さあ、乾杯を
長い卓に敷かれたのは、上等のリネンでできた真白なテーブルクロス。
美しく磨かれた銀の皿や杯がろうそくの灯に照り映えさやかに輝き、飾られた花々のほのかな香りが広間を満たす中、笑いさざめくのは砦の首脳陣でした。
騎士団長ヴァンサンの朋友たるシロス伯が、糧食の援助を申し出るために東の砦を訪れたのは一昨日のこと。旅の一行をねぎらい、歓迎の意をこめて宴を開こうではないかというはなしが持ち上がりました。
ただ宴といっても、今はいくさの真っ最中。時と場もわきまえず、そのような催しを派手に行うわけにはという意見が出てきたのも至極もっともなことでした。
さりとて、お客さまに美酒を満たした杯のひとつも捧げられぬというのもまた失礼なはなし。せめて心づくしのもてなしをと、騎士団長に奥方さま、副団長にアラン卿、ボース卿をはじめ年長の騎士や長老たちといったごく限られた面々で、シロス伯やご家来衆を招いた夕食会が開かれることになりました。
食べることとくれば、ここはもう料理長ノリスの独壇場です。
そらおまえたちは仕入れに行ってこい、おまえは野菜を刻め、おまえは
少人数での会食とはいっても、あるじがいかに気前がよいかを示すのが裕福な騎士や貴族のならわしです。うっかり妙な料理でも出して、<狼>の長はたいそうなけちだなどという評判でも立てられてはたまりません。だいいち、料理人としての誇りにも関わります。
シロスの殿さまや供回りの方々のお歳は、体調は、お好みは――ありとあらゆる事柄を頭に叩き入れ、鶏に兎、かますやひらめ、山と積まれた野菜や果物を前にして、料理長は宴席につらなる人々を喜ばせるにふさわしいメニューを次々と考えていきました。
剣や槍こそたずさえてはいませんが、まさに厨房こそが料理人にとってのいくさ場です。たとえ東の果ての最前線といえども、腹をすかせた魔物なんぞが我が物顔に飛び回っていいような所ではないのです。おいしそうに焼き上がった肉を横取りしようとした小鬼を、重たい鉄鍋で一撃のもとに沈めたと、砦に住まう者たちが料理長についてまことしやかに囁いている噂も、あながち大袈裟ではないのかもしれません。
そんな慌ただしい経緯もありましたが、どうにか会食の夕べを迎えることになりました。
オレンジのソースも香り高い鶏のロースト、からす麦と干しぶどうを詰めたかますの姿焼き、細かく刻んだ色とりどりの野菜でシロス家の紋章や<狼>の騎士団章を鮮やかに描きあげたサラダ、小えびや一口大に切った白身魚や鮭をきらきらと輝く琥珀色に閉じこめたゼリー寄せ。花とハーブを練り込んだパンにとろりと甘い菓子の数々。
春の祝祭や年越しの祭りのような、陽気な音楽とにぎやかな若者たちの声こそありませんでしたが、年長者の集まりらしくゆったりと落ち着いたひとときが流れてゆく広間に、料理長ご自慢の品々が給仕をつとめる騎士見習いたちによって次々と運ばれてゆきます。
いつも喧嘩ばかりしているとねりこの若君と真面目な少年とが、すました顔で肉を切り分けたり、上等の葡萄酒や麦酒を杯へと注いでいる姿を見たならば、同じ顔をした別人じゃないのかと<狼>たちがさぞたまげたに違いありません。
お客さまに失礼のないようにとやや緊張した面持ちのヴァルターに比べて、祖父殿はご健勝であられるかなとシロス伯に問われ、祖母や叔母たちともどもつつがなく過ごしておりますとにこやかに応じたレオの物腰は、彼がいずれ黄金のとねりこを継ぐ身であることを伺わせます。少なくとも今の姿からは、修練場で黒髪の騎士に適当にあしらわれた挙句に地団駄を踏むところなど想像することもできません。
首府エーグモルトにおける諸侯や司教たちの動向からアーケヴ各地の話題、若かりし頃の武勇伝から失敗談まで。杯を傾け料理に舌鼓を打つ一方で、はなしの方も次第にうち解けたものへと変わっていきました。
