第二章:すれ違いの指輪

第10話 すれ違いの指輪(1)

「もったいな~い、もったいな~い、もったいないよ~」

 仕事が終わり、もう暗くなり始めた帰り道、軽トラの助手席に座る拓斗が、最近自分の中でお気に入りになっている「もったいないエレジー」を口ずさんでいる。普通に歌っているだけで鬱陶しい歌なのだが、毎回メロディーが微妙に違うのが更に気に障る。奴は俺に対する当てつけで歌っているので、効果的なのかも知れんが。

「いつまでも終わったことをグチグチ言うんじゃねえよ。鬱陶しい」

「だって二百万だぜ。貰っときゃ、このボロボロの軽トラも買い替えられたのに」

 拓斗は俺が前回の仕事で二百万円を棒に振ったことをしつこく非難しているのだ。

「あれ以外どうすれば良いんだよ。全て暴露してお金を受け取れって言うのか?」

「そうだよ。だって依頼人はもう死んでるんだよ。全てを話したって損する人は居ないじゃないか」

「そんなこと、俺にはできねえな。彼女の最期の思いを無にしてまで金が欲しいと思わねえよ」

 とまあ、カッコイイことを言ってはいるが、全く後悔していないかと言えば嘘になる。だからこそ、いつまでも拓斗にこの件をほじくり返されるのは鬱陶しいのだ。

「大体お前はFXで儲かっているんだろ? 人の金に拘らなくても良いじゃねえか」

「別に負けてる訳じゃないけど、利益が出ない月もあるんだよ。あの二百万円があれば今までの未払い給料を貰って家にお金を入れられるのに」

「心配すんな。いつかはちゃんと払うから」

「いつも言うだけだもんな……。今日のバイト代は絶対に貰うからな」

「大丈夫。今日は吉田さんの仕事だから十分にお金は貰ったよ」

 吉田さんは隠居している地主の大金持ちで、うち一番の上顧客だ。なぜか俺を気に入ってくれていて、小さなことから大きなことまで色々頼んでくれる。今日も自治会の秋の紅葉観賞会の手伝いを頼んでくれた。最近は若い人が少ないからと会長の吉田さんが雑用係として依頼してくれたのだ。しかも、自治会の予算とは別に上乗せまでしてくれたようだ。朝から夕方までみっちり働かされたが十分な報酬を頂いたので感謝しかない。

「明日からは仕事あるの?」

「まあ、ちょこちょこな」

「どうせ犬の散歩程度なんでしょ? またうちに飯食いに来ないでよ」

 拓斗は牽制するようにそう言った。まあ、拓斗になんと言われようと行くときゃ行くんだが。


 駅前の雑居ビルに戻った俺達は、軽トラに積んだ荷物を降ろしてエレベーターで二階の事務所に上がる。事務所の前に着くと、三十代前半ぐらいのスーツ姿の男性が「なんでもやります小室屋」の看板を張り付けた扉を見つめて立っている。

