第8話 俺たちはどう生きますか


「じゃあ、どうする?

 また柔道やるか?」


元五輪三連覇男、レオに問いかける。


「やらねえ」


即答。


「正直、柔道にやり残したことはねえ。

 三連覇の更に先へ…。

 またゼロからやり直せるかって話だしな」


強いんだからまたやれよ、と気軽に言う気にはなれなかった。


金メダルの重みを側で見ていたから。


確かにレオは強かった。


恵まれた才能に恵まれた体格。


2mの身長におよそ柔道家向きには見えない日本人離れした長い手足。


その肉体にまとうバキバキに引き締まった筋肉は努力の結晶と言える。


同世代の選手の中じゃあ誰もが口を揃えて一番だと言うだろう。実績も証明している。


その強さゆえに当然のように世界一を期待されるようになる。


レオほどの天才であっても、血の滲むような…いや、血ヘドを吐く程の練習を続けなければ勝ち続ける事は出来ない。


大会の度にベストなコンディションを作る事を余儀なくされる。調整失敗は許されない。


「競技者として当然だ」と言われるかもしれないが、それがどれだけ日常を削る生活か。


いざ試合になれば、世界で二番目に強い奴らを相手に戦い続ける。


頂点でしのぎを削り合うのは、人生を柔道に捧げた人間の中でも一握りの天才たち。


レオはそんな中、当たり前に勝利する事を要求され続けた。


そのプレッシャーは俺には計り知れない。


そんな苦しい思いを続けて成し遂げた功績がなくなった今、もう一度そこに挑めというのは酷だろう。


「それによ、俺がいきなり女子柔道界に入って優勝かっさらうのは、

 あまりにもリスペクトがないだろ」


…確かに。


女子軽量級の中に男子100キロ超級三連覇の能力を持った選手が混ざったら大騒ぎどころではない。


まぁ、そんなこと言い出したらどんな競技をやらせても卑怯って話になっちゃうけどさ。


「意外とちゃんと考えてるんだな」


「選手の大変さはわかるからな」


こいつも一緒に戦ってきた選手や柔道そのものに対して、敬意を持ってんだな。


「で、オメーはどうするんだ?」


レオに問い返され、改めて自問する。


「俺も…柔道はもういいかな」


こいつみたいに「やり残した事はない」なんてかっこいい理由じゃないけど、もう自分の限界は見えた。


血の滲むような努力をしても、血ヘド吐くほど練習しても、俺の才能じゃ代表にはなれない。


どうせやり直すのなら、他の道に挑戦したい。


それにまたあの苦しい練習の日々を繰り返すのは辛すぎる。


よくおじさんたちが「俺たちの時代は体罰なんて当たり前」なんて口にするが、俺らの時代にはもう体罰なんてアウトだった。


にもかかわらず、どうも俺らの通っていた高校の柔道部だけは体罰オッケーだったらしい。


コーチの虫の居所でよく殴られた。…レオ以外は。


レオだけは、殴られたら殴り返した。


組手という建前でコーチをボコボコにしたこともある。


向こうも問題にされるとまずいから、レオにだけは手を出さないという暗黙のルールが出来ていた。


「そーか、それじゃまた二人でなんかやるか」


「…そうだな」


自分から柔道を取ったらどうなるのか見当もつかないけど、こいつと一緒なら心強い。


「そしたらお前は俺のこの超絶美貌を活かして

 人生をハッピーに生きる方法を考えろ」


一言目から丸投げかよ。


うーん…そのどこに出しても通用しそうなビジュアルを活かすには。


「…アイドルとか?」


「安直だな。

 アイドルとかインフルエンサーとか

 俺がやるわけねえだろ」


「なんでだよ、美少女なんだろ。

 やりゃあいいじゃねえか」


「人気商売なんてしてると

 悪い事したら謝らなきゃならねーじゃねえか」


どんな仕事をしていようが、悪い事したら謝れよ。


時々この馬鹿が自分と同い年であることを忘れそうになる。


コイツの中身だって俺と同じく二十七年間生きてたはずなのに。


こういうところが国民栄誉賞を貰えなかった理由なのだ。


「やっぱ実力主義じゃなきゃダメなんだよ。

 俺がどんだけクズでも許されてたのは

 柔道がクッソ強かったからなんだぜ」


「全然許されてねえよ、

 お前しょっちゅう炎上してたじゃねえか」


こいつはSNSをやらないから知らないだけでスキャンダルの度に世間から叩かれていた。


それを全く意に介さないメンタルの強さが羨ましくもあったのだが。


実力主義たって、馬鹿な俺たちでもレオのスペックを活かせる方法って結局格闘技になりそうだが…。


思考を巡らしていると、レオが何か閃いたかのように目を輝かせて身を乗り出してきた。


「あ!博打があったわ!

 競馬で勝つ馬わかってんだから

 それで大儲けできるだろ!?」


…全然美貌も体力も関係ないじゃないか。


「競馬って…レオ詳しかったっけ?」


「知らん。でも、なんかすげー有名な馬が

 有馬記念勝った事は覚えてる」


「ああいうのって無名な馬が勝つから儲かるのであって、

 有名な馬が勝っても倍率低いんじゃねえの?」


「…無名な馬が勝ったレースなんて覚えてるのかよ」


「覚えてねえよ。俺も競馬、詳しくねえもん」


「……」


レオが唇を尖らせて露骨に不満そうな顔をする。


そんな顔したってしょうがない。


でもこれ以上不機嫌になると手を出してくるので話を逸らす。


「やっぱその体格に見合わぬ身体能力を生かすべきじゃねえか?」


そうだな、と言ってレオは体育マットの上にごろんと寝ころんだ。


知らない女子が無防備に寝ている感じがして、なんとも変な感じがする。


稼げるスポーツっていうと、男子で有名なのはサッカーとかバスケとか…。


駄目だ、レオに団体競技は無理だ。するとテニスとか…。


ゴルファーとかも割と稼ぐって聞くな。


でも球技になってくるとせっかくの柔道経験が活かせないような気もするし…。


……うーん、わかんねえ。お手上げだ。


「なあ、まだこの世界に来たばっかりだし

 もっとゆっくり考えていかねえか?

 普通の生活してるうちに何かひらめくかもしれないし」


んー、という唸り声が返ってきた。


更に説得を続ける。


「金が必要になるのなんて、どうせ大人になってからだろ。

 それまでに色々試したらいいじゃねえか」


「そーだな。せっかく中学時代に戻ったんだしよ。

 柔道漬けだったあの頃に出来なかった楽しみでも探すか」


そう言いながらムクッと上体を起こし、レオはにやりと笑って俺の肩に小さな拳を打ち込む。


見た目からは信じられないパンチの重さに、思わず顔が歪んだ。

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