第24話 したたかな裏切者(2)

 翌日、俺は目を覚ました瞬間に、昨晩のことを思い出し重い気持ちになった。

 あれから桜田さんは、タクシーで送って行くと言って凛子と帰った。後に残されたのは、俺とテーブルの上に置かれた契約書。何もする気が起きず、俺は服も着替えないでそのまま寝てしまった。

 俺は着ていた服を脱ぎ捨て、シンクの湯沸し器で頭を洗い、蒸らしたタオルで体を拭いた。室内でエアコンを点けていても寒さが身に染みる。すぐに服を着てコーヒーを淹れた。

 サッパリした体と熱いコーヒーで少し落ち着いた。事務スペースに行ってソファに座り、置きっぱなしにしていた契約書を手に取る。

 気が進まないが、受けた限りはやらんと駄目か……。

 時間は午前十一時過ぎ。電話してみるか。

 俺はスマホを取り出し、契約書に書かれた大川の会社に電話する。大川個人の番号は忘れてしまった。あいつがここを出て行った時にスマホから削除したままなのだ。

「ありがとうございます。ドリームリサイクルです」

 二回コールした後、爽やかな声の女性が電話に出てくれた。「ドリームリサイクル」は大川が興した会社の名前だ。

「私は小室文也と言います。代表取締役の大川さんはいらっしゃいますか?」

「はい、小室様ですね。誠に失礼ですが、どちらの小室様でしょうか?」

「小室文也と伝えて貰えば分かります」

 俺は意識して、ゆっくり抑えた声でそう言った。

「承知しました。大川に確認いたしますので、しばらくお待ちください」

 女性がそう応えると、電話口に軽快な保留音が鳴り始める。

 大川は電話に出るのだろうか? あいつが俺にした仕打ちをを考えれば、居留守を使うかも知れない。偽名を使った方が良かったか?

「文也か? 懐かしいな。会社に電話なんて水臭い。直接掛けて来いよ」

 俺の予想に反し、大川は悪びれる様子もなく、懐かしい旧友からの電話を心から喜んでいるようだった。

 そうだ、こいつはそういう奴だった。俺にしたことを忘れているのか、それともあの程度は悪いとも思っていないのか。あるいはその両方なのか。俺は両方だと思った。

「文也なのか? おい、聞こえているのか?」

「久しぶりだな大川」

「おお、その声は文也だ。元気だったか? あれからどうしてたよ?」

 すぐにでも電話を切りたくなった。せめて「すまない」の一言が有れば、俺の気持ちがずいぶん違うだろうに。

「凛子が事務所に来たんだ」

「えっ? 凛子が……どうして?」

「お前が家に帰って来なくなって、連絡も付かないからだろ! 俺から話をしてくれと言われたんだよ!」

 俺はスマホに向かって、大声で叫んだ。

「ああ、そのことか……もう良いんだ。凛子とは終わったから」

 終わっただと……。人から奪っておいて、終わっただと……。

「何があったか知らんが、一度凛子と話し合え。そうすれば俺の仕事も終わるから、後は別れるなりなんなりすれば良いさ」

 俺は自分の気持ちを落ち着かせようと、極力抑えた声で奴に話した。

「仕事? もしかしてまだなんでも屋をやってるのか? 儲からんだろ?」

「余計なお世話だ。お陰様で今も続けさせて貰ってるさ」

 確かに儲かってはいない。でも信頼できる仲間や、可愛がってくれるお客さんのお陰で、何とか続けられている。出て行った奴が心配する筋合いじゃない。

「文也、来週の土曜は空いてるか? 久しぶりに飲みに行こうぜ」

「お前……」

「飲みに来てくれたら、凛子に連絡する。ちゃんと話し合うよ。そうすれば仕事になるんだろ?」

 どうする? 正直言って、俺も大川と飲みに行きたい気持ちになっている。俺の許を去ってから今まで、二人に何があったのか。ここまで来たら、とことんまで知ってみたい。知ることによって、こいつらから解放されたい気持ちがあった。

「あいにく来週の土曜しか予定が空いて無いんだよな」

「そうか……」

 ちょうど一週間後の土曜は俺も朝から晩まで仕事が入っていた。拓斗と二人で行く予定だが、仕事の内容的に一人でもなんとかなるだろう。

「分かった。行こう」

 俺は大川と飲みに行くことにした。

 大川との電話が終わると、俺はすぐ拓斗に電話を入れた。

「ええっ、俺一人でやるの? やだよ、めんどくさい」

 来週土曜の仕事に一人で行って欲しいと頼むと、拓斗はあからさまに機嫌が悪くなった。

「頼むよ。俺は急な仕事が入ったんだ」

「じゃあ、一樹か勝巳に頼んでも良い? ジョンの散歩に入ってない方を連れて行くから」

 ああ、その手があったか。人件費は掛かるが仕方ないか。

「分かった。それで良いよ」

 これで俺は久しぶりに大川と飲みに行くこととなった。


 週が明けて月曜日。桜田さんから前金を振り込んだとの連絡があった。料金を吹っ掛けたこともあり、結構な金額が入っている。これでしばらくは食費に困ること無いだろう。

 食費と言えば、普段から紗耶香にはずいぶん助けられているなあ。少し余裕のある時に、お世話になっているお礼も兼ねて紗耶香を食事に誘うか。

 俺はお昼休みを狙って、紗耶香に電話を掛けてみた。

「もしもし、こんにちは! どうしたの? 文也君から電話してくれるなんて珍しいね」

 紗耶香は急に電話したにも関わらず、明るい声で出てくれた。

「今電話大丈夫?」

「うん、お昼休みだから大丈夫よ」

「今週で空いてる日はあるかな? ちょっとお金が入ったんで、普段世話になってるから、食事でもご馳走したいと思ってさ」

「えっ……」

 紗耶香は電話口の向こうで絶句した。それほど、俺から食事に誘われるのが意外だったのか。

「予定空いて無いかな?」

「いや、全然大丈夫! あの、明後日の水曜日はどう? 仕事が終わってからになるけど」

 水曜日なら、仕事の都合もちょうど良い。

「ああ、どうせ晩飯になるから、それで良いよ」

「嬉しい。文也君から食事に誘われるなんて」

 喜んでくれて良かった。紗耶香の嬉しそうな声を聞いてると、俺まで気持ちが上がってくる。

 俺達は駅前で待ち合わせの約束をして、電話を切った。

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