つながってる
いつか、どこかの空の下。
軍馬がいななき、騎士や兵士たちが闊歩するいくさ場でのできごとだ。
「ロラン殿」
まるで宮廷をそっくりそのまま移したかのような騎士諸侯の陣地からは、遠く隔てられた場所。エクセターの陣地を訪れた来客に、がたつく椅子に腰かけて故郷からの手紙を広げていた北の騎士が漆黒の双眸に驚きを満たす。
「届け物だよ、エドワード」
先日馳走になった林檎酒の礼だと、高価な葡萄酒の壺を掲げてみせたとねりこの侯子に、よろしいのですかと北の騎士は問いかける。
「アンジューの殿やカレー伯が探しておられましたよ。ロラン殿はいずこにおわすのかと」
「わたしとて、たまには息抜きくらいはさせてもらいたいのだがね」
そう肩をすくめたものの、なぜにデュフレーヌ家へ仕える騎士たちが、わざわざここまで赴いたのかロランにはその理由が容易に知れた。さしずめ世継ぎの君におもねろうとする田舎騎士へ、思い上がらぬようにと釘を刺しにきたのだろう。
譜代意識の強い彼らに、ずいぶんと嫌な思いをさせられたことだろうに、
「座り心地は最悪ですが、いまある椅子の中ではがたつき具合はましなほうです」
のんきな口調で別の椅子をすすめてくるエドワードの表情からは、そんな様子は微塵も読み取ることができない。
友誼を結ぶ者はしかと選ぶがよいと、若き日に破天荒な恋敵をはじめ悪友どもにさんざん翻弄された父はぼやいていたものだが。黄金のとねりこを戴く身は友を得るにも難儀するらしいと、少々右斜めに傾いた椅子に腰かけて、誰もがうらやむ境遇を一身に集めた南の侯子は嘆息する。
そんなロランの憂いをよそに、杯の支度をと従者の少年を呼ばわるべく立ち上がったエドワードの手が、小さな卓に置かれていたものにぶつかった。
身をかがめ、敷物を広げた木の床に落ちたそれをロランは拾い上げる。淑女がたの溜息を誘う、秀麗な面差しを思わずぽかんとさせたのは、手にしたものがこの場にはまるで似つかわしくなかったからだ。
「どうして人形が?」
それも素人の手作りであるらしい。樫の木を丁寧に削り、手足が動くように簡単なしかけを施された騎士の人形が、のんきな表情をたたえてロランを見上げている。
「弟から届いたのです。護符代わりにと」
剣の稽古より読書を好むという、エドワードの弟についてはかねてより聞き及んでいた。ささやかな酒席で故郷のことにはなしが及ぶと、とねりこ館で待つ妃や息子を自分が話す時と同じように、幼い弟を語るエドワードの表情が、何とも穏やかであたたかいものに満ちるさまを見てきたからだ。
「おもちゃの剣には見向きもしませんでしたが、なぜかこれは気に入ってくれました」
作ったかいがありましたと笑うエドワードに、君がかとロランは驚きのまなざしを向ける。
「道理でその、表情に趣がというか何というか」
「無理を言わずとも結構ですよ、ロラン殿」
勇ましい顔を描こうとして失敗しましたと、己が画力を嘆きつつもエドワードはロランから小さな英雄を受け取った。よく見れば、騎士の人形には所々小さな傷がつき、塗られた色が少しはげ落ちている。無心に遊んだであろう幼子の守りをつとめたあかしが、彼の身を勲として飾っているのだ。
「弟が生まれたときに贈ったものです」
エドワードと妹のマティルダから少し離れ、久々にエクセター家に生まれた赤ん坊は、両親をはじめ親族や近隣の人々から大きな喜びをもって迎えられた。
丈夫に育つように、りっぱな騎士になるようにと、大人たちが次々に祝いの品を持ち寄るのを見て、自分も弟へ何か贈ってやろうと十四の少年なりに考えたらしい。
「はじめは羊のぬいぐるみを持っていったのですが、大人たちからは全力で止められました」
「それはそうだろう」
