第25話 したたかな裏切者(3)

 水曜日の午後七時。俺は盛田市駅南口の改札で紗耶香が出てくるのを待っている。

 アイスグレイのロングコートを着た綺麗な女性が改札に向かって来ると思っていたら、俺の姿を見て、軽く手を挙げた。その綺麗な女性が紗耶香だった。

「お待たせ。今日は何を食べさせてくれるの?」

 冗談めかして笑う彼女を見て、やっとその女性が紗耶香だと納得できた。だが、綺麗に化粧しておめかしした紗耶香はいつもと違い、随分大人に見えた。

「どうしたの? 私なにか変?」

 余りにいつもと違う姿に戸惑い、言葉が出ない俺に紗耶香は不思議そうな表情で尋ねる。

「あっ、いや、いつもと雰囲気が違うから……」

「あっ、嬉しい。気付いてくれのね! 昨日髪を切ってきたの。良い感じになって、自分でも気に入ってるのよ」

 正直、髪を切ったのは分からなかった。だが、今の紗耶香に感じているのは、髪形だけのことじゃない。今まで妹のように思っていた紗耶香が、急に一人の女性として目の前に現れた驚きだ。

「あっ、俺こんな格好で来て……」

 俺は大人びた紗耶香の姿と自分の姿のギャップに気付き、思わず呟いてしまった。俺は仕事から帰ってすぐの、汚い服装のままだった。

「良いじゃない、文也君らしくて。私も仕事終わりにそのまま来たんだから同じよ」

 見違えるような姿に見えても、紗耶香は紗耶香だ。飾らない性格は変わらない。

「じゃあ、行くか」

「うん」

 俺は駅の連絡橋を渡って北口に向かう。本当はこの商店街の中の居酒屋にでも行くつもりだったのだが、紗耶香を見てもっと良いレストランにでも行こうと思ったのだ。

「あれ? 北口に行くの?」

 紗耶香が不思議そうに訊ねる。確かに、北口に行くなら、最初から向こうの改札で待ち合せれば良かったからな。

「ああ、向こうに美味しい店があったのを思い出したんだ」

「そうなんだ。それは楽しみ」

 紗耶香は嬉しそうに、俺の横を歩く。並んで歩いているだけなのに、俺は妙に紗耶香を意識していた。

 北口側で落ち着いたレストランでも、と探したが、作業服の上にダウンジャケットの俺が入れる店は無く、結局予定していた南口側の居酒屋に入った。

「カンパーイ!」

 平日だというのに、結構繁盛している居酒屋のテーブル席に座り、俺達は生ビールのジョッキで乾杯した。

「悪い、せっかくご馳走するって言ったのに、こんな店になって」

「大丈夫。私も居酒屋の方が落ち着くから。でも、どうしたの? そんなに気を遣うなんて、文也君らしくない」

 紗耶香の大人びた姿を見て、安い店は似合わないと思ったとは言えなかった。

「いつも晩御飯食べさせて貰ってるからな。たまには良い店でご馳走しようと思ったんだよ」

「そんなこと……私はいつも文也君に感謝しているの。晩御飯ぐらい気にしなくても良いのに」

 紗耶香はそう言って笑う。全てを包み込んでくれそうな、優しい笑顔だ。

「お父さんとお母さんが死んで、二人で途方にくれてた時。文也君が励ましてくれてたことがどれほど支えになったか……拓斗も普段あんな風に言ってるけど、文也君のことを本当のお兄さんのように慕っているのよ」

「拓斗がねえ……あいつ俺の顔をみたら憎まれ口しか言わないのに」

 俺の言葉を聞き、紗耶香がクスッと笑う。

「照れてるのよ。あの時も文也君が居てくれなかったどうなってたか……」

 紗耶香の表情が曇る。「あの時」……詳しく言わなくても、俺には何のことか分かっている。紗耶香が高校を卒業してから働き出した会社を辞める原因となったあの件だろう。紗耶香や拓斗の心に深い傷を残した、思い出したくもないあのことだ。

「そう言えば、もうお見合いは済んだのか?」

 俺は話題を変えようと、咄嗟に気になっていることが口に出てしまった。

「あっ、あれはその……」

 紗耶香は焦って視線を逸らす。

「頼まれて仕方なく会っただけだから……」

「でも、本気行くって」

「それはその……文也君があんなこと言うから」

 ちょっと拗ねたように口を尖らす。こうするといつもの紗耶香の表情だ。

「そうか……」

 俺は紗耶香の言葉を聞いて、安心していることに気付く。なぜ安心しているのか? 自分でもよく分からない。

 その時、「お待たせしました!」と店員さんが料理を運んで来てくれた。

「美味しそうだな」

「うん、食べよう!」

 その後は軽い世間話などして飲んで食べ、楽しい時を過ごした。


「ちょっと飲み過ぎた……」

 店を出てタクシー乗り場まで送って行こうと歩き出すと、紗耶香が気持ち悪そうに呟いた。

「大丈夫か?」

 少しお酒のペースが速いと思っていたら、結構酔いが回っていのか。

「なんかフワフワする……」

 少し足元がおぼつかない紗耶香が俺に寄り掛かって来る。

「仕方ねえな……」

 まだ十時か。少し事務所で休憩させてから帰らせるかな。

 俺は紗耶香を事務所に連れて帰った。

「はい、お水」

 紗耶香を事務所のソファに座らせ、お水を出してやる。

「あっ、ここは事務所! ああ、文也君にお持ち帰りされちゃった!」

 紗耶香は俺が置いた水を飲み、初めて自分がどこに居るのか理解出来たようだ。居酒屋に居る時から楽しそうだったが、更にハイテンションになっている。

 こんなにもお酒が弱いなんて知らなかった。普段大丈夫なのかよ。

 拓斗が心配しているかも知れないので、ラインで連絡する。

(紗耶香が飲み過ぎたから事務所で休憩させてる。落ち着いたらタクシーで帰らすよ)

(姉さんに変なことすんなよ!)

 俺はアッカンベーをしているキャラのスタンプで返信した。

 ふと目の前に座る紗耶香を見ると、ソファに寝そべり寝息を立て始めている。

「おい、こんなとこで寝るなよ。風邪ひくぞ」

 俺は紗耶香を抱き起こした。紗耶香はそのまま、俺に抱き付いてくる。

「今日は楽しかった。ありがとう文也君」

 紗耶香が耳元で囁く。抱き締めた体から良い香りが漂ってきた。

 こんなことぐらいで喜んで貰えるなら、普段からもっと食事に連れて行けば良かった。

「うん、分かったから」

 少し寝かせた方が良いかと思い、俺は紗耶香をベッドに連れて行く。

 ベッドに座らせると、紗耶香は自分でコートやスーツを脱ぎ始めた。

「もう寝る」

「おい、紗耶香……」

 あっと言う間に、紗耶香は下着だけの姿になる。一瞬状況を忘れ、スレンダーで綺麗なスタイルに目を奪われた。

 紗耶香は下着姿のまま、ベッドにもぐり込んだ。俺は仕方なく、紗耶香が脱ぎ捨てた服を片付ける。

「寒いー」

「ええっ!」

 エアコンを点けているとは言え、下着だけで布団の中に入ってたらそりゃ寒いだろう。

「文也君温めて」

 紗耶香が手を広げて俺を誘う。

「紗耶香……」

 俺も服を脱ぎ捨て、引き込まれるようにベッドに入った。

 正直、下心はあった。紗耶香の香りや体が理性を麻痺させていたのだ。

 紗耶香の隣に体を入れると、紗耶香が抱き着いてくる。俺もその体を受け止め、抱きしめた。

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