真相はいずこ
むかしむかし、あるところにひとりの騎士がおりました。
王さまからの呼び出しを受けお城に参じるほかは、故郷の館でのんびりのどかな田舎暮らし。
城で身を立てることを考えてはどうか、そなたならば由緒正しき姫君を花嫁に迎えたとて何ら不足はないものをと、宮廷の人々は口々に申しましたが、騎士は笑って首を横に振るばかり。はなやかなお城とは比べるべくもない暮らしぶりでしたが、冷たい
そんなある日、若い騎士は海辺へ散歩に出かけました。
冬には白い牙を剥き天を呪う北の海も、生きとし生けるものが春の歌をうたいあげる季節には穏やかな紺碧が広がっています。
弟や妹を連れてくればよかったかと思いつつ、さざ波と追いかけっこをしたり、きれいな貝を拾ったりして楽しんでいた騎士でしたが、ふと近くの岩場でごろりとくつろぐあざらしの群れを見つけました。
いずれ劣らぬ、ぼってりとみごとな体格を誇るあざらしたちを、近くで見るのは初めてだなとのんきなことを思った騎士の前で信じがたいできごとが起こりました。彼のすぐ近くにある岩場で、ぼてっと寝そべっていた雌のあざらしがひょいと立ち上がったのです。
あざらしとは、あんなにすぐ立ち上がるものだったろうか。
考えこむ騎士の前で、当のあざらしは何を思ったのかいきなり身に纏っていた毛皮を脱ぎ始めました。
あざらしの毛皮とは、服よろしく脱げるものだったか?
あんぐり口を開けたまま、信じがたい光景を見つめる騎士の目を、冬の曇天からこぼれ落ちる陽光のようなきらめきが射ぬきました。見れば今まであざらしが立っていた場所では、美しい金髪をなびかせた可憐な乙女が思いきり伸びをしているではありませんか!
見てはいけないものを見てしまった。
何度も自分に言い聞かせながら、若い騎士が抜き足差し足でその場を離れようとしたときです。
「誰っ?」
いきなり放たれた誰何に、騎士は思わず間抜けな叫びを上げてしまいました。それを聞きつけた金髪の乙女が、岩場から顔をのぞかせ騎士の姿を見とめるなりきゃあと悲鳴を上げました。
「見たわね」
きっと睨みつけてくる乙女に、いいや何もと騎士は懸命に首を横に振りました。
「ぼってりが脱いだらすらりに化けたなんてそんなことは」
「やっぱり見たんじゃないの」
人間に知られてはならない掟なのにと、元はあざらしだった乙女は騎士に迫ってきます。気がつけば彼の周りを、彼女の同胞であるらしいあざらしたちが取り囲んでいます。
あざらしが人に化けるなんて子供のころに聞いたおとき話だとばかりといやそれよりもこのあざらしたちから放たれるあふれんばかりの闘志は何なんだと、騎士は心で懸命に救いを求めました。
「さあ、どうしてくれるの」
「どうするもこうするも、いっそなかったことにしてお互いさようならで」
「それじゃはなしにならないわ」
聞けば彼女の一族では、人に姿を見られた者はしばらく
「わたしは陸のことなんてわからないし、知り合いもいないわ。可憐な乙女がこのままのたれ死にするかという瀬戸際なのに、あなた何とも思わないの」
「だからわざとじゃないと言っているだろうに」
どこまでも堂々めぐりになりかけたふたりを、今まで黙っていた他のあざらしたちがまあまあと制しました。
「ここで立ち話も何だから、海の中でじっくり話し合っちゃどうだい」
「我々はかまわんが、人間のほうが息が続かずに溺れるぞ」
「だが我ら一族の娘を、このままほったらかしというわけには」
まあ、ばれたからには仕方がない。
そう開き直ったかのように、流暢な人間のことばで議論を交わし合うあざらしたちを呆然と見つめていた騎士の耳に小さなくしゃみが届きました。見れば、ことの元凶となったあざらし娘が海風に身を震わせているではありませんか。
