第32話 したたかな裏切者(10)

 俺は軽トラで帝王ホテルに向かっている。冷静に考えたら電車の方が早かったかも知れないが、気が付いた時にはもう遅かった。

 帝王ホテルに到着した今は午後八時。予約の時間は聞いていないので、今食事中かどうかも分からない。紗耶香にラインを送っているが、まだ既読も付いていない。マナーモードで気付いていないのかも知れないな。

 俺は高級車が並ぶ駐車場に軽トラを停め、本館に向かう。豪華な作りの正面玄関では、ドアマンが宿泊客を出迎え車から荷物を降ろしている。

 正面玄関を出入りするお客たちの服装を見ると、俺はかなり浮いていた。明らかに場違いな人間に見えるだろう。俺は目立たぬように隅っこをゆっくりと歩いて中に入ろうとした。

「あの、お客様」

 もう少しで玄関から中に入ろうという時に声を掛けられた。

 やはり俺の服装を見て怪しいと感じたのだろう。言葉は丁寧だったが、ドアマンは不審者を見るような視線を送ってくる。

「は、はい?」

「あの、ご宿泊のお客様でしょうか?」

「いえ、あの桐生という日本料理店に用があって……」

 ドアマンはどう対処すべきか迷っている。このまま中に入れて、無差別的な犯罪を犯したら責任問題だと考えているのだろう。その気持ちはよく分かる。

「あの、決して怪しい者じゃないんですが」

「いえ、決してお客様を怪しいとか思っている訳では……」

 明らかに怪しいと思っているんだろうけど、ドアマンは言葉を濁しつつ、でも中には入れたく無いようだ。

「文也君!」

 どうしようかと悩んでいると、不意に声を掛けられる。見なくても相手が誰だか分かっている。紗耶香に間違いなかった。

「紗耶香……」

 今まで見たことないくらいドレスアップして大人びた紗耶香の横に、スラリと背の高いイケメンが立っている。二人は芸能人カップルのように、煌びやかな雰囲気のこの場所でも映えて見えた。

 男性の年齢は三十前後ぐらい。この容姿で一流企業に務めているのなら、お見合いなどしなくても結婚相手は引く手あまただろう。

「どうしてここに?」

 二人は俺に近付いて来る。それを見てドアマンもホッとしたように持ち場に戻る。

「あなたが紗耶香のお見合い相手の高田さんですか?」

 俺は紗耶香の質問には答えず、男性の方に質問した。

「そうですが、あなたは?」

 俺は高田さんの質問にも答えずに、深く頭を下げた。

「お願いします。紗耶香との結婚を諦めて下さい! 紗耶香は俺が幸せにします」

 頭を下げたままそう叫んだが、相手からのリアクションが無い。俺は恐る恐る頭を上げた。

 目の前には、困った顔の高田さんと、驚きで口元を両手で覆う紗耶香が居た。

「諦めろと言われても……私のプロポーズは紗耶香さんに断られましたから」

「ええっ」

 驚いた瞬間、紗耶香が泣きながら抱き着いてきた。

「文也君!」

「紗耶香、どうして……」

 紗耶香は泣きじゃくっていて、言葉が出ない。

「お幸せに」

 高田さんは憮然とした表情でそう言うと、俺達の横を通って去って行く。俺は彼の背中にもう一度、心の中で謝った。

「紗耶香、遅くなってごめんな。俺、勇気が無かったんだ。もっと頑張って、絶対に幸せにするから」

「うん、う……うん」

 紗耶香は言葉にならず、俺に抱き着いたまま、ただ頷く。


 俺は今、軽トラに紗耶香を乗せて相川家に向かっている。

 拓斗に結果をラインで報告したら、ただ(おめでとう)の一言だけ返ってきた。まあ、家に帰っているだろうから、会って説明すれば良いかと、それ以上何も返さなかった。

 紗耶香と言えば、助手席に座り、上機嫌でハミングしている。さっきの騒動の時とは別人みたいだ。

 高田さんが去った後、ホテルの玄関前でひとしきり泣きじゃくった紗耶香は、急に「ちょっと待ってて」って中に戻って行った。どうやら涙で崩れた化粧を直しに行ったみたいだ。

 ずっと玄関前で待たされている中、さっきのドアマンが近付いてきて「良かったですね」って祝福してくれた。さすがに、Xにポストしても良いかと聞かれたのは断った。高田さんの気持ちを考えると許可出来なかったのだ。