自分になびかぬ姫君を、無理やり国許に連れ帰ろうとしたキャリバーンの王弟殿下から、どこかの暴れん坊がいかにして乙女を救い出したか。
傍らで仕方なさそうに
「しかもデュフレーヌのユーグまで巻き込んで。あの誇り高い男が、不承不承おぬしらに手を貸している姿ときたらじつに見ものだったな」
伯の言葉に青い眼を丸くしたのは、侯の孫君にあたるレオでした。お祖父さまはそんなこと一言も話して下さらなかったけどなと少年が首を傾げるさまに、蜂蜜酒を口にしていた奥方さまがそっと微笑みを浮かべます。
「昔の悪童どもが、揃いも揃ってまた悪だくみか」
杯を手に、騎士たちをからかったのはガスパール老でした。
「どうじゃ、そこな小僧っ子たちにかわいい娘を射とめるこつでも伝授してやっては」
「悪さが過ぎて、<オルテスの鷹>に張り倒された若造と同じ轍を踏みたくはありますまい」
麦酒の杯を傾けながら応じた副団長に、剣とともに棄てた名じゃと長老が笑い、嫌というほど<鷹>どのの鉄拳を味わった騎士団長が何を言うかと口を開いたときでした。
「お待たせをいたしました」
じつにうやうやしい料理長の言葉とともに卓に置かれたのは、まだ竃から取り出したばかりと思われる一品でした。
贅をこらした今までの料理に比べたら、ずいぶんと素朴な感がありました。それでも厚手の深皿の中で、じゅうじゅうと音を立てているチーズと芋と玉ねぎの香ばしい匂いは、たいそう人々の食欲をそそります。
それを見た騎士団長と副団長、年長の騎士たちが何とも言えぬ表情で顔を見合わせた中、ほうと感嘆の声を上げたのはシロス伯でした。
「風変わりな料理だが、何と申すのだ?」
「野菜とチーズ、東の砦風でございます」
白葡萄酒でやわらかく煮た芋を主に、炒めた玉ねぎとベーコンとチーズを加え竃でこんがりと焼き上げた品でございます。
樽のような身体を張って堂々と口上を述べる料理長の後ろで、給仕役のふたりの少年が必死で笑いをこらえようと肘でつつきあっていることなど、シロス伯はまるで気づきません。手際よく取り分けられ、皿に盛りつけられたあたたかな料理を口にした友の顔が、これまた何とも幸せそうな顔になるのを見て、
「い、いかがかな」
問いかけた騎士団長に、何を他人行儀なと鷹揚に伯は笑います。
「何ともほっくりとした、まろやかな味わいではないか。気に入ったぞ」
山海の美味や珍味に慣れたシロス伯には、素朴な一品が新鮮なものに映ったようです。ぜひ我が城の料理人に覚えさせようと話す伯に、優雅に食事を楽しんでいた奥方さまが婉然と微笑みました。
「この料理には、ダウフト殿も手を加えられたのですよ」
たちまち、シロス伯やご家来衆の間にどよめきが走りました。<髪あかきダウフト>、アーケヴの行く末をになう聖剣の乙女が厨房に立つのかと信じがたい顔をする人々に、珍しいことではありませぬと奥方さまは答えます。
お客さまを迎えたとき、自らの手料理をふるまいもてなすことは家をあずかる者――ことにアーケヴでは婦人たちの大切な務めでした。それは城の女主人であろうと村のおかみであろうと、さほど変わらぬことでしたから。
「アロルド殿や供回りの皆さまにお目もじつかまつることかないませなんだが、せめて歓待の意をこめてと、この料理を」
その言葉に、シロス伯に付き従う幾人かの騎士や従者がうつむきました。彼らの姿を眺めやりながら、奥方さまは更に続けます。
「皆さまのますますのご健勝と、緑なす我らがアーケヴを祝してとのことづてを」
言いおるわ、と呟いたのは騎士団長でした。宮廷風の美辞麗句といったものに、乙女がまるで縁がないことなど砦の者はみな承知していたからです。とはいえ、そんなことはつゆほども知らぬシロス伯は、感極まった面持ちで何度もうなずきました。
「アーケヴの乙女手ずからの品を口にできようとは、まこと光栄の至り」
