第6話 依頼者は死後に嗤う(6)

 写真が用意出来た数日後の平日、俺は仕事を調整して時田さんに会いに行った。

 友人と書いてあったが、彼女は竹下さんの会社の先輩で、人生で唯一頼れる人間らしい。歳は三十歳で未婚。写真の中の時田さんは、暗いイメージを受ける地味な顔立ちの女性だった。

 夕方、事務所の最寄り駅から電車に乗り、三駅離れた時田さんの会社に向かう。普段の作業着とジーンズの服装とは違い、俺は慣れないスーツを着て、まだ帰宅ラッシュ前の空いている電車内で座っている。

 演技の経験など無い俺が、これから竹下さんの元カレだと時田さんに信じ込ませることが出来るのだろうか? 目的地が近づくにつれて、緊張で落ち着かなかった。

 目的の駅に着き、少し歩いて繁華街にある六階建ての雑居ビルの中に入った。このビルの中に時田さんの会社が入居しているのだ。

 一階のエントランスにはエレベーターが二基有り、その横に待ち合わせ用なのか、自動販売機とベンチが設置してある。幸い灰皿も置いてあり、喫煙も出来るようなのでここで待つことにした。

 煙草を二本吸い終わったところで、定時になったのか帰宅するサラリーマンやOLがエレベーターから降りてくる。

 俺は時田さんを見逃さないように注意してOLの顔を見ていた。かなり怪しい態度だったと思うが、皆チラリと視線を向けるだけで何も言わずにビルから出て行く。その中で一人のOLと目が合った。彼女は不自然なくらい俺を見つめ返してくる。グレーのスーツで野暮ったい眼鏡を掛けた、暗い表情の地味な女。そのOLこそが時田さんに間違いなかった。

 じっと見つめ返してきた割に、彼女は俺の前を何も言わずに通り過ぎて外に出て行った。俺は声を掛けるタイミングを逃し、急いで後を追い駆けた。

「あ、あの……すみません」

 時田さんの後姿を見つけて、俺は声を掛けた。

「あ、はい!」

 驚かさないように優しく声を掛けたつもりだが、時田さんは飛び上がるように振り向いた。

「あの、時田真紀さんですか?」

「え、えっ、いや、あ、あなたはどなたですか?」

 余程俺が不審者に見えるのか、時田さんはキョドリながら俺に問い返す。時田さん自身だと返答は無かったが、俺は近くで顔を見て間違いないと確信した。

「ああ、失礼しました。私は小室と言います」

 俺は会社の名刺を時田さんに渡す。

「『なんでもやります小室屋、小室文也』……」

「はい、仕事でなんでも屋をやっています。今日は仕事じゃ無く、竹下久美さんのことで話があって……」

「く、久美ちゃんのこと?」

「はい、あなたは時田真紀さんでよろしいですか?」

「ええ、はい、私は時田真紀ですけど……あ、あなたは久美ちゃんとどう言った関係なんですか?」

 時田さんは、何か異常に慌てているように見える。まあ、あまり男とは縁の無いように見えるし、急に声を掛けられて戸惑っているのだろう。

「私は久美さんとお付き合いしている者です。二か月前に急に別れを告げられて、それから一切連絡が取れず……こんなストーカーみたいな真似はしたくはないんですが、どうしても納得出来なくて会社で待ち伏せしていたんです。でも彼女は現れず、仕方なく以前写真を見せて貰ったことのあるあなたに話を聞きたいと思ったんです」

 俺は何度も真剣にシミュレーションしていた甲斐があってか、自分で思った以上に上手く演技が出来た。友人を信じさせられないくらいなら家族を信じさせることは出来ないだろう。報酬の為にも、竹下さんの復讐を成立させる為にも、俺は体に染み込むくらいに「元カレ」という役柄に取り組んでいた。

