第8話 依頼者は死後に嗤う(8)

 もし、事前にこの反応を知らなかったら戸惑っていたと思う。だが、逆にテンプレ通りの反応を示したことで、俺は冷静になれた。正直、娘に恋人が居たということが復讐になるのか疑問もあった。だがこの様子を見れば、俺が上手くやりさえすれば、竹下さんの目的は達成できそうだ。

「失礼しました。私はこういう者です」

 俺は父親に名刺を差し出した。

「なんでも屋? こんな怪しい仕事している奴がどうして久美と知り合ったんだ?」

 俺は腹が立ったが冷静に、時田さんに言ったことと同じように知り合った経緯を説明をした。

「お前何が目的なんだ。何を企んでやがる」

「お願いがあります。この写真を久美さんの柩に入れては頂けないでしょうか」

 俺は父親の言葉を無視して、内ポケットから三枚の写真を取り出した。例の加工したデートの写真だ。

「こ、これは……」

 父親も母親も絶句した。効果があったようだ。

「入れさせて頂きます」

 俺は有無を言わせぬ態度で、柩に近づいた。

 竹下さんが写真とは似ても似つかぬ痩せ細った顔で静かに眠っている。俺は顔の横に写真を置き、その手で顔を撫でた。

「いつまでも忘れないから」

 不思議と赤の他人の死体という気持ち悪さは感じない。むしろ痩せ細った顔に悲しみが湧き、労わりたかった。

(安心して眠ってくれ。俺は絶対にやり遂げるから)

 俺は竹下さんの亡骸に誓った。

 呆然と立ち尽くす両親に会釈し、俺はその場を離れた。

 さあ、後もう一つ、俺には仕事が残っている。

「あの、ちょっと良いですか?」

 祭壇から離れると俺は一人の女性から呼び止められた。

「はい、何でしょうか?」

「私は久美の姉で良美と言います。少しお話させて貰っても宜しいですか?」

 その女性は竹下さんの姉、良美だった。いよいよラスボスの登場だ。

 良美は竹下さんと良く似てはいるがすっきりとした美人で、喪服の上からもスタイルの良さが分かる。

 俺は良美に連れられて控え室に案内された。休憩室になっているようだが、今は誰も居ない。良美はふすまを閉め、俺と彼女は二人っきりになった。

「どう言うおつもりですか?」

「いや、仰っている意味が良く分かりませんが」

 部屋にはいるなり、良美はいきなりきつい口調で俺に問い掛けてきた。何かイラついているように見える。

 たぶん俺と両親のやりとりを誰かから聞いたのだろう。最初から事情は理解出来ているみたいだ。

「あの子に彼氏なんている筈がないんです。あなたは何の目的があって私達を騙すのですか? お金ですか? 久美にお金を貸していたのなら証拠があれば支払います。でも彼氏だなんて嘘は吐かないで」

 どんな証拠があったとしても、良美の中では俺を彼氏とは認めていないようだ。いや、絶対に認めたくはないのだろう。

「どうして久美に恋人がいる筈ないと頭から決めつけるのですか? それじゃあ、あまりにも久美が可哀想だ」

「いる筈ないからです。久美のことは姉である私が一番よく知っています」

「私と久美が写った写真は見て貰えましたか? 私は間違いなく久美の彼氏です。今日は最後のお別れに来ただけなんです」

「あんな写真はどうとでもなります! 久美に彼氏が出来る筈がないことは、姉である私が一番良く分かっているんです! あなたは何の目的で残された私達の心をかき乱すのですか? 辛い遺族の気持ちがわからないのですか?」

 良美がヒステリックに叫ぶ。

 どうして、死んだ娘に彼氏が居て、家族の心が乱れるのか意味が分からない。恐らく言った本人も意味が分かっていないのだろう。ただ、竹下さんに彼氏が居たと言う事実が不快なのだ。