そう思わぬかと供回りの者たちに問う友に、まあ大袈裟にするなとなだめると、騎士団長はふたたび祝杯をと皆を促しました。
「美しき我らが<母>を祝して」
「なんの、暁を呼ぶ東の守り姫を祝して」
乾杯と重なりあういくつもの声と、杯の触れ合う音とが広間を満たしました。
「さてイズー殿、何かひとつ余興でも楽しみたいところですな」
すっかり上機嫌で話しかけてくるシロス伯に、ネヴィル殿のリュートはいかがでございましょうとにこやかに応じる奥方さまを見て、さすがはイズー殿と呟いたのは副団長でした。
「場の雰囲気を巧みに掴んでおいでだ。キャリバーンの阿呆が御しきれようはずもない」
とはいえ、とそこで言葉を切って、副団長は心底不思議そうに腐れ縁を見やりました。
「何故におぬしを選ばれたのか、いまだ俺にはよく分からん」
「南に去った、シェバの柘榴を忘れられぬ男に言われたくはないわ」
あのとき実った、ちいさな柘榴はいま幾つだとやり返した騎士団長には答えずに、副団長は卓に飾られた南の花へと目をやりました。
若い<狼>たちをも震え上がらせる灰色のまなざしに、ふと何かを思い出すようなひかりがよぎったのですが、それもわずかのこと。この程度で酔ったかと自嘲ぎみに呟くと、副団長はネヴィルに助け船を出してやったらどうだと老友を促しました。
「くれぐれも、アロルドには歌わせるな」
「あれの歌は、調子はずれと言うにはどうもな」
シロス伯のとんでもない音才を知るだけに、騎士団長はヴァルターが差し出した楽器を手に当惑するボース卿と、こちらへとまなざしを向けてきた奥方へ、それとなく時間を稼ぐようにと身振り手振りで懸命に伝えるのでした。
数日後。
いやすばらしいもてなしの数々でありましたぞと、心からの満足とともに帰途についたシロス伯の一行を見送って、
「ようございましたわね、殿」
糧食の補給について、なごやかな雰囲気のうちに会談を終えたことを喜ぶ奥方さまに、騎士団長は顔をしかめました。
「そなたにしては、何とも調子のよいことを」
デュフレーヌの葡萄酒など勧めるのではなかったわとぼやく夫君を、エクセターの林檎酒でもボウモアの蒸留酒でも同じことでございますと奥方さまはけろりとかわします。
「わたくしは、偽りなど一言も申し上げてはおりませぬ」
ごらんくださいませ、と奥方さまが指し示した先にあるものを見て、騎士団長は唖然とした顔になりました。
「毎回毎回、おぬしという奴は性懲りもなく」
中庭をぐるりと取り囲む回廊を、許してくださいと訴える聖女さまの腕を取り厨房へと引きずっていくのは堅物騎士でした。
「どうしてギルバートは、いつもわたしのいたずらにひっかかるんですか」
「その答えからして、反省していないだろう」
なぜか頭からずぶ濡れになったエクセターの騎士殿は、さっさと歩けと娘さんを促します。
「お願いです、もう芋と玉ねぎだけは勘弁してください」
「だったら、きゃべつにするか?」
おぬしを暇にしておくとろくなことがないと睨んだ騎士と、きゃべつはいやですと半べそをかく娘さんの声が遠ざかっていくのをしばし見やり、
「また蛙か?」
問いかけてきた夫君へ、奥方さまは静かに首を横に振りました。
「水桶と聞き及んでおります」
そのいらえに、さすがの騎士団長もそうかと呟くしかありません。おはね娘へのおしおきが、果たしてきゃべつだけで済むのかいささか怪しくなってきたというものです。
けれども、奥方さまの言わんとするところがこれでようやく分かったというもの。
確かに、砦の乙女がかの料理――「野菜とチーズ・東の砦風」の下ごしらえに関わったというのは事実に違いありません。
何しろシロス伯の一行が砦を訪れたときにも、以前にしでかしたいたずらの反省として、<狼>たちの詰所で芋と玉ねぎの山に埋もれながら懸命にナイフを動かしていたくらいですから!