当人たちには不幸のきわみでも、周りには笑いと騒動をもたらすエクセター家の呪いを思えば、至極当然のなりゆきだ。思えばエドワードの無駄な情熱こそが、弟へ羊の悲劇をもたらした元凶ではないのかとロランは突っ込まずにはいられない。
「ならば何にしようかと悩んでいたところ、村の年寄りが人形を作っているところを見かけて」
作り方を教えてくれと頼みこみ、何度も何度も失敗しては、どうにかかたちになったものを組み立てて色を塗り、小さな騎士にいのちを吹き込んでいったのだという。
「はじめて彼を見せたとき、それまでぐずっていた弟が笑ってくれました」
まるで昨日のことのようだと、とぼけた顔の人形を見つめてエドワードは呟く。
いくさ場に赴いた肉親や思い人のためにと、残った者たちが装身具や髪の一房を護符として用意するさまを見て、自分も兄へ何か贈ろうと奔走する幼い弟の姿を思い浮かべたのかもしれない。
子供なりに精一杯の知恵をしぼり、ひみつの宝箱をひっくり返し、あれこれ迷った末にいくさ場へ赴く栄誉を与えたのがこの小さな英雄というわけだ。護符と呼ぶには大きすぎようが、幼き日をともに過ごした彼ならば、きっと兄を守ってくれると信じたのかもしれない。
「ロラン殿」
穏やかな声に、南の侯子はどうしたのかと問い返す。
「月がめぐれば、ロラン殿は一度デュフレーヌに帰還なさいますね」
本陣を取りしきる重鎮たちによって、急遽取り決められた事柄だった。
魔族との衝突が避けられぬ今、なにゆえ兵力を削減する愚を犯すのかというロランやシロス伯らの抗議は、大公閣下はエーグモルトへの帰還を強く望んでおられるという廷臣たちの言葉に阻まれることとなった。
いまは異形どももなりをひそめておる様子、そう案ずることもあるまい。
エクセターやリキテンスタインのごとき武辺か、傭兵どもに一任すればよいこと。それが彼奴らのなりわいであろう。
偉大なる王の御代から貴なる血をつらねし我らを、しもじもの賤しい血を平然と交える騎士家などと等しゅう扱われてはかなわぬわ。
自分へ当てこするためだけに、友を貶めたさる貴族をきっと見据えて。
円卓のアルトリウスこそ、貧しき境遇といくさの泥濘から這い上がり母なるくにを築き上げた御方。その誇りを饐えさせ黴を生じせしめたは誰かと大喝したロランを、居並ぶ諸侯たちが慌ててとどめたものだ。
それでも、本陣に居すわる重鎮たちには何ひとつ響きはしなかったようだ。
デュフレーヌのロランは領地への帰還を命ぜられ、エクセターのエドワードはせめて一度と願い出た帰郷すら許されぬままとどめ置かれ、次のいくさ場へと駆り出されていく。
「君が向かうのは、ソーヌだったな」
ここからは馬で半月ほどかかる、壮麗な大聖堂を擁した街道の要衝だ。もし魔族がかの町を狙って現れたならば、文字通り生命を棄てる覚悟で臨まねばならぬだろう。
死の舞踏に興じ、破滅の崖淵へと突き進んでいるのはむしろ我らのほうではないのか。かたく手を握りしめたロランに、エドワードの穏やかな声が届く。
「実は、ロラン殿にひとつだけお願いがあるのです」
おこがましいとは承知の上ですがと笑った北の騎士に、能うかぎりのことをとロランは応じる。とねりこの世継ぎでありながら、何ひとつ友の助力になれぬ自分にもできることがあるならばと願わずにはいられなかったからだ。
「彼を預かっていただきたいのです」
そう言ってエドワードが差し出したのは、のんきな顔をした騎士の人形だった。
「なぜ」
弟くんが君の護りにと、わざわざ贈ってくれたものだろうと問うたロランに、だからこそですとエドワードは笑った。
「騎士は騎士でも、彼があるじと仰ぐのは頑是ない幼子です。明日をも知れぬ我が身につきそい、いくさ場に放り出されて泥にまみれ、ばらばらに踏みにじられるのではあまりにも哀れ」
自らが赴く先がソーヌと知って、何かを予感しているのか。
「ならば、いちばん信の置けるかたに託したい」
