第43話 三間坂さんとウォータースライダー

 ウォータースライダーなんて所詮は子供だまし。高校生の俺が本気で楽しむようなものではない。でも三間坂さんは楽しそうだから、多少演技でも楽しんでみせよう。

 ――などと思っていたのだが、滑り出してすぐに俺は自分の浅はかさを思い知る。


「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」


 俺の口から自然とそんな声が発せられた。後ろの三間坂さんも黄色い声を上げているが、音量でいえば俺の方が上かもしれない。

 スライダーのコースが左右にかなり角度で曲がるため、俺達を乗せた浮き輪はそのたびに大きく振れる。浮き輪自体が不安定であるため、乗っている俺達の揺れは想像以上だった。

 また、滑る速度もハンパない。一人用スライダーを経験しているから大丈夫と思っていたが、体感速度はこっちのほうがずっと上だった。


 そしてさらに、速度と左右への振れ以外にも、俺の心を揺さぶるものがあった。左右に身体が振られるたび、そして速さで三間坂さんが緊張するたび、俺のわき腹に三間坂さんの足が強く当たるのだ。場合によっては食い込みそうになるほど。


 やばい!

 こんなに三間坂さんの生足と密着するなんて!

 スリルによる興奮と男性的興奮とが、自分でもなにがなんだかわからないくらいに頭の中でごちゃごちゃになる。

 ウォータースライダー恐るべし!


 だが、そのウォータースライダーもいよいよゴールへと近づいてきていた。

 最後はこの勢いのままプールに着水だ。

 恐らくかなりの衝撃がくるだろう。

 俺は浮き輪についている持ち手を握る指に力を込めた。


 三間坂さんの手前、かっこ悪く浮き輪から落ちるような姿は見せられない。後ろの三間坂さんのためにも俺が前で踏ん張る必要があった。


 しかし、そう思っていたのに、ゴール手前にして、三間坂さんが俺の左右の肩を掴んできた。


「三間坂さん!? ちゃんと持ち手に掴まってないと!?」

「大丈夫大丈夫! この方が楽しいって!」


 えええええ!

 待って待って!

 これじゃあ俺、二人分の衝撃を支えないといけないんじゃないのか!?


 ずぶぁあああぁぁん!


 俺が戸惑っているうちに、俺達を乗せた浮き輪は勢いよくプールに着水した。

 水が大きく跳ね、浮き輪も激しく揺れる。


 俺は指に、手に、腕に、力を込めて態勢の維持をはかる。

 だが、俺の肩を持つという危険な態勢をとっていた三間坂さんは、その手では着水の衝撃に耐えきれなかったのか、身体ごと俺の背中に勢いよくぶつかってきた。

 ――柔らかなな弾力のあるクッションのようなものごと。


 うひぃぃぃぃぃぃ!?

 この感触って、もしかして三間坂さんのアレじゃないのか!?

 それがこんな思い切り俺の背中に当たってるなんて!?


 そんな感触の正体と大きさと柔らかさを瞬間的に考えてしまった俺の手から一瞬力が抜ける。

 そうなってはもう俺と三間坂さんの体を支えることなどできるはずがない。

 俺は三間坂さんの感触を背中に感じながら、彼女と一緒にプールの中に落ちてしまった。


 ぶくぶくぶくぶく……


 もう! 全部三間坂さんのせいだぁぁぁぁぁ!


 プールに沈んだ俺と三間坂さんは、同じタイミングでプールから顔を出す。


 俺は文句の一つでも言おうと三間坂さんに顔を向けたが、三間坂さんは濡れた顔のまま口を大きく開けて笑い出した。


「にゃはははははははは」


 三間坂さんの笑い方はちょっと変わっている。わざとやっているのかと思ってた時もあったが、この笑い方をするときは三間坂さんが心から笑っているのだと俺はもう知っている。

 そんな三間坂さんの笑い顔を見せられたら、怒る気持ちなんて一瞬で消えた。


「もう、三間坂さんわぁ……ふふふふ」


 三間坂さんにつられるように俺も笑い出す。

 そして、俺はすぐに気づく。三間坂さんの髪がいつもと変わっていることに。

 水に落ちた衝撃で、三間坂さんの髪を留めていたオレンジ色のゴムの輪っかが取れたようで、三間坂さんの髪はいつものサイドテールではなく、濡れたままストレートの髪型になっていた。

 髪が濡れて艶やかに見えるせいもあってか、今の三間坂さんはいつもより大人びて見える。


「ん? 私の顔に何かついてる?」


 俺が不思議そうな顔で見ていることに気付いたのか、三間坂さんが首をかしげた。


「あ、いや、髪が……」


 思わず三間坂さんの見とれながらつぶやいた俺の言葉で、三間坂さんも手を自分の頭に当て、髪留めの輪っかが外れていることに気付く。

 三間坂さんは慌てて周囲の水面や水の中を探し始めた。


 あの素材だったら水に浮いているはずだ。

 そう思って俺は水面を中心に探し――三間坂さんの背中側にオレンジの髪留めが浮いているのを見つけた。

 俺はその髪留めを拾うために三間坂さんに近づき、三間坂さんの後ろに右手を回す。

 深く考えずにその行動をとっていたのだが、輪っかを手にしてから俺は気づく。今の俺は急に三間坂さんに近づき、右手で三間坂さんを腕ごと抱くような態勢になってしまっていることに。


 やばっ!

 こんなことしたら三間坂さんにどんな文句を言われるかわからない!


 俺は慌てて三間坂さんの顔に視線を向ける。

 怒られる前にちゃんと説明をしないと――


 そう思っていたのに、三間坂さんの顔は俺の想像したものとまるで違っていた。

 少し顔を赤らめて潤んだ瞳で俺を見上げて……


 えっ!?

 ちょっと待って!?

 なにこの三間坂さんの表情!?

 こんなの初めて見たから、俺、これがどういう状況なのか全然わからないんだけど!?


 こういう時って何を言ってどうすればいいんだ!?

 髪留めを取るためだったと言い訳すべき?

 でも、違う。そうじゃない気がする。

 もっと、ここで言うべき言葉がある気がする。

 それは――


「すみません! 次の人が滑るので早くそこからどいてもらえますか!?」


 スタッフの人に注意され、俺達は慌ててお互いの顔を見合わせる。

 三間坂さんの顔はもういつもの顔に戻っていた。


「あ、三間坂さん! 髪留め、拾ったから」

「あっ、ありがとね!」


 スタッフさんの視線に恥じらいながら三間坂さんは俺からオレンジの髪留めを受け取る。

 俺達二人は浮き輪とともに慌ててその場から離れ、プールから上がった。


「もう! 高居君のせいで注意されちゃったじゃないの!」

「え? 今のって僕のせいなの?」

「うん! 高居君のせい!」


 ……不条理だ。


「でも、楽しかったよね!」


 向けられた三間坂さんの顔はとてもまぶしく、そしてとても可愛らしかった。クラスで3番目だって? この三間坂さんのどこが3番目だっていうんだ? ――などと思ってしまうくらいに。


「ああ、すっごく楽しかった」


 不条理だという思いなど霧散し、俺の口からは自然とそんな言葉が出ていた。

 そう、本当に楽しかったんだ。

 ウォータースライダー自体がじゃなく、三間坂さんと一緒に体験できたことが。


 こうして俺の夏休みに思いもよらず現れたプールの日は、俺にとって忘れられない一日となった。

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