第3話 10円玉とキュウリ

 俺は昼休みは自分の席で、一人で弁当を食っている。男子はたいていそうだ。女子の中には仲のいいクラスメイトと机をくっつけて食っている人もいるが、隣の席の三間坂さんはいつも俺と同じように自分の席でご飯を食べている。

 彼女はいつも弁当を持ってきていたが、今日はそうではないようで、売店に行ってサンドイッチを買ってきて、自席で食べている。

 弁当を持参した俺は、もう弁当を食い終わって、机の上に置いた10円玉を指で弾いて遊んでいた。

 この遊びはを俺は「10円玉落とし」と名付け、密かな楽しみとしている。

 どういう遊びかというと、机の上に10円玉を二つ置き、片方を指で弾き、もう片方に当てて落とすというシンプルなものだ。

 俺の正確無比な一撃は、机の端から端でもほぼ確実に当てる。ビリヤードと同じで、狙った10円玉に当てて落としたとしても、自分が弾いた10円玉が机から落ちたら失敗だ。指で弾いた方の10円玉は机の上に残さないといけない。ターゲットの10円玉の真ん中に綺麗に当てると、ターゲットの10円玉だけ跳ね飛ばされ、弾いた方の10円玉は綺麗にターゲットの位置に残る。俺はそういった完璧な当て方さえできるプロだ。

 今では10円玉と10円玉の間に障害物を置き、反射させて当てるという難易度の高い技にも挑戦するようになっている。


「ねぇ、それって楽しいの?」


 俺が自分の戦いに集中しているところへ、三間坂さんがサンドイッチを食べながら失礼なことを聞いてきた。

 この10円落としは、俺にとってはもう楽しいというレベルを超えて、挑戦の領域に達している。

 とはいえ、それをそのまま言えば、きっと馬鹿にされるだろう。俺の頭の中には、俺の答えを笑う三間坂さんの姿がすでに再生されている。

 だから俺は正直には答えない。


「ただの暇つぶし」

「ふーん、そうなんだ。暇つぶししている顔つきには見えないけど」


 いちいち勘のいい女子だ。

 実に可愛げがない。

 容姿はクラスで三番目だが、可愛げでいったらワースト争いをすることだろう。


「喋りながら食べているとサンドイッチを落とすよ」


 俺が注意するとほぼ同時に、サンドイッチにパンの間に挟まっていたスライスのキュウリが三間坂さんの机の上に落ちた。


 ほら、言わんこっちゃない!

 しかし、これは完全なる三間坂さんの失態!

 入学してから初めて見たかもしれない!

 俺は何故だか勝利したような気分になる。

 さぁ、無様に落ちたキュウリを拾うといい!


 俺は三間坂さんの慌てる姿を期待したが、なぜか彼女は落ち着いたまま拾いもしない。

 それどころか、俺の方を見ながら机に落ちた丸く切られたキュウリを指さす。


「ねぇねぇ、ここに10円玉があるよ」


 くっ! そんなキュウリが俺の神聖な10円玉と同じというのか!

 なんたる侮辱!


「私もやってみようかな」


 そう言いながら、三間坂さんは指で机の上のキュウリを弾いた。

 ぴょこんと跳んだそのキュウリは俺の机の上に着地する。

 10円玉同士が火花を散らす、神聖なこの10円玉フィールドとでもいうべき俺の机の上に!


「あ、ごめん、そんなに跳ぶとはおもわなかった」


 なにをしおらしいことを! 全部狙いだということを俺は見抜いているぞ!


 正直、俺は10円玉落としを馬鹿にされたようで、腹を立てていた。

 俺は三間坂さん方に狙いをつけ、10円玉を弾くときのように、机の上に落ちたキュウリに指を構える。


 三間坂さん、君の机にこのキュウリを突き返してやる!


 俺は思い切りキュウリを指で弾いた。

 10円玉のような直線の軌道でなく、キュウリは綺麗な弧を描く。


「あっ」

「…………」


 10円玉で鍛えた俺の指の力は、どうやら俺想定以上だったようだ。

 三間坂さんの机の上に着地させるつもりだったのに、俺の弾いたキュウリは飛びすぎて、よりによって三間坂さんの額に張り付いてしまっている。


 まずい。

 これはまずい。

 ここまでの経緯はともかく、この状況だけ見れば、俺は女子の額にキュウリを張り付けた男というレッテルを張られかねない。

 ……いや、まぁ、事実としてそうなのだが。


 それはともかく、もしこの話が女子全体に広まるようなことになれば……俺の高校生生活は終わる。

 キュウリ男と名付けられて高校三年間を過ごす自分の姿が容易に想像できてしまう。

 何か言い訳をしなければ! キュウリパックとかいうのを聞いたことがある。きっとお肌にいいと思うよ、と言うのはどうだろうか。……だめだ、余計煽っているようにしか聞こえない。言い訳の前に謝るべきか? キュウリ弾いて額にぶつけてごめんって謝るのか? だめだ、その単語だけでもうふざけてるととられかねない!

 ああ、俺はどうすればいいんだ!?


 俺が焦りながらまだ額にキュウリをつけたままの三間坂さんを見ると、彼女は急に口を押さえた。


「ぷっふふふふふふふふふ」


 あ、なんか笑い出した。

 その拍子にキュウリが額から落ちて三間坂さんの机の上に戻る。


「もう……ぷぷっ、なにしてくれるのよ……ぷぷっ」


 あれ? 怒ってない。

 笑いながら文句を言ってきてる。


「……ごめん」

「食べ物で遊んじゃだめなんだからね」


 三間坂さんが笑いすぎて目に涙を浮かべながら注意してくるが、最初にキュウリを飛ばしたのは彼女のほうなのだから多少不条理に感じる。

 とはいえ、さすがにそれを言い返す気にはなれない。

 女子から総スカン食らいかねないピンチだったのに、なぜか笑い話になっているのだから、俺としては文句を言うべき状況ではあるまい。


 キュウリぶつけたのが三間坂さんじゃなかったらどうなっていたことか……。

 俺は初めて隣の席が三間坂さんで良かったと思ってしまった。

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