はるかなる故郷へ、我が身の代わりにせめて小さな騎士だけは帰したいと願ったのか。
「もし、ロラン殿が我が弟に会うことがおありならば」
馬上から振り返り眺めやった丘の上で、いつまでも父と自分を見送っていた弟と、二度とまみえることはかなわぬと知ったのか。
「その時には弟――ギルバートへ、彼を返してやってほしいのです」
「断る」
いつになく厳しい口調で応じた南の侯子に、北の騎士は驚いた表情をみせたのだが、
「小さな英雄は預かろう」
エドワードの手から素朴な人形を取り上げて、ロランは鋼玉の双眸で友を見やる。
「だが、弟くんに彼を返してやるのは君の役目だ」
わたしではないぞと、真摯な面持ちでことばをつづけたとねりこの侯子に、エドワードの表情に理解の色がたちのぼる。
「ではいくさが落ち着いたのちに、彼を引き取りにとねりこ館を訪ねることにします」
南へはまだ旅をしたことがありませんでしたからと笑う北の騎士に、ならば我が妃の料理も味わってゆくといいとロランはつけ足した。
「いずれ劣らぬ美味なれど、紺碧のスープに海老や貝が舞い踊る料理だけは大いなる謎だよ。弟くんへの土産話になるだろう」
「ベランジェールの白薔薇と名高き、うるわしい奥方へのあなたののろけを耳にするだけで腹が満たされそうですよ。ロラン殿」
「なに、いずれ君にもわかるようになるさ」
やんちゃ坊主の襲撃も覚悟しておいてくれとつけ足したロランと、大抵のいたずらは弟とジェフレ家の末っ子で慣れていますからと笑ったエドワードを、とぼけた人形が微笑むような面持ちで見上げていたのは誰も知らないはなし。
◆ ◆ ◆
「レオ」
<南の宮廷>と、詩人たちがこぞって壮麗さとみやびやかさをうたいあげるとねりこ館の一画、世継ぎの君とその妻子が水入らずで過ごす庭園で。
これ若さま転びますぞと、トマス爺やが懸命に追いかける先できゃっきゃとはしゃぐ息子の手に握られた、のんきな顔をした騎士の人形にロランは目を見張る。
「それをどこから」
たからさがしだぞと宣言してロランの私室にもぐりこんだ折に、幼子には手の届かぬ場所に置いてあった人形を見つけ出し、持てる限りの勇気と知恵を駆使して獲得に成功したらしい。
すくすくと育ちゆく我が子の姿は、父としてはじつに喜ばしい限りなのだが。
人形を置いていた飾り棚には、幼子が登頂を試みた痕跡――棚の前まで引きずっていったらしい椅子と、それぞれの段にかわいらしい靴跡がくっついている。何もこんなかたちで武勇を示さずともとよかろうにと苦悩する父をよそに、当の幼子ときたら小さな英雄を手に得意満面ときたものだ。
いくさ場に赴いた友から託された、大切な品だというのに。館じゅうに騒動を巻き起こすやんちゃ坊主にかかっては、いかな英雄といえどもひとたまりもあるまい。
「それを返しなさい、レオ」
「やだ」
父に向かってにべもないことばを返すと、幼子は人形をぎゅうと抱きしめる。徹底抗戦の構えを見せる息子に頭を抱えたロランに、ずっとあの調子ですのと告げたのはエルヴィラだった。
「殿のお部屋で出逢ってからというもの、レオは騎士さまが大のお気に入りなのです。寝るときも起きるときもいつも一緒で」
清楚な美貌を困惑に彩る妃の言葉に部屋を眺めわたせば、かわいい孫のためにと両親が選りすぐった立派な木馬やふかふかのぬいぐるみが、あるじにかまってもらえぬさみしさをあちこちで訴えている。父が見たら悄然としそうな光景だなと嘆息すると、ロランはどうにかならぬものかと妃へ投げかける。
「あの人形は、エドワードからの預かりものなんだよ。彼の弟に返さなくてはならない品だ」
「わたくしも取り戻そうと試みましたわ。けれども、それと察したとたんにひどく泣いて」
エクセターの騎士さまの持ち物と知れたら、ますます手放しませんことよと告げた母のことばを、どこで聞いていたのやら。
「えくせたー?」
