第40話 予想外のトラブル

 俺は流れるプールを一周し、再び三間坂さんのもとへと戻ってきた。

 三間坂さんの近くに危ない男がいるのではないかと危惧していたが、プールの壁で胸を隠すように背中を向けている三間坂さんの周りには誰もいなかった。


 俺は少し安心する。

 だけど、油断はできない。

 近づくリスクを冒さず、遠くから三間坂さんの様子を窺っている奴がいる可能性がある。


 俺は三間坂さんの怪しげな視線を送っているやつがいないか、あたりを注意深くうかがう。


 …………


 うーむ、そういう奴はいないようだ。

 しいていえば、多分一番怪しい男は多分俺だ。


 俺は一人で勝手に不安がっていた自分を少し恥じながら、三間坂さんへと近づいていく。


「三間坂さん、一周してきたけど、ごめん、見つからなかった。こっちには流れてこなかった?」


 三間坂さんの様子からしてその可能性は低いと思いつつ、念のために俺は彼女に尋ねる。


「……ううん。きてない」

「そっか……」


 こうなるともう誰かに拾われていると考えるしかないだろう。


「施設の人に水着が届けられていないか確認しようと思うんだけど……いい?」

「…………」


 人に尋ねるということは三間坂さんが水着をなくしたことを伝えるのと同義だ。それは三間坂さんもわかっているのだろう。彼女はすぐには答えず、しばし考え込んだ。


「……仕方ないよね」


 やがて三間坂さんはか細い声でそうつぶやいた。

 三間坂さんの顔は恥ずかしさと悔しさが入り混じったようだった。そんな顔をされると心が痛む。


 俺が探すことで下手に期待を持たせてしまったのではないか思ったりもしてしまう。

 やっぱり水着が浮いてたら誰だって気づくよな……。

 まだ浮いて残ってるなんて考えたのが間違いだったのかもしれない。


 …………


 というか、水着って浮くのか?


 俺は自分の水着をちょっと摘まんでみる。


 うーむ、どう考えても水を吸ってるよな。

 これが脱げても、浮かばずに沈むような気がする。


 ……ん? 沈む?


「三間坂さん! 俺、もうちょっと探してくるよ! ちょっと待ってて!」

「え、もういいよ! 高居君にこれ以上迷惑かけたくないし……」

「迷惑じゃない! 三間坂さんがそんな顔してるほうがいやだし!」


 俺はさっきまでと違って、水の中に頭まで潜り、水中や水底を探していく。

 勝手に水着は浮くものだと考えていたが、冷静に考えれば沈む方が自然ではないだろうか?

 三間坂さんの水着はプールの色に似た水色だ。もし底に沈んでいたらまだ気づかれていない可能性は高い。

 とは言えここは流れるプール。その流れで流されている可能性も大いにある。

 もう一度一周、今度は水中とプールの底までしっかり探してやるぜ!


 …………


 そう考えて希望を持って探し始めたが、そう簡単に見つかるほど世の中甘くない。

 結構頑張って水の中を探し続けているが、三間坂さんの水着はまだ見つかっていない。

 潜っては息継ぎ、息継ぎして潜りを繰り返すため、先ほどよりもペースも遅い。

 もう何回目になるかわからない息継ぎをして、俺はまたプールに潜った。


 水面にはなくとも水の中にならと思っていたが、俺が甘かったのだろうか……

 そう思っていたのだが、俺は前方のプールの底に、何かヒラヒラしたものを見つけた。


 あれってもしかして……


 俺は逸る心を抑えて、潜水でその発見物に近づいていく。


 ……間違いない!

 あのフリルには見覚えがある!