毛皮の下が、薄い服一枚では当然だろうに。
かすかに溜息をつき、騎士は羽織っていた上着を脱ぐと乙女へと差し出しました。
「やさしいのね、あなた」
なぜか頬を染めた乙女に、陸の風をなめるんじゃないと騎士は返しました。
「あざらしの都がどんな所かは知らんが、陸の冬は身を切られるように厳しいんだ」
「あら、でも春はとても美しいでしょう。わたし知ってるわ」
海から顔をのぞかせたとき、きれいな花がたくさん咲いていたものとあざらし娘は楽しげに応じます。
「陸の花を摘んでみたいって、お母さまにねだったこともあるけれど。海から離れてはいけないと言われてあきらめたの」
でも今度は、海から離れなくてはならないのねとさみしそうに呟いた乙女に、だったら海辺に住めばいいだろうと騎士は返しました。
「うちの館は海辺に近いんだ。ここへ来て父御や母御にお会いすることもできるだろう」
掟破りの罪とやらを償うまで部屋ぐらいは貸してやると、あざらし娘の行く末にいささか責任を感じ始めていた騎士がそう告げようとしたときです。
「はなしはすべて聞かせてもらったぞ」
それまで巌のように動こうとしなかった、巨大な雄のあざらし――あざらし一族の長が口を開きました。
「我が娘にふりかかった大いなる苦難を、身を挺して救わんとは。誓いをたやすく反古にするひとの子にしては、まことあっぱれな心意気」
「……娘?」
どっしりと貫禄にあふるるあざらしの長と、すらりとしたうるわしき乙女とを騎士は思わず見比べました。おそらくあざらし娘のように、毛皮を脱げば堂々たる初老の殿が現れたに違いありませんが、どうにもつながりません。
「掟を破りしものは、愛する荒海を離れ陸にて罪を償うがさだめ。娘の行く末を思うと、我も妃も身を切られるようなおもいであることよ」
「いや、だからあれは不幸な偶然で」
騎士のことばをきれいさっぱり聞き流し、感極まったあざらしの長ははらはらと涙を流します。
「いとしき我が娘をゆだねるに当たり、婿殿には是か非でも我らが都に来訪いただきたく」
「なんでそうな――」
反駁しかけた騎士の口をはたと塞ぎ、妙案ですわお父さまとあざらし娘はにこやかに応じました。
「都で待つお母さまにもお逢いしていただきたいわ。きっと驚きます」
「俺はあざらしじゃないぞ」
どこにあるとも知れぬ、あざらしたちの都になぞ連れていかれてたまるかと訴えた騎士に、あら心配はいらないわとあざらし娘は応じました。
「あなたも、これを着れば済むことですもの」
乙女がそう言って指し示したのは、一頭のあざらしが鼻先に乗せてうやうやしく差し出してきた真新しい毛皮でした。陸の人間たちがとうの昔に忘れ去ったふしぎな魔法の品で、これをまとうと海中を滑るように泳ぎ息をすることができるのだとか。
「ささ、婿殿。どうぞ受け取ってくだされ」
どうにかして、この危機的状況から逃げおおせなくてはとあたりを見まわした騎士でしたが。
今や、まあるい瞳にきらきらとした期待をこめて彼を見つめているあざらしたちに、まともに正面突破を試みたところで勝ち目がないのは明らかでした。それよりも逆に、娘を見棄てて逃げるのかと怒り狂ったあざらしの長に巨体で押しつぶされかねません。
「どうなさったのかな、婿殿」
「着かたがわからないなら、わたしが手伝ってあげましょうか」
「結構ッ」
ぶんぶんと首を横に振り、あざらしの婿になどなる気はない、なってたまるかと目で訴えた騎士でしたが、うるわしき乙女はあら遠慮なさらないでと頬を染めて微笑みました。
「いとしき背の君の着替えを手伝うのも、妻たる者の役目ですもの」
「そんな安直な」
いいのかそれでと訴えた騎士の身を、あざらしたちが逃すまいとがしりと押さえました。