ふいに聞こえた幼い問いに、侯子と妃はぎくりと顔を見合わせる。そうっと視線を向けてみれば、いつの間にか側へやってきた幼い息子が、大きな目でじっとふたりを見上げているではないか。
「れ、レオ」
父から聞かされた、遙けき北の地に住まう勇敢な騎士たちのはなしを思い出したのか。それまで抱えていた人形を両手で持ち上げてのんきな顔をじっと見やり、
「えくせたーだ」
ぱあっと輝くような笑みを浮かべると、幼子はまたもや人形を抱きしめる。
「……姫さま」
幼きころから側に仕え、デュフレーヌに嫁ぐ際にも付き従ってきた爺やの呼びかけに、まあどうしましょうわたくしったらと妃が慌てるさまに、これで息子が小さな英雄を手放す可能性はますます低くなったなとロランは確信する。
ならば、いっそ。
「レオ」
「なあに、とうさま」
無邪気に問いかけてくる息子の腕から、人形を取り上げるのはたやすいことだったのだけれど。そうすることなく、ロランは幼子の前にかがみこみ、近しい目線で話しかける。
「その人形は、エクセターの騎士が持っていたものだよ」
「ほんと?」
青い瞳を輝かせる息子に、ほんとうだよとロランはうなずいてみせる。
「エクセターの騎士は、今とても遠いところにいる。父さまは館に帰ってくる前に、かの騎士から人形を預かったんだよ。魔物にとられたりしないようにと」
「魔物なんかにやらないもん」
小さな腕で騎士の人形を抱きしめた幼子に、エクセターの騎士もそう思ったんだよとロランは穏やかに言葉を続ける。
「今度のいくさが終わったら、エクセターの騎士がとねりこ館へやってくる。父さまに預けた人形を返してくださいとね」
「えくせたーの騎士がくるの?」
全身で喜びを表すとは、まさにこのことを指すのだろう。
「ほんとにくるの? とうさま」
「ああ、そうだよ」
「あそんでくれる?」
多少のことならば、弟とジェフレ家の末っ子で慣れていますからと笑っていたエドワードの姿が浮かぶ。
子供ふたりの襲撃に、彼の私室は毎回いくさ場のごとき様相を呈していたというが、果たしてデュフレーヌ家最強のやんちゃ坊主に、どこまで持ちこたえることができるのやら。
「そうだね。レオがちいさな英雄と仲良くしてくれるなら」
もし彼が放り投げられたり、踏んづけられたりしたら、エクセターの騎士はとても悲しむだろうねと告げた父の言葉を、幼いなりに理解したのだろう。
「なかよくする」
決意とともに告げた息子に、じゃあ父さまとも約束だとロランは微笑む。
「エクセターの騎士が館を訪れるまで、仲良く遊びなさい」
「はあい」
元気よく返事をすると、幼子はぼうけんのたびにでるぞと宣言してふたたび庭を走り出す。ああこれ若さまと、慌てて後を追いかけ始めたトマス爺やを見て、よろしいんですのと妃が問うてくる。
「小さな騎士さまを、取り戻すこともおできになれましたのに」
「無理やり引き離すのもなんだかかわいそうな気がしてね。エルヴィラ」
エドワードには謝っておかねばなるまいなと、庭を転げ回る息子の姿を眺めやりながら呟くロランに、ではわたくしも腕によりをかけますわとエルヴィラは微笑む。
「エクセターのエドワードさまは、どのような料理がお好みなのでしょう。鶏のローストに羊飼いのパイ、それとも海の幸をふんだんに使ったものを」
「貴女が誇る<紺碧のスープ・ベランジェール風>はぜひ加えてくれ、エルヴィラ」
蓋を取ったときの彼の顔が見てみたいんだよと告げたロランと、まあ殿ったらこどものようと呆れながらも楽しげな笑い声を上げた妃の前で。
おおきな金のひつじだぞーと、昔ばなしの騎士に扮した幼子の手にしっかと握られ、ぶんぶんと振り回されているとぼけた顔の人形が、なんだかくるくると目を回しているように見えたのもここだけのはなし。
けれども、楽しい語らいはいつまでも続くことはなく。