「ええっ! あなたが久美ちゃんの彼氏ですって!」

 時田さんは大袈裟なくらい驚いた声を上げる。

「あ、あなたが久美ちゃんの彼氏だと証明出来る物はあるんですか?」

 怪しむような目付きでそう聞く時田さんに、俺はここぞとばかりにスマホに保存している合成写真を見せた。

「これは別れる少し前に撮った写真です。こんなに楽しそうにしていたのに、急に別れてくれと言われて納得出来ないんですよ」

「ちょっと見せてください!」

 時田さんは俺の手からスマホをぶん盗ると写真を熱心に見ている。あまり真剣に見られたくはないのだが、やめろと言う訳にもいかず、気の済むまで確認させた。

「分かりました。確かにあなたは久美ちゃんの彼氏みたいですね。聞きたいこととは何ですか?」

「ここで立ち話もなんですから、お茶でも飲みながら話しませんか」

 ようやく俺は時田さんと話をする流れを作った。


 俺達は近くの喫茶店に入り、テーブル席で向かい合って座る。

「お手間取らせて本当に申し訳ない。私は久美さんが今どこに居るかどうしても知りたいのです」

 時田さんは注文が終わった後も、落ち着かないのか視線をキョロキョロさせたり、俺と視線を合わさないようにしている。

「お願いします。教えて貰えませんか?」

「あ、いや、ちょっとその前に、えーと、あっ、あなたは久美ちゃんとどこで知り合ったのですか?」

 写真で確認したのに、まだ疑っているのだろうか? 時田さんはオドオドしながら、尚も俺に対して質問を重ねてくる。その不自然な様子に俺の方が不信感を覚えてきた。

「私は仕事で犬の散歩をすることがあるんですが、偶然そのコースが久美さんの通勤路と被っていたのです。ある日私の不注意で犬が久美さんの洋服を汚してしまって……それなのに怒ることもせず、笑顔で許してくれて。それから良く話をするようになり、段々親しくなって、私からデートに誘い交際が始まったんです」

「ああ、なるほど。えーと、それじゃあ、久美ちゃんと家族の関係は聞いている?」

 時田さんは自分で質問したにも関わらず、答えにはあまり興味を示さず、次は家族のことを聞いてきた。視線も泳いでいるし、何か落ち着かない様子だ。

 最初に俺を見つめてきたことといい、声を掛けた後の態度といい、なにかおかしい。事が上手く運び過ぎている。

「家族とは旅行に行ったり買い物に出掛けたり、仲良くしていると聞いています」

 俺は時田さんを試してみることにした。

 本当の元カレじゃないとバレる可能性はあるが、彼女の態度が怪し過ぎて気になる。竹下さんの指示には無かったことだが、俺は時田さんに嘘を吐いてみた。

 最悪バレた時には、彼女に全ての事情を話して味方につけよう。

「えっ! ウソ! そんなの聞いていないよ」

 時田さんは俺の嘘に動揺して声を上げた。

「嘘と言うのは事実と違うと言うことですか? それとも、久美さんとの打ち合わせと違うと言うことですか?」

 俺はもう確信していた。時田さんは俺が恋人では無く、仕事として演じているのを知っているのだ。

「あ、いや……」

 時田さんはつらそうに俯いた。

「時田さん、あなたは俺が久美さんの恋人じゃないって知っているんですよね?」

 俺がそう訊ねた時、ちょうどウエイトレスが二人のコーヒーを運んで来たので話の腰を折られた。

 時田さんが俯いたまま何も言わないので、しばらく沈黙が続く。

「……ごめんなさい。実は私、全て知っているの」

「全てって?」

「久美ちゃんが家族に復讐しようとして、あなたに仕事を依頼したことよ」

「そうなんですか……」

「本当にごめんなさい。あなたがどの程度のレベルで取り組んでいるのか、確認がしたかったから私が提案したの。本当は私が知っていることは黙っているつもりだったんだけど、私が上手く演技出来なくて……」

 まあ、仕方ないか。依頼しっ放しで、俺がどの程度本気で仕事をするのか確認しないと不安があるだろうし。だが、仕方ないと分かっていても気分の良いものでは無かった。

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