 俺は三間坂さんの水着を発見し、ついにそれを手にした。

 とはいえ、そのまま安易に水着を水中から出したりはしない。

 そんなことをすれば、周りからは女性用水着のトップスを手にした変態男に見えてしまう。

 それに、そんな状態で三間坂さんに水着を届ければ、彼女がそれを無くしたことを周りに宣伝するようなものだ。

 俺は拾った後も水の中に三間坂さんの水着を留めた。


 あとはここからどうやって三間坂さんのところに戻るかだな。

 ここからなら流れに逆らって戻ったほうが早く三間坂さんのもとへ帰れるが、流れるプールの逆走は基本的にご法度だ。なによりそんなことをしたら目立ってしまう。

 一旦プールの外に出るというのも一瞬考えたが、それだと俺が明らかにトップスを持っていることを周りの人に知られてしまうため、すぐに選択肢から消した。

 というわけで、面倒だが俺はこのまま流れるプールを一周して三間坂さんのところまで戻るしかなかった。女性用水着を持ったままという、非常に危険な状態のまま……


◆ ◆ ◆ ◆


 ほかの人に気付かれないようプールを一周してきた俺は、ようやく三間坂さんのところまで戻ってきた。


「三間坂さん」


 少し離れたところから俺は彼女に呼びかける。


「……高居君、どうだった?」

「見つけたよ」


 大きな声で発見の喜びを伝えたいところだが、俺はできるだけ声を抑えて三間坂さんにそう言った。ほかの人に気付かれるわけにはいかない。


「ホント!?」


 あれだけ不安げだった三間坂さんの振り向いた顔は、いつものように明るく見えた。

 つられるように俺の心も、覆っていたモヤが晴れるように明るい気持ちになる。


 さて、ここで問題が一つ。

 俺は今までトップスをつけてない三間坂さんを間違っても見てしまわないよう、一定距離以上に近づかないようにしていた。だが、見つけてきた水着を渡すためには、手が届く距離まで三間坂さんに近づかないといけないのだ。


「三間坂さん、手渡しするためにちょっと近づくけど、いい?」

「……うん」


 できるだけ三間坂さんの水面の下の体を見ないようにしながら俺は三間坂さんとの距離を詰め、水着を持った手を水中で三間坂さんの方へと伸ばす。

 三間坂さんは受け取るために少し体を横に向け、同じく水中で手を伸ばしてきた。

 俺は水面より下を見ないようにしていたものの、手渡しするためにはどうしてもそっちを見るしかない。

 探すのはもちろん三間坂さんの手なのだが、その流れで三間坂さんの体の方も見えてしまうのは不可抗力というやつだ。

 その不可抗力で、三間坂さんが少し横向きになったため、背中だけでなく違う部分も見えてしまう。そう、たとえば前面の膨らみみたいなものとか……


 ああ! 見ちゃダメなのに、それが俺の思ってる膨らみなか、ただの屈折なのか、すごく気になる!

 確かめるためにはもっとじっくり見る必要があるが、そんなことしたら……

 ああ、俺はどうすれば!?


 などと思っているうちに、俺の手から水着の感触が消え、三間坂さんは再び俺に背中を向けた。


 ……ふむ。

 俺は今かなりイケナイことを考えていたのではないだろうか?

 あぶない、あぶない……。


 それより、水着を取り戻した三間坂さんは当然これからその水着をつけることになる。プールの中でのその動きはきっと不自然なものになるだろう。

 そんなのを俺が見てはいけないのは当然だが、ほかの人に気付かせるわけにもいかない。


「三間坂さん、僕が反対を向いて壁になるよ。そのうちに付け直して」

「……うん。ありがとね」


 恥ずかしいのか三間坂さんの声はいつもよりしおらしく、不謹慎にも可愛い声だと思ってしまう。


「気にしないで」


 俺はそう言って三間坂さんに背を向けた。


 色々あったが、これで一安心だ。

 あとは変な奴が三間坂さんに近づいてこないように、ここで門番のように立ち塞がっていればいい。


 …………


 だが、いつまで経っても三間坂さんから、「もういいよ」とも「つけたよ」とも声が聞こえてこない。

 どうしたのだろうか?

 気にはなるが、さすがに振り返って確認するわけにもいかない。

 心配した俺が何か声をかけようとしたところで――


「……高居君」


 三間坂さんの方から声をかけきた。

 ようやくつけ終えたのかと、俺は振り返りかける。


「……水が流れてるせいでうまくつけられないの」


 あぶねー。

 危うく振り返るところだった。

 俺が向きを変える前に三間坂さんから困惑の声が聞こえてきて、俺は動作を止めた。


 確かにただでさえ水中というのは、陸上よりも水着をつけるのが困難だろう。その上、このプールの水は流れている。しかも、滅多に身に着けることのない水着という悪材料まである。さすがの三間坂さんでも苦戦するのは仕方ないだろう。

 でも、そこは三間坂さんに頑張ってもらうしかない。

 俺はせめて、彼女を落ち着かせられるように何か声をかけようとする。しかし――


「……高居君が後ろのホックをはめてくれないかな?」


 はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?

 三間坂さんの思いもよらぬ言葉で、俺の方が落ち着かなくなってしまった。

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