異郷の友のためにと、若い侯子と妃が懸命に考えたささやかなもてなしは、ソーヌからの使いがもたらした知らせに慟哭とかき消えて。
そうして、さらにのち。
魔物の爪痕を所々に残した庭園にぽつりとたたずんだ、父と母を喪った幼子が、かたく口をひき結んだまま腕に抱えていた人形の頬に、涙とも雨粒ともつかぬものがころりと落ちたことは、誰の目にも留まることもなく忘れられ――
◆ ◆ ◆
「どうしたんですか、その騎士さまは」
小刀を机の上に置いて一息ついたレオに、洗濯籠を抱えたダウフトが問いかける。木の削りかすがちらばった机の上から、のんきな顔をした騎士の人形が村娘を見つめていたからだ。
「ああ、僕が子供のころに遊んだやつだ」
「とねりこ館の奥方さまから届いたおもちゃですね」
町の聖堂へ使いにやらされた折、一緒についてきたアネットが、遊び仲間である靴屋の娘が大事そうに抱えていたぬいぐるみを見て、母ちゃんだってつくってくれたもんとさみしそうに呟いたことがきっかけだった。
そういえば砦の子供たちのほとんどが、おもちゃどころか着の身着のままで砦に保護されねばならなかったことを思いだし、自分や父、三人の叔母たちが幼い頃に遊んだおもちゃやぬいぐるみを送り届けてもらったのだという。
「その時に、うっかりまぎれこんだらしい」
砦ではめったに見ない山のようなおもちゃに、おとなたちはなつかしいなと微笑みをかわしあい、子供たちは当然のごとく大はしゃぎ。
アネットこれにすると、かわいい仔羊のぬいぐるみを抱きあげた未来の戦乙女は、まだ幼すぎるためにおもちゃの争奪戦からあえなくはじき出され、涙を浮かべる小さいマノンに気づいたらしい。
マノンにあげると仔羊を譲り、ふかふかの感触に幼子がぱっと笑顔を浮かべるさまを見て、未来の戦乙女は叔母のひとりが気に入っていた人形を選びとった。あっちで遊ぼうねと、手をつないで駆けていったふたりの幼子にほっとしたのもつかの間。
ふと目をやれば、山ほどのぬいぐるみや木のおもちゃの間から、見覚えがあるとだけではとうてい言いつくせぬ騎士の人形がひょっこりと顔をのぞかせている。
なんでこれがここにあるんだと大いに慌て、レオ兄ちゃんも遊ぶのと無邪気に問いかけてきた子供たちに、ああそうだとかなんとか適当にごまかしつつ、小さな騎士を引き上げてきたのだという。
「たぶんお祖母さまだな」
僕がこの騎士を放さなかったのを知っておられるからとぼやくあるじから、小さな騎士は新しい盾を賜る栄誉に預かったらしい。先日レオの私室に侵入した小鬼に、それまで馴染んだ盾を壊されるという悲運に見舞われたからだ。
「もとの盾に、できる限り似せてみたんだ」
とねりこの侯子なりに苦心したのであろう、よれよれの紋章が描かれた盾を得意げに示されて。どう答えてよいものやら真剣に悩みつつも、ええとそのう、レオらしいですねとダウフトは答えるだけにとどめる。
それでも、小さな騎士が少年のお気に入りであったことは間違いない。宝探しや騎士ごっこ、隠れんぼとやんちゃ坊主がくり広げた数々の冒険につき従ってきた幼子の護り手は、そんな思い出をかすかな微笑みにとどめているかのようだ。
「お父さまとお母さまからの贈り物ですか?」
「父上は、エクセターの騎士から預かったと」
三つか四つの幼子であったために、詳しい事情を知らぬままに父や母とは分かたれてしまったけれども、
「だから僕が、こいつの持ち主を見いださないといけないんだ。父上との約束だからな」
小さな騎士の盾を損壊せしめた小鬼は、ある男によって生け捕りにされ、へぼ詩人がしたためた愛の賛歌をこれでもかと読み聞かされるおしおきを食らったあげくに森に放り出されたが。
異界から渡りきた忌まわしきものたちは、ひとの大切なものや守るべきものを一番に見抜き、それを損なうことに昏い喜びを見いだす。また私室に忍び込まれ、亡き父からの大切な預かりものを壊されたのではたまったものではない。
