第13話 恩師


「ビビんなくていいぞ、オギセンはツラこえーけど話わかるから」


背中越しに聞こえるレオの気休めは話半分に受け止めるべきか。


…毎日怒られていたレオが言うのだから信じてもいいのだろう。


荻野先生、通称オギセン。確か四十四、五歳くらいだったはず。


部活で三年間お世話になったが……まぁおっかない。


普段は物静かだが常にいかめしい顔をしていて、眉間にはもう消えることが無いだろう縦じわが刻み込まれている。


練習は厳しいし、怒らせると低い地鳴りのような怒号を発する。


中学時代の友達と久々に集まると必ずオギセンのものまねをする奴がいるのだが、その時の台詞は絶対「敷島ァ!!」というレオを叱る怒鳴り声だった。


あいつが毎日怒られてたもんだから今も脳内で忠実に再生される。


ただ、高校時代のコーチ連中に比べたら暴力は振るわないし、ちゃんと教育者って感じはした。


職員室に入り、オギセンの姿を探す。


オギセンはこちらに気付くと向こうから声をかけてきた。


「おう、綿貫。朝練どうした」


低い声。やっぱ迫力がある。


俺だって中身は大人とはいえ、まだオギセンの人生経験には及ばない。


それに過去の経験も相まって、なんていうか…怖いもんは怖い。


とりあえず素直にしばらく部活を休みたいと告げた。


「……」


無言のが怖い。


「怪我か」


「いえ」


「病気か」


「いや、それはわかんないんですけど…」


「病院には行ったのか」


「い、いえ。まだ…」


「親御さんには」


「伝えてないです」


「そうか……」


そしてまた沈黙。


怒鳴り散らすような気性の荒い上司よりよっぽど恐ろしい。


「部活辞めたいのか」


「えっ?あ、いや…」


突然核心を突かれ、戸惑う。


「迷ってんのか」


「…はい」


オギセンはゆっくりとした動きで腕を組み、深いため息をついた。


「……モチベーションか」


ムスッとした表情で、地の底から響いて来るような声。


中学時代の俺だったら怯えていただろう。


だが、その声のトーン自体はこちらを気遣っているように思えた。


「最近お前が物足りなそうにしてたのは気付いていた。

 この辺にお前の練習相手になるような選手もいないしな。

 高校でもっと厳しい環境に身を置くのはどうかと考えていたが…

 まぁ、一旦柔道から距離置くのも悪い事じゃない」


「はぁ…」


この世界での俺って、そんな感じだったのか…。


ライバルがいないせいでモチベーションが下がるって、そんな天才みたいな悩み、感じた事ない。


だって俺には、隣にずっとレオがいたんだから。


どうやったって敵わない、本物の天才が。


「お前はスポーツ推薦で高校行けるから、とりあえず籍は残しといた方がいい。

 だがもし本気で柔道辞めたいってんなら

 自分の学力に合った高校いかないと辛いぞ」


「はい、そうですよね…」


「他の奴らには体調不良って事にしとく。

 すぐに結論を出すことは無い。ゆっくり考えろ。

 相談があったら来いよ。時間取るからな」


険しい表情、いつもの低いトーンで語り掛けてくるオギセンの言葉は経験が無いほど深く心に染み入ってきた。


え…オギセンってこんなに優しかったのか。


中学時代はただただ厳しい怖い先生としか認識してなかったけど…。


なんか、申し訳ない気持ちになってきた。


ありがとうございます、と伝え深々と頭を下げて教室を出た。


ぼんやりと温かい気持ちで教室に戻る。


レオはもう掃除を終えただろうか。


教室の前ではレオと成瀬たちが仲良さそうに雑談していた。


あいつ、もう懐柔してやがる…。

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