 お客さんか? と思った瞬間、帰ろうと思ったのか、男性はドアをノックすること無くこちらを向いて歩いてきた。

「あの、うちに御用ですか?」

 お客だったとしたらこのまま帰してなるものか、と俺はすれ違いざまに声を掛けた。

「ああ、あなたあそこの人ですか?」

「はい、『なんでもやります小室屋』の小室と言います」

「そうですか。扉の前まで来たけど決心がつかずに諦めようかと思っていたんですよ」

「ええっ。いや、なんでもお請けしますから、お気軽にどうぞ、今すぐ事務所にお通しします」

 やはり男性はお客さんのようだ。帰られなくて良かった。事前の電話無しに飛び込みで来るなんて珍しい。

 俺は急いで事務所を開けて、男性を中に通した。

「あの、依頼は録音させてもらっているんですが、構いませんか?」

「ああ、結構ですよ。どうぞ」

 応接用のソファに座った、温厚そうな少し太めの男性はごく普通のサラリーマンに見える。

「では……まず、お客様のお名前を聞かせて頂けますか?」

 応接セットで男性と向かい合い、俺はICレコーダーで録音して質問を始めた。

「はい、私は桜田(さくらだ)と申します」

 男性が名刺を取り出したので、俺も慌てて名刺を桜田に渡した。

 名刺には高崎商事営業課長桜田隆(さくらだたかし)と書いてある。高崎商事は上場企業の有名な会社だ。このお客さん結構エリートなのか。

「今日はどのようなご依頼でしょうか?」

「実はある場所に行って物を受け取って欲しいのです」

「物を? 引っ越しとかの大荷物でしょうか?」

「いえ、両手で持てるサイズの段ボールの箱が一つだけです」

「あの失礼ですが、物の運搬だけなら宅配業者の方がお安く出来ます。ご依頼はありがたいのですが、私どもは人数と日数で最低の単価が決まっていますので割高になると思いますが……」

 仕事が入るのは嬉しいが、俺は料金を聞いたら断られると思った。

「おいくらぐらい掛かるのでしょうか?」

「そうですね、実費を抜いて基本料金は一人一日三万円を頂いています。まあ、時間が短ければ多少割引はさせてもらいますが、逆に内容が複雑になればその分割り増しもあります。まあ、今回は近場であれば一日で済むでしょうし、三万円に交通費で済むとは思いますが」

「ああ、それなら大丈夫です。場所はここから車でなら一時間も掛かりませんし、一人で十分に可能です。料金もそれぐらいならお願いします」

「本当に良いんですか?」

 俺は思わず出掛かった「宅配便なら十分の一も掛からないのに」という言葉を飲み込んだ。こんな美味しい仕事は逃したくはない。

「あ、あと犯罪に関わるような物とか危険物はお受けできませんが大丈夫ですか?」

「もちろんそんな物ではありません。ただ、条件があるのです」

「条件ですか?」

 俺は咄嗟に身構えた。話が美味しすぎると思ったら、やはり別に条件があるのか。

「そんな難しいことではないのですが、時間を厳守して欲しいのです」

「時間厳守ですか?」

「はい、秒単位とは言いませんが、ちょうどその時間と言えるくらいには厳守してもらいたいのです」

「あの、それは例えば、家の前で時間調整してちょうどその時間になれば呼び鈴押すって感じでもよろしいのですか?」

「ああ、はいそれで結構です。あと……」

「あと?」

 桜田さんは言うかどうか迷っているようだ。

「やっぱり良いです。ちゃんと時間を厳守して荷物を受け取ってきてください」

「あ、はい、分かりました」

 なにか引っかかる気もしないではないが、とにかく仕事が欲しい俺は引き受けることにした。

「ああ、あと、メッセージと言うか、行った先の相手はどういう人物なんですか? なんと言って受け取れば良いんでしょうか?」

「それは……桜田の使いで来たと言えば分かります。それにもし留守であればそのまま帰ってきて結構です。料金は払いますから」

「そうですか……分かりました」

 俺は腑に落ちない状態だったが、そのまま引き受けた。何か事情があるからこそ、なんでも屋に頼むのだろう。

 書類を作成して必要事項を記入し、前金として一万円を受け取り契約を完了させた。

「ああは言ってたけどヤバい物を運ばせようとしてるんじゃないの?」

 桜田さんを見送った後、奥から拓斗が顔を出してそう言った。家まで送る約束をしていたので、今まで待っていたのだ。

 俺はそう言われて返事が出来なかった。確かに簡単すぎる依頼で裏があるかと疑いたくもなる。だが、契約書にはちゃんと違法な物品の場合は責任を負いませんと記載してある。法律的なことは詳しくないが、善意の第三者になる筈だ。

「まあ、仕事を選り好みできる立場でも無いしな。さあ、家に送っていくよ」

 俺はあまり考えすぎずに淡々と依頼をこなそうと決めた。

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