南瓜の山と<熊>どの、そして娘さんという何とも珍妙な取り合わせにすこし驚いたようです。

「ノリスさんのお手伝いです」

 のんびりと答えると、娘さんはこれから中身をくりぬくんですよと籠に近づきました。

「南瓜のお菓子を作るから、下ごしらえをしてくれって」

「菓子?」

 問い返した黒髪の騎士に、あら知らなかったんですかと娘さんは目を丸くします。

「リシャールさまが、お茶会に持ってゆくいいおみやげはないかと相談に来られて」

 にこにことする娘さんとは対照的に、黒髪の騎士は怪訝そうな面持ちになりました。

 奥方さまが週に一度催す詩作や音楽の集まりに、幼馴染が時々招かれていることは知っていました。けれども長いつき合いを振り返るかぎり、かつてジェフレ家の小猿と呼ばれた名うてのいたずら小僧に、詩作の趣味があったとはとうてい思えません。

「わたしもお菓子を分けてもらえるから、この仕事は大好きなんです」

 今度はビスケットかしらと、重たげな籠へと手を伸ばした娘さんでしたが、

「あの」

 籠を抱えるはずだった手に渡されたのは本でした。見れば南瓜たちは、黒髪の騎士に籠ごと担がれて厨房へ向かっているではありませんか。

「ギルバート、それはわたしが」

 呼び止めようとした娘さんでしたが、まあ待たれよと<熊>どのに留められました。

「好きにさせておくがよろしかろう。なにぶん臍曲がりのピクシーゆえに」

 にやりと笑うさまは、泣く子と魔族も黙る凄味さえ漂っていましたけれど。娘さんを見つめる大男のまなざしは、たいそうあたたかいものでした。

「追いかけてはいかがかな」

 回廊をゆけば、わずかながら話をするひとときもできましょうと笑った<熊>どのに、ありがとうございますと弾むようなお礼を述べて。娘さんは先を行く黒髪の騎士の後を追って駆け出しました。さても初々しきことよと手を振りながら、

「<母>と南瓜の加護があらんことを」

 近いうちに、己が身に迫る災難などつゆしらず。

 追いついた娘さんが嬉しそうに語るできごとに相槌をうちながら、みずからの命運を決するおやつとなる南瓜たちを運んでゆく黒髪の騎士へそっとしるしを切って。

 我輩もそろそろ、リシャールの誘いに乗ってみようかと<熊>どのが呟いたことは、傍らでぎらりと輝いた斧だけが知っています。


(Fin)

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