第2話 ねがい


この日は避暑地にフレンチを食べに行ってきた。


知人がレストランをオープンしたという事でレオから誘われたのだ。


予約の時間まで軽く観光し、先程ディナーを終えて帰る途中。


レオも運転は好きなはずだが、飯をおごってくれるというので俺がドライバーを申し出た。


国民栄誉賞からは縁遠いだろうが、金メダリスト様が事故を起こしても大変だしな。


運転するのはレオの先輩が貸してくれたという大型のドイツ車。


こいつはただでさえ身長が2m近くガタイがいいので、俺が普段乗っている車は狭いと言って嫌がるのだ。


レオの知り合いのシェフはテレビにも出た事のある有名人で、料理は確かに美味かった。


「気取ったモンは食い慣れてないから庶民から見たちょっと贅沢なモン出してくれ」というレオの要望に応えてくれたのもありがたい。


「でも、なんで俺なんだよ。

 飯に誘えば喜んで来てくれる女の子なんてたくさんいるだろ」


当然浮かんだ疑問を親友に投げかける。


「別に、女の子とはしょっちゅう飯に行ってるしな。

 休日に一人モンのオメーが寂しがってるんじゃねーかと思ってよ。

 美味いモン食わしてやったんだよ」


「あーそうかい、ありがとよ」


にやにや笑いながら悪態をつくレオになげやりに礼を告げておく。


こうは言っているが、二十七にもなって女性と交際した事のない俺を気遣ってくれているのだ。


現に、食事の前に立ち寄った観光地は恋愛成就で有名な神社だった。


いつも「とっとと彼女作れ」だの「いい娘がいるから紹介する」だの、口癖のように絡んでくることからもこいつなりに心配してくれているのがわかる。


「お前みたいな童貞根性の染みついた野郎はもう神様にでも頼らねえとどうしようもねえからな」


神社でそう言われた事を思い出し、自然と表情が引き攣る。


ただ、レオは口は悪いが裏が無いため不快感はそれほどでもない。


反対にこちらが強い言葉を使っても大抵笑ってくれる。


ぶつかる事はしょっちゅうだが、あと腐れ無くさっぱりしている。


もっとも、喧嘩では勝てないのでこちらの鬱憤は一方的に溜まるのだが。


すっかり有名になって忙しいはずなのに今でもこうやって頻繁に外に誘ってくれる事には感謝しかない。




山頂を過ぎて、峠をくだり始める。


大型車のエンジンがうなりを上げた。


そのとき、右足に強い違和感を覚える。


同時に背筋がぞくぞくと冷えるような、不快な怖気おぞけ


「おい、なんか…え?やべえ」


ブレーキが利かない。


下り勾配に勢いをもらい、速度は徐々に上がっていく。


「ギア落とせ、サイド引け!」


レオに言われるまでもなくもうやろうとしている。


だが、ギアもサイドブレーキもピクリとも動かない。


側面にぶつけて減速しようにも、ハンドルすら切れない。


罠……?


最初に頭によぎったのはそんな言葉だった。


ありもしない陰謀を信じ込んでしまうくらい、信じたくない現実。


こんな事がありえるのか。


まるで最初から細工されていたかのように。


命を守るための緊急セーフティが機能しない。


全身が震えあがった。


車はどんどん加速していく。


次のカーブが近づいて来る。



死…。



「頭守れ!ふんばれ!!」


レオの力強い声が車中に響く。


凄まじい衝撃とともに車はガードレールを突き破った。


地面は無い。あとは遥か崖下に落下するのみ。


人は死の寸前に、全てがスローモーションに見えるという。


あれは事実だった。


今まさしく、それを体験している最中である。


でも、スローモーションになったからって現実を変えられるわけじゃない。


思考だけがまばゆい速さで頭の中を通過していく。


それらに感想を抱く間もなくみるみる現実が迫ってきた。


ふと、隣のレオに視線をやる。


レオもこちらを見て、優しく微笑んでいた。


今までに見た事の無い、安らかな笑顔。


こんな形でお前を殺しちまうなんて。


親友の声はもう聞こえない。


ああ、もしも人生をやり直せるなら…。


そんなことを考えたとき、先程の想いが頭をよぎった。

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