第7話 依頼者は死後に嗤う(7)

 二人の間に微妙な気まずい沈黙が流れた。

「久美ちゃんが渡した前金はね、彼女の全財産なの」

 沈黙に耐え切れないように時田さんが呟く。

「久美ちゃんから病気のことを初めて聞いた時に、家族に復讐したいって言われて私は反対したの。そんな復讐なんかせずに、残された時間を楽しもうって。

 そのお金は久美ちゃんが少ないお小遣いの中から少しずつ貯めていてね。私とヨーロッパに旅行に行こうって約束していたの。だからヨーロッパじゃなくても近くでも良い。私も一緒に付き合うから、美味しいもの食べて、ゆっくりして、二人で楽しもうって……」

 それが普通の反応なのだろう。拓斗の言った前向きなことを考えるなら、復讐など忘れて旅行に行くべきだ。

「でも久美ちゃんは言ったの『ありがとう真紀さん。あなたが本当のお姉さんだったら私は幸せだったのに……。私も真紀さんと一緒に旅行に行きたい。でもそれじゃあ私は笑って死ねない。家族への憎しみを抱えたままでは、笑って死ねないの』って……」

 竹下さんのこの復讐に掛ける思いが伝わってくる言葉だ。

 俺は自分が試されていたことなど忘れて時田さんの言葉に聞き入った。

「その言葉を聞いて、私も覚悟を決めた。二人で話し合って計画し、あなたに依頼したの。今日のあなたの演技は素晴らしいわ。一生懸命練習したのが伝わってきて嬉しかった。でも……私が足を引っ張っちゃったね……久美ちゃんに会わす顔が無いわ」

 時田さんはだんだん泣きそうな声になっていた。俺が気分を悪くしたのを見て責任を感じているのだろう。

「大丈夫。任せて下さい。俺は完璧に元カレを演じてみせます。久美さんにそう伝えて下さい」

 俺はやる気十分になって、笑顔でそう応えた。

「本当に? もう仕事を断られるかと思ってた」

 時田さんはほっとした表情を浮かべて笑顔になった。

「それと、足を引っ張るなんて考えなくて良いですよ。きっと、あなたが居たからこそ久美さんも家族に立ち向かう勇気が出たんだ。一人じゃ何も出来ずに悔しい思いのままに死んで行かなきゃならなかったと思う」

 根拠は無いが、俺はそう思った。

「小室さん……本当にそうなのかな……」

「俺はそう思います」

「ありがとう。これで久美ちゃんに良い報告が出来るわ」

 時田さんが笑顔で右手を差し出してきた。

「はい、任せてください」

 俺は差し出された右手を強く握った。

 

 あれから二ヶ月が過ぎた頃、竹下さんが死んだと時田さんからメールで連絡が入った。今日が通夜になるとのことだった。

 夜になり、俺は親父の時に着た礼服を引っ張り出し、軽トラでお通夜に向かった。

 お通夜の会場は竹下さんの実家近くの葬儀会館だ。小じんまりとした会場で、金を掛けていないのが一目で分かる。

 会場内は参列者も少なく、親族らしき喪服の男女が数人、椅子に座り雑談していた。彼らの中に両親や姉は見当たらなかった。まさか家族が会場に居ない筈はないと思うが、俺の存在に気付かずスルーされては意味が無いので心配になった。お通夜に参列するのは、竹下さんからの指示だ。葬式では時間が取れず、元カレと言う関係を十分にアピール出来ないと言う理由だった。だが、肝心の家族と話が出来なきゃ意味が無い。

 受付で香典を渡し記帳する。

 小室文也。

 指示通り本名と事務所の住所を書き込んだ。

「あなたは会社の方ですか?」

 受付をしていた五十代程の女性に聞かれた。

「いえ、友人です」

「ええっ、友人。久美ちゃんの友達なんですか?」

「ええ、そうですが……」

「あらっ、まあ」

 女性は心底意外そうな顔で俺を見ている。竹下さんの友人が少ないことは分かるが、俺の存在がそれ程意外なのだろうか。

 女性の態度にイラッとしたが、何も言わずに奥に向かった。

 雑談している人達も俺を不思議そうな目で見ているが、特に声を掛けて来ない。仕方ないので俺は無視して焼香台に向かう。

 焼香して顔を上げると遺影の写真が目に入って来た。死の直前に撮ったのか、必死で笑顔を作っているが、頬はこけ、顔色は青ざめている。まともな笑顔を作れないくらい辛い体調だったのだろう。わざわざこんな写真を遺影に使う家族の底意地の悪さを感じた。

 だが、竹下さんの思いはそんな意地悪に負けてはいなかったのだろう。必死に作った笑顔が彼女の気持ちを表しているようだ。「もうこんないじめには負けない。あなた達には一生消えない心の傷を残してやるから覚悟しろ」竹下さんの笑顔は家族に対してそう訴えているような気がした。

「この度は娘の為に御足労頂いて、ありがとうございます」

 俺が遺影を見つめていると後ろから男性に声を掛けられた。振り返ると、五十代くらいの夫婦らしき男女が立っている。

 資料の写真で見た竹下さんの両親だ。二人の顔には娘を失った悲しみは全く見えない。俺を怪しむように警戒の視線を送ってくる。

「ご愁傷様です。心よりお悔やみ申し上げます」

「お心遣いありがとうございます」

 俺が気持ちを隠して頭を下げたと同時に夫婦も頭を下げる。

「娘の会社の同僚の方ですか?」と母親が聞いてきた。

「いえ、友人です」

「友人? 学生時代の同級生とか?」今度は父親が聞いてくる。

「いえ、違います。なんと言うか、その……お付き合いさせて頂いていた者です」

「お付き合い!」

 二人同時に声を上げる。

「お付き合いと、いうとその……」

「ああ、その、いわゆる恋人と呼ばれる関係です」

 俺は二人から視線を逸らし、竹下さんの遺影を見つめながら母親の問い掛けに答えた。

「恋人ってそんな……」

 父親は信じられないという表情で顔を引きつらせている。

「一度もご挨拶出来ずにすみませんでした」

 俺は軽く頭を下げる。

「久美に恋人なんて居る訳ないだろ、何を言うんだ君は。私達をからかっているのか?」

 余程気に障ったのか、父親が俺の肩を掴む。不愉快になるようなことは言っていない筈だが、瞬間的に父親の感情に火が点いたようだ。

「仰っている意味が良く分かりませんが……私と久美さんの関係はお付き合いしているとしか言いようがありません」

「馬鹿なことを言うな! 久美に恋人が居る筈は無いんだ! そもそもお前は何者なんだ!」

 父親が異常なほど高圧的に俺を怒鳴りつける。

 俺は感心とも驚きとも言える気持ちが湧いてきた。両親の反応が、竹下さんが事前に用意していた資料そのままなのだ。それ程、彼女にとっては両親がテンプレな反応しか示さない人間だったのだろう。

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