 戻って来た紗耶香は今まで見たこと無いぐらい輝いていた。溢れんばかりの笑顔で本当に綺麗だった。

 相川家に向けて軽トラで出発した後は、信号待ちになる度に俺の腕に頭を乗せて甘えてくる。照れくさくて俺が「重いよ」と言うと、「私はこの日を二十年も待っていたんだから、今日ぐらい好きにさせてよ」と口を尖らせる。その拗ねたような顔が可愛くて、それ以降は何も言わなかった。

「高田さんのプロポーズを受けるつもりだと思っていたよ」

 俺は運転しながら疑問に思っていたことを呟いた。

「私もそのつもりだった。でも高田さんに返事を聞かれた瞬間に思ったの。もしここでイエスと言ったら、もう二度と文也君の横に立てないんだなって」

「俺の横に?」

「そう。文也君はどんな関係になっても私を助けてくれる。それは分かっているけど、私が立つのは高田さんの横。妻として、女として高田さんの横に立って、一緒に歩いて行くの。

 本当にそれで良いの? 私が本当に、横に立って一緒に歩いて行きたいのは誰なのか?」

 紗耶香は運転している俺の肩に自分の手を置く。

「答えは簡単だった。相手は文也君しか考えられなかった。

 こんな気持ちのままイエスと言うのは、高田さんにも失礼になる。文也君が私のことを受け入れてくれなくても、ノーと言うしか選択肢は無かったの」

「紗耶香……」

 ちょうど信号が赤になったので車を停車させた。俺は紗耶香を見て、肩に置かれた彼女の手の上に、自分の右手を重ねる。

「ホテルの玄関前で文也君の姿を見た時は、いろいろな感情が混ざり合って、訳が分からなったわ」

 そう言って、紗耶香はまた嬉しそうに笑う。その笑顔を見て、本当に紗耶香を止めに行って良かったと思った。

「あっ、そうだ、ホテルの玄関前で言ったことをもう一度言ってくれる? 私混乱していて、良く聞いて無かったから」

 紗耶香はスマホを取り出す。どうやら録音しようとしているらしい。

「勘弁してくれよ。あの場は勢いで言えたけど、改まっては言えないよ」

 信号が変わったので、俺は車を発進させる。

「お願いします。今日だけは我がまま聞いてよ」

 今日だけか。確かに紗耶香がこんなに甘えて来たり、我がまま言ったことなんて無かったな。でも、そんな紗耶香も悪くない。

「じゃあ、一回だけだぞ」

「はい、お願いします」

 俺は深呼吸して、少し間を置いた。そして、ゆっくりとだが、ハッキリ話し出す。

「俺は惰性で生きていると思っていた。大川が辞めた後も、意地で続けたなんでも屋だったが、今はもう辞めるのも面倒でダラダラ無意味に続けているだけだと思ってた……」

 紗耶香は小さく「えっ?」と呟いたが、水を差すことなく黙って聞いている。

「でも、違ったんだ。無意味だと思っていた毎日だったが、そうじゃなかった。支えて応援してくれる人々、一緒に汗を流してくれる仲間達、続けていく日々の中で確かなものが残っていたんだ。

 今でもお金は無いし、決して成功してるとは言えないけど、これからは胸を張って続けて行こうと思っている」

 俺は左手を紗耶香の方に差し出す。

「紗耶香……」

 紗耶香が俺の差し出した手を握ってくれた。

「俺はお前を愛している。苦労は掛けるかも知れないけど、一緒に歩んで欲しい。

 俺と結婚してくれ」

 俺は紗耶香の手をしっかりと握った。

「もう、文也君、不意打ちはズルい……」

 紗耶香が涙声で話す。せっかく綺麗に直した化粧が、また乱れてしまっているだろう。

 紗耶香は鼻をすすりながら、懸命に気持ちを落ち着かせようとしている。

「私も足りないことばかりだけど、でもどんなに苦労しても一緒に歩んで行きたいです。文也君……大好きです。私と結婚してください」

 紗耶香は俺の左手を、両手でしっかりと握り返してくれた。

 こうして時間は掛かったけど、俺達は結婚することとなった。


 春になり、俺と紗耶香は入籍して、晴れて夫婦となった。

 事前に両親へ報告しに行った時は大騒ぎだった。オヤジは大喜びしただけだったが、母は過呼吸になるかと思うぐらい大泣きしてしまった。親友の娘である紗耶香が俺と結婚することが本当に嬉しかったんだろう。何度も紗耶香の手を取り「ありがとうと」繰り返していた。紗耶香も母の手を握り返して、もらい泣きしてたぐらいだ。