「爺やは歳が歳だから、魔物を撃退するなんて無理はさせられないし」
しばし思案にくれた少年が、何を思ったかぽんと手を打ちダウフトに向きなおった。
「そうだ、ダウフトが預かってくれないか」
「わたしが?」
唐突なはなしに、驚く間もなくダウフトの手のひらに木のぬくみが伝わってくる。
「詰所だと、坊主が人形ごっこかなんてからかわれるしな。じゃじゃ馬なんかにばれたらそれこそ笑いものだ」
だからダウフトがいちばんだと、妙案にひとりうなずくレオに、でも大切なものなのでしょうと言いかけたダウフトが驚きに目を見張る。
「ギルバート?」
いつの間に現れたのか、村娘の手から人形を取り上げた黒髪の騎士がのんきな顔を眺めやっていたからだ。
「勝手に触るな」
ひとからの預かりものだぞという、わがまま侯子の抗議にもかまうことなく、
「盾は」
言葉少なに、若い騎士は少年に問う。
「淡い青に塗られた盾がついていたはずだ」
相も変わらぬギルバートの無愛想ぶりに、何でエクセター卿がそんなことを知っているんだと首を傾げつつも、
「小鬼が壊した。だから新しいものを作ったんだ」
「それにレオがすこし磨いて、きれいにしてくれたんです。エクセターの騎士さまにお返しするために」
「ダウフト」
余計なことを言うなってと、村娘をとどめようとしたわがまま侯子を双の漆黒で見やると、黒髪の騎士は人形をダウフトの手へと戻した。
「おぬしに預けると、レオが言ったのか」
騎士のことばに、ダウフトはこくりとうなずく。
「樫は頑是ないものを悪しきものから護る」
たとえ出来はつたなくとも、こやつにはそうした<おもい>がこめられているからと、小さな騎士を見つめたまま呟いたギルバートに、ダウフトは何かを感じ取ったらしい。
「あの、ギルバート」
「持っていてくれ」
向こう見ずが持つよりははるかにましだとつけ足すと、ギルバートはレオへと向きなおった。
何か文句があるのかと態度で示したレオが、父譲りの端正な容貌を思わずぽかんとさせたのは、当の騎士から短く礼の言葉が述べられたからだ。それも、エクセターの地に伝わる古語で。
「……なんなんだ、あの南瓜頭は」
遠ざかる騎士の背を見やりながら、訳が分からずに首を傾げていたレオが不思議そうにダウフトを見やる。
「どうしたんだ、ダウフト」
「いいえ」
ただ、なんとなく感じたものごとを、どうしたらうまく言葉にのせて伝えることができるのだろうか。
素朴なつくりの小さな騎士を見つめていたギルバートの顔に、なつかしさともいとおしさともよろこびともかなしみともつかないものが入り交じっていたことを。
それはどこか、言葉少なに兄の思い出を語り聞かせてくれたときの表情とよく似てはいなかっただろうか――
「レオ」
「どうした、ダウフト」
「騎士さまは、わたしが預かります」
「そうか」
ダウフトなら心配ないなと安堵の表情を見せるレオに微笑むと、村娘はもう一度、のんきな顔をした騎士の人形へと視線を落とす。
「そっくりかも」
ちいさく呟き、くすりと笑った乙女に応じるかのように、彼女の手にある小さな英雄もまた微笑んだように見えたことは誰も知らない。
そうして、やがては乙女の手を離れていったであろうのんきな顔をした騎士の人形が、いずこへと赴いたのか。
小さなかわいい手に彼を握りしめ、元気いっぱいに庭や野原を駆け回るいとけなき幼子を我があるじと仰ぐことは能うたのか。
いかなる文献にも書簡にもとどめられてはおらぬ、誰ひとり知ることのない小さなできごと。
(Fin)
聖女と騎士のはなし・欠片のカケラ 笑川雷蔵 @suudara
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