 ふうと俺は小さく溜息を吐いてみせた。

「私が彼氏だと信じてもらえないのは、あなたが今、恋人が居なくて幸せじゃないからですか?」

「なっ……」

 良美の顔色が変わる。図星だったのだ。

「久美は付き合っていることを絶対に家族には知られたく無いようでした。『お姉さんが可哀想、私だけがこんなに幸せになるなんて可哀想すぎる』と良く言っていましたよ」

 良美の顔が屈辱で真っ赤に染まる。

 良美にとって竹下さんは永遠に格下の存在なのだ。常に見下す対象であって、自分より上の立場になることなど許せない。そんな竹下さんが自分を可哀想だと思って情けを掛けていた。その事実はとても受け入れられるものでは無いのだろう。彼女の真っ赤に染まった顔がそれを表している。

「久美にプロポーズをしたのですが、断られました。姉が幸せじゃないのに私だけ幸せにはなれないって……」

 俺はわざとらしく、残念そうに肩を落とし、もう一度溜息を吐いた。

「あなたが幸せなら良かったのに……」

「私があの子より不幸だと言うのですか! 容姿も学歴も社会的地位も人脈も何を取ってもあの子より上の私が不幸だと!」

 良美は大声で怒鳴った。顔はどんどん赤みが増し、醜く歪んでいる。

 竹下さんは家族のことを本当に良く知っていた。どんなことを言えばダメージを与えられるか、台詞の一つ一つが考えられている。彼女の頭の中では、目の前にある良美の無様な顔が正確に想像出来ていたのだろう。

「あなたは本当に可哀想な人だ」

 俺はそう言い残すと部屋を出た。後ろから、良美の呪いに満ちた罵声が響く。

「良美に何をしたんだ」

 部屋を出た俺に、父親が詰め寄って来る。

「何もしていませんよ。聞かれた事に答えただけです」

 俺は平然とそう答えた。

「絶対に認めんからな。嘘を暴いてやる」

「久美が言ってました。『私もあなたと結婚したいけど、家族を残していくことが心配だって。うちの家族は可哀想な人達なんです』って。久美の心配は本当だったんですね」

「貴様!」

 父親が俺に掴み掛ったが、親族らが慌てて止めに入る。

 俺は竹下さんの柩に近付き写真を回収した。

「ごめんね、久美。この写真は君の魂だ。俺が大事に保管しておくよ」

 尚も叫び続ける父親を尻目に、役割を終えた俺はそのまま会場を後にした。

 翌日の葬式にも参列したが、特に席を用意される訳でなく、一般参列者と同じ扱いで焼香した。参列者の中に時田さんの姿もあったが、お互いに目で挨拶しただけで済ませた。

 一つ気になったのは、良美の姿が見えなかったことだ。妹の葬式に出席できないくらいのアクシデントがあったのだろうか。


 仕事を終えて、俺は今、事務所のソファに寝転び、俺と竹下さんが写るコラージュ写真を眺めている。

 写真の中の竹下さんの笑顔。恐らく彼女の人生で一番の笑顔だろう。

 竹下さんはあの家の生贄だったのだ。

 彼女から渡された資料は、家族に会うまではとても信じられる物ではなかった。家族全員が竹下さんのことを、不満やストレス、嫉妬や挫折、全ての負の感情の捌け口にして押さえ付けた。良い所は無視し、悪い所は徹底的になじる。彼女が幸せになるなんて許さない。あってはいけないことだったのだ。

 竹下さんを貶めることで平和が保てる関係。それが彼女の家族だった。

 この写真の竹下さんはどんな気持ちだったのだろう。決して見たままの楽しい気分ではなかったんじゃないか。両親や姉の屈辱に歪む顔を想像して愉快だったのか。それとも自分の過去を憂いて悲しかったのか。

 復讐しないと笑って死ねないか……。

 竹下さんは笑って死ねたのだろうか?

「せめてそうであれば……」

 俺は竹下さんの気持ちを想像してなんとも言えない気持ちになった。

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