放せ、放してくれと叫ぶ騎士に、用意はよろしいかしらと毛皮を手にしたあざらし娘と、いつの間にかひとの姿に身をやつした数名の女たちが近づいてきます。
「まあ、りっぱな毛皮ですこと」
「濃き灰色の地にうっすらと掃いた銀の色合い。都の最新流行だそうですわ」
「姫さまのお婿さまになられるかたならば、さぞお似合いになることでしょう」
「はじめは窮屈かもしれないけれど、慣れれば快適そのものよ。人間の姿で泳ぐなんてばかばかしくなるぐらい」
「――」
「さあ、覚悟を決めてちょうだい」
「嫌だーッ」
やわからな北の春空と紺碧の海の下、寄せては返す波の音に混じって、救いを求める男の悲鳴がとどろきました。
それから、一月ほど後のこと。
海辺に散歩に出たきり戻らぬ若者の身を案じ、家族や友人が懸命に探していたところへ件の騎士がひょっこりと姿を現しました。
いったいどこにいたのか、何をしていたのかと、無事を喜びつつも不思議がる人々へ、なぜか頭に海草と珊瑚と貝殻でできた冠を乗せた若い騎士は、大波にさらわれ溺れかけたところを外つ国の船に救われたこと、船の持ち主であったさる領主の娘御に見初められ華燭の典を挙げたことを言葉少なに語りました。
その表情は、何かとんでもない目に遭ってしまったという訴えに満ちみちておりましたが。
故郷の人々ときたら、若い騎士の傍らへ寄り添い、しあわせそうに微笑んだ美しい嫁御にすっかり目を奪われ、その幸運をたいそううらやんだものですから、彼を見舞った不幸にはだあれも気づいてはくれませんでした。
そうして不思議なことに、美しい花嫁を迎えた騎士の家ではなぜか海の幸には事欠かず、子供たちや孫たちはみなそろって泳ぎが得意だったそうな。
めでたし、めでたし。
◆ ◆ ◆
「……リシャールさま」
はなしを聞き終え、たいそうもの問いたげな顔をした聖女さまに、これもエクセターに伝わる昔ばなしですと琥珀の騎士は応じました。
「人魚やあざらしにまつわる言い伝えは、たいていは悲しいものが多いのですが」
なぜかこれだけがじつに間抜けでとぼやいた騎士に、実はご先祖さまだったりしてと娘さんは素朴な疑問を発しました。
「ギルバートのおうちみたいに、羊に呪われるのとおんなじなんてことは」
「いやそれがダウフト殿」
俺が七つ、ギルバートが六つのころですがと琥珀の騎士は複雑そうな面持ちで続けました。
「ふたりで海岸に遊びに行ったとき、なぜかあざらしに魚をもらったことが」
さあ食べろと言わんばかりに胸を張るあざらしを前に、それぞれにみごとな鱈を手にして困惑するふたりの子供。そこへやってきたのが年長の子供たち――琥珀の騎士の兄や姉、黒髪の騎士の兄と近隣の少年少女たちだったのですが、
「四番目の姉と、ダグラス家の兄弟はにしんをもらっていました」
「……」
「五番目の兄と、パーシー家の一人娘は蟹でした」
「…………」
「極めつけにエドワード殿――ギルバートの兄上と、二番目の兄は鮭を」
新鮮な海の幸を手に、これをどうしろというのかと悩む人間の子供たちへ、まあがんばれよと言わんばかりに尾を振ると、謎めいたあざらしは堂々と海へと帰っていったのだとか。
「後で聞いたところによると、郷里一帯ではなぜかあざらしに好かれる子供が多いとか」
「お話は、ほんとうだったんでしょうか」
力なく呟いた娘さんに、なべては<母>のみぞ知るですと琥珀の騎士は溜息をつくのでした。
そうして、同じころ。
あざらしじゃないんだからなと、あっさり抜き去られたことをたいそう悔しがるわがまま侯子を尻目に、黙々と遠泳の教練をこなしてゆく黒髪の騎士の姿があったとかなかったとか。
さて、真相はいずこに?
(Fin)
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