「まあアロルドはともかく、供回りの者どもをうまく牽制できたようだからな」
「ご存じでしたの」
驚いたように見つめてくる奥方さまに、むしろあちらこそが懸案であっただろうにと<狼>たちの長は返します。
貴族は貴族、騎士は騎士、百姓娘は百姓娘。
生まれ持った身分に強くこだわる者にとって、突如として現れたダウフトはまるで理解のできない存在に他なりませんでした。
なぜ<母なる御方>は、
その小娘があちこちのいくさ場で、誇り高いもののふにこそふさわしい歓呼と栄誉をもって迎えられ、平然とした顔で自分たちと同じ場につらなろうとはどういうことなのか――
取るに足らぬはずの存在に、自らが持つ特別を脅かされるかもしれない。もしかしたら、自分と取って代わられるかもしれない。そんな怖れが、疑いや妬みとなって砦の聖女に向けられていることもまた事実でした。まばゆい輝きばかりを追う者たちには、そこに潜む影――人の身には過ぎた力を抱いた乙女の、まことの心に気づくことなどありはしなかったでしょう。
「まさかあの小娘が、我らと同じ席に着いたりなどするまいな」
「いやしき生まれ相応にふるまえばよいものを」
囁きあうシロス伯の従者たちに、たいそう腹を立てて飛び出そうとしたレオを留めたのは奥方さまでした。とねりこの侯子が事を荒立てて何としますと諭されたものの、納得のいかぬ少年は奥方さまを見返しました。
「あの者どもが、ダウフトの何を知っているというのです」
少し前であれば、決して彼の口から聞くことはなかった言葉にしばし考え込み、奥方さまはこの件はわたくしにお任せなさいとレオに何度も言い含めました。そうしてその足で料理長のもとを訪れ、件の料理を供するようにとりはからったというわけです。
自らが相応の身分だという矜持があらばこそ、家のあるじが差し出した料理に理由もなく手をつけなかったり、嫌な顔をするのは礼儀作法にもとることを知っているはず。ましてや会食には出席しなかったとはいえ、砦の聖女がシロス伯の一行をもてなそうと心を砕いていたと聞けば、表立って反発はしにくくなるものです。
「このような些末事に、ダウフト殿を煩わせたくはありませんでした」
「だからこそ、我らのみの会食というかたちを取ったのだがな」
騎士団長の言葉に、今度は奥方さまが驚く番でした。
娘さんが、<髪あかきダウフト>と呼ばれることを喜ばしくも誇らしくも思ってはいないこと。聖女として振る舞わなくてはならぬ場へ引きずり出されることを、黒髪の騎士が抑えようとしていること。かなう限りただのダウフトとして過ごさせようとしながら、どうにもならぬ事実の前に歯噛みすることも――
ふたりの姿を見てきたからこそ、<狼>たちを率いる老騎士は副団長や長老と申し合わせた上で、あのようなもてなしかたを取ることにしたのです。まさか奥方さまでもが、一計を案じていたとはまるで知らなかったのですけれど。
「アロルド殿には、申し訳ないことをしてしまいましたわ」
「なに、我らは何一つ偽りを申しておらぬではないか」
いくさが終わった暁には、アロルドも招いて砦じゅうで派手に祝うとしようぞと笑いとばした夫君に、奥方さまはそうですわねとうなずきます。
「その時は、ぜひノリスに腕を振るってもらいましょう」
振り返った奥方さまに、深々と一礼をしてみせたのは料理長でした。ご苦労であったなとねぎらう騎士団長に、まさかダウフトさまの手伝いがこんな形で役立つとは思いませなんだと厨房をあずかる男はぽってりとした腹を揺らして笑います。
「お礼に桃の菓子でも作ってさし上げましょうかね。エクセター卿には内緒で」
甘やかすなとお叱りを受けるんですよと言う男に、レオとヴァルターにも同様にはからうよう騎士団長は促します。
「小僧たちも存分に働いたのでな、つかみ合いにならぬよう一つずつこしらえてやれ」
あるじの言葉に、お任せ下さいとうなずいた料理長でしたが、
「ですが殿さま、ひとつ問題がございまして」
「何だ?」
申してみよと促す騎士団長に、ダウフトさまが剥いたり切ったりした野菜なんですがとつけ足して。
「しばらく朝餉や夕餉に使うことになりますが、よろしいでしょうか」
ふたたび唖然とする夫君に代わり、良きにはからいなさいと奥方さまが笑いながら応じられたのは言うまでもありません。
そうして後日。
これでもかとばかりに大量のきゃべつと蕪、芋や玉ねぎを使った料理の数々が<狼>たちの食卓に並べられることになりました。
おい肉はどこだ、魚はこれかと口々に言いながら、うちの砦もいよいよ火の車かと嘆息しあう騎士たちの中、憮然としたひとりの男が「野菜とチーズ・東の砦風」なる件の料理を口にしていたとか、桃の菓子をめぐってふたりの騎士見習いがまた喧嘩をしていたというはなしも聞かれていますが。
事実かどうかを知る者は、だれもいません。
(Fin)
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