第11話 すれ違いの指輪(2)
三日後、桜田さんから指定された日になった。時間は午後七時。ちょうどその時間に指定されたマンションの一室まで箱を受け取りに行く。
午後五時に俺は事務所を出発した。早過ぎる時間だが、渋滞に巻き込まれた時のことを考えて十分余裕をみたのだ。
秋も深まり十月ともなると、もうこの時間には、街は夜の姿を見せ始めている。俺はカーステレオでブルーハーツを聴きながら、ドライブ気分で軽トラを走らせた。
道中トラブルもなく、俺は六時前には目的地のマンションに到着した。
六階建ての賃貸マンション。目的の部屋は三階の八号室。エレベーターを降りて一番奥の角部屋らしい。
俺は近くにあったコインパーキングに車を停めて、下見の為に部屋へ向かった。
エレベーターで三階まで上がり、廊下に並んでいる扉の部屋番号を確認しながら奥へと進む。一番奥まで来て三〇八号室を確認した。とその時、俺は部屋番号の下の表札に気付いた。
「桜田?」
安っぽい表札ではあったが、手書きではなく、プラスチックのプレートに黒い文字で「桜田」と彫ってあった。
依頼主と同じ苗字。自分の家? もしくは家族の家なのか?
なにか事情がありそうだが、深く詮索する必要もないと思い、部屋から離れた。
俺は車に戻り、時間調整することにした。十分前に車を出て、部屋の前で時間を見ながらチャイムを押せば大丈夫だろう。スマホのアラームを設定して、暇つぶしにネットサーフィンを始めた。
スマホのアラームが鳴った。七時十分前だ。
俺は車を降りてマンションに向かう。
三〇八号室の前に立った時はまだ六時五十五分。ちょうど七時と言うにはまだ早いか。
仕方なくあと五分待つことにしたが、果たしてこの五分に意味はあるのだろうか? 誰か箱を渡してくれる人が居るとしても今インターフォンを鳴らすのと七時ちょうどに鳴らすのと何が違うのだろうか? そんなことを考えながら、俺はスマホの時間を睨んでいる。何もしないで待つとなると五分は長い。
途方もなく長い五分間がもうすぐ終わる。俺は心の中でカウントダウンを始めた。
五、四、三、二、一、0と同時にインターフォンを鳴らした。
「覚えていてくれたのね! 私もずっと待っていたのよ。嬉しい、夢みたいだわ」
少し待った後に、インターフォンのスピーカーから弾むような女性の声が聞こえてくる。どう考えても人違いしているようだ。
「あの、私は『なんでもやります小室屋』の小室と言います。桜田様の依頼でここに箱を受け取りにお伺いしたんですが……」
「えっ……」
女性の声のトーンが急降下する。明らかに動揺しているのが感じられた。
「あの……『桜田の使い』だと言えば分かるとお聞きしていますが……」
確かにそう聞いていたが、相手は予想外だったようだ。桜田さんは嘘を吐いたのだろうか?
そう考えていると、ガチャリとドアが少し開き、アラサーぐらいの女性が顔を出した。
「あなたは……」
「はい、私は『なんでもやります小室屋』の小室と言います。桜田様の依頼でここに箱を受け取りにお伺いしました」
俺はもう一度用件を伝えた。
俺がそう言うと、女性はドアを大きく開き、姿を見せた。
どこかに出かける寸前だったのだろうか。女性は髪をアップで束ね、ワインレッドのドレスで盛装している。メイクもしっかり決めた、なかなかの美人だ。これから高級レストランのディナーへでも行くように見える。
「主人は来ていないのですか?」
「主人と言うのは、依頼人の桜田隆様のことでしょうか? それなら同伴はしていません」
主人と言うことはこの女性は桜田さんの奥さんなのか。
「そう……」
奥さんの顔に落胆と深い悲しみが現れる。俺は何も悪くはない筈なのだが、罪悪感を覚えた。
「あの……箱を預かってくるように依頼されているのですが」
俺は本来の仕事が達成できるのか心配になってきた。目の前の奥さんは桜田さんから話を聞いていないのは明らかだったから。
彼女は今にも泣きだしそうな顔で少し考えた後「分かりました」と一言つぶやき、ドアを閉めて、家の中に戻ってしまった。
奥さんは桜田さんと今日のこの時間に約束をしていたのだろうか?
恐らくそうだろう。桜田さんは自分の代わりに俺を寄こすことでメッセージを与えたんだ。彼女を拒絶するという。
待つこと数分。なんの予告もなくもう一度ドアが開き、奥さんが段ボール箱を両手で抱えて出てきた。心配していたが無事仕事を終えられそうだ。
俺は「ありがとうございます」と箱を受け取りそのまま帰ろうとしたが「ちょっと待ってください」と奥さんに引き留められた。
彼女は悲しそうな表情で、左手の薬指から指輪を外して俺に差し出す。
「これを主人に渡してください」
結婚指輪なのだろう。金のシンプルな指輪だ。
俺はどうしたものか考えた。これは桜田さんからの指示には無かったことだ。
「これも箱の中に入れてはダメなんですか?」
「これは違うの」
そもそも箱の中身が何なのか知らされていない俺は、違うと言われても何が違うか意味が分からなかった。
「料金が必要ならお金は払います」
彼女は真顔でそう言った。
「いえ、それは結構です。お預かりします」
結局、俺は彼女から指輪を受け取った。
桜田さんと奥さんの間に何があったのかは分からない。だが、別れ話のごたごたなのは容易に想像できた。出来るだけ関わらないのが無難だと思うが、彼女の悲しそうな表情を見ると断り切れなかった。
俺は箱を抱えてマンションを出る。
箱はそれほど重くはなく、大きさも両手で楽に持てる程度だ。中身は見ていない。段ボールはガムテープで封がされているし、されていなくても見なかっただろう。興味がないと言えば嘘になるが、他人のプライベートを覗き見しようとは思わない。
車の助手席に箱を積み込み、桜田さんの家に向かった。
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