第3話 あの頃


懐かしい。


最初の感想はそれだった。


見慣れた、それでいて久しぶりに眺める天井。


目覚めた場所は中学卒業まで過ごした自室のベッドの上だった。


俺、助かったのか?


でも、なんで病院じゃなくて実家に?


レオは?


事故はどうなった?


あれからどれくらい経ってる?


身を起こす。


痛みは無い。


ありえない。そんな馬鹿な。


あれは…夢だったのか?


だが、何かがおかしい。違和感を感じる。


具体的に何とは言えないのだが。


辺りを見回す。


この部屋で暮らしていた、あの頃のままだった。


中学時代に使っていた学習机に乗った通学用バッグ。


開きっぱなしのクローゼットには毎日着ていた学ラン。


床には少しでもレオに追いつこうと小遣いで購入した、ダンベルとプッシュアップバー。


そして、当時買っていた漫画雑誌。


…あの頃のまますぎやしないか?


まさかと思いじっと手を見る。


小さい。


いや、中学生の基準ではどうかわからないが、少なくとも二十七歳の俺のものではない。


もっと硬くて年季の入った手をしていたはずだ。


肩、上腕、大腿。どれも細く、やわらかい。


まさかまさかと飛び起きて洗面所に駆け込む。


「やっぱり!!」


聞きなれない高い声で思わず叫んでいた。


鏡に映る、十四歳の俺の姿。


信じられない事が起きているのに第一声が「やっぱり」なのがなんともちぐはぐである。


時間が巻き戻ってる!?


なんで?死んだから!?


でもなんで中学時代に!?


やっぱり、夢!?


最初に感じたのは、動揺。


だが「なんで」が尽きると次第に冷静になってくる。


…夢だろ。


頬をつねる。痛い。


いや、頬をつねって痛かったら夢じゃないなんて誰が決めたんだ。


顔を洗う。冷たい。


馬鹿か俺は。


夢の中でも痛みを感じるという前提で言えば顔を洗って冷たくても夢かもしれない。


トイレに入って便を済ませる。


うーん…。夢じゃないかもしれない。


というか、夢かどうか確認のしようがないんだから仕方ない。


夢の中だとしてももっと思考を建設的な方向に向けるべきだろう。


仮に。仮にこれが夢じゃないとする。


だとすると、一緒にいたレオはどうなったんだ?


レオも二十七歳の記憶を持ったままこの時代に戻ってきてるかも…。


部屋に戻り、携帯を確認する。


懐かしい、古い携帯。


画質も機能も物足りないが、今はそんなことを言っている場合じゃない。


時間は朝の五時半。


七時から朝練だったから、レオも六時には目を覚ますはず。


とりあえず連絡してみるか…。


と、思ったのだが。


携帯のメモリに「レオ」の文字が見当たらない。


…あれ?


漢字で登録してたんだっけ?


「獅子」で検索するも出て来ない。


「敷島レオ」「敷島獅子」でも出ない。



…なんで!?



最悪の状況が頭をよぎった。


急いで一階に降り、ダイニングへ。


ちょうど母が朝飯を準備をしていた。


「あ、母ちゃんあのさ…」


まだ幼さの残る自分の声に違和感を感じる。


「おはよう、早いじゃん。ごはんまだ出来てないよ」


十二年前の母の姿。


懐かしい。


なんだか、胸にグッとくる感情。


…ノスタルジーって奴か。


言葉に詰まっていると、母が怪訝な顔をしている事に気付く。


「い、いや。レオって今何してるかなって思って」


なるべく不自然に思われないように言葉を選ぶ。


しかし、母は眉間にしわを寄せたまま問い返してきた。


「レオって何よ?」


幼馴染のレオの事を母が知らないはずがない。


あいつが五輪で活躍したときは涙を流して喜んでくれたのだから。




…レオの存在が消えてる?




「もうちょっとで朝ごはん出来るから、支度してきな」


母に促されて一旦部屋に戻り、もう一度携帯のメモリを確認する。


何度見ても、やはりレオの名前は無い。


この部屋にも、あいつとの思い出の品なんて何も無い。


物凄い喪失感が襲ってきた。


仮にこの世界にレオがいないのであれば。


これからの俺の青春はどうなってしまうんだ。


中学も、高校も、大学も、ずっとあいつとツルんでいた。


俺の青春時代の記憶には常にあいつの姿があった。


馬鹿で、短絡的で、ロクデナシだったけどいつも俺の事を気にかけてくれていた。


あいつだけが…。


目の前がクラクラする。


ショックでめまいがするのかと思ったが、同時に腹が鳴った。


飯、出来たかな…。


一階に降りると既に朝飯が用意されていた。


納豆、焼き鮭、目玉焼き、味噌汁。そして山盛りの白米。


このボリューム感も懐かしい。


母の手料理は、なんだかものすごく久しぶりに感じる。


高校では寮に入り、たまに実家に帰っても外食や寿司などの出前が多かった。


更に大学からは一人暮らしだったから、なんてことない「いつもの手料理」を食べるのは本当に久しぶりだった。


ただの目玉焼き、ただの味噌汁がこんなに美味しく感じるなんて。


あまりの美味さに夢中でかき込んだ。


起きてからの色んな感情がグチャグチャに入り混じって自分でも精神状態が不安定になっているのがわかる。


「うわ、あんた泣いてるの!?」


母に指摘され気付いたのだが、いつの間にか両目から涙が零れ落ちていた。


「うめえよ…うめえよ母ちゃん」


嗚咽おえつ交じりに言葉を絞り出すも、まるで今生の別れのような言い方になってしまった。


そもそも飯を褒める語彙を持ち合わせていないのでしょうがない。


「ええ…きもちわるっ…」


母は半笑いでそう呟くとさっと台所へ引っ込んでしまった。


ちなみに俺の母親は十二年後もバリバリ存命である。


…自分でもなんでこんなに涙が出るのかわからん。

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