 お金が無いので式や披露宴は開かず、レストランを借り切り、会費制の立食パーティーを開くこととなった。

 恩のある吉田さんには是非参加して欲しかったのだが、どうしても予定が合わず出れないとのことだったので、俺は紗耶香を連れて事前に挨拶に出向いた。

 吉田さんは夫婦揃って歓迎してくれて、こちらが恐縮するぐらいだった。紗耶香も気に入られて良い挨拶になったと思う。

 今日はその結婚披露パーティーの日だ。

 会場のレストランには友人や仕事仲間が大勢集まってくれた。

「本日は御多忙の中、私と妻、紗耶香の結婚披露パーティーに集まって頂きありがとうございます。まだまだ未熟な二人ですが、お互い助け合い、笑顔の絶えない家庭を作って行きたいと思います。これからも皆様のご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

 ステージの上で紗耶香と並んで挨拶した。白いドレス姿の紗耶香は会場の誰より美しく輝いている。

 驚くことに、今日の幹事や進行役を買って出てくれたのは拓斗だった。一樹や勝巳に手伝って貰って用意してくれたのだ。

「ありがとう拓斗。今日は本当に良いパーティーになったよ」

 友人のスピーチなどの合間に、拓斗を捕まえて礼を言った。

「まあ、たった一人の弟だからね。これぐらいはお安い御用だよ」

「一人で事務所で生活するのは大変でしょ。私達と一緒に住めば良いのに」

 紗耶香が心配して拓斗にそう言った。

 俺達が結婚してから、拓斗は俺と入れ替わりで、事務所に住んでいるのだ。

「新婚夫婦の邪魔をする程野暮じゃないよ。それに俺はネット環境さえあればどこでも生きていけるからね」

 いつも文句ばかり言っていた拓斗と、同じ人物とは思えないくらい頼もしい。

「辛くなったらいつでも戻って来てくれよ」

 俺は拓斗の肩に手を置いた。

「社長!」

 一樹が美紅ちゃんや勝巳と一緒に、祝福に来てくれた。美紅ちゃんは紗耶香と一緒に写真を撮って貰って上機嫌だ。

「もうすぐ部活も引退ですから、もっと仕事に入れますよ。ドンドン使ってくださいね」

 一樹は卒業したらうちに就職したいと本気で考えているようだ。正直学校から企業に就職した方が未来は安定するだろう。でも一樹が本気で来る気なら、俺も逃げずに受け入れようと思う。ここから成功していく為には、仲間を増やして切り拓いていかなければ。

「ああ、期待してるぞ」

「はい」

 一樹は笑顔で返事をした後、美紅ちゃんに呼ばれて紗耶香と一緒に写真を撮りに行った。

「社長、おめでとうございます」

 今度は勝巳が祝福してくれた。

「ありがとう。お前の言葉が背中を押してくれたよ」

「そうですか……なら本当に良かった」

「お前の後悔も、いつか良い人に出会えて消えると良いな。いや、消えると信じてるよ」

「ありがとうございます。俺もそう信じています」

 勝巳はそう言って、楽しそうにしている一樹と美紅ちゃんを目で追い、二人の元に歩いて行った。

「文也、遅れてスマン。今到着したよ」

 俺は声を掛けられて、振り向く。声の主は桜田さんだった。

「桜田さん……」

 俺は桜田さんに挨拶しようとして、その背後に居る人に気付き、驚いて言葉が出なくなる。

「凛子……」

 桜田さんの後ろに居たのは凛子だった。

「もうお前も結婚したんだから良いよな。実は、俺と凛子さんは結婚を前提にお付き合いをしてるんだ。もう彼女のマンションで、一緒に暮らしているんだよ」

「ええっ! そうなんですか!」

 俺は驚いて声を上げてしまった。それに気付いて、紗耶香も近付いて来る。

「凛子さん……」

 紗耶香も凛子に気付き、驚く。

「文也君、紗耶香さん、ご結婚おめでとう。二人が結婚して心から嬉しいわ。私もお二人を見習って、隆さんと幸せになります」

 そうだったのか。大川との離婚や俺に対する執着の無さ、全ては桜田さんという別の道を用意してのことだったのだ。

 「私や隆一君はズルい人間なの」か……。したたかな凛子の生き方に驚いた。だがそれも彼女なりの処世術なのだろう。願わくば桜田さんと幸せになって欲しい。

 パーティーは進み、沢山の人から祝福され、多くの写真や動画を撮って貰った。

「みんな凄く祝福してくれたね」

 紗耶香の顔が喜びで赤く染まっている。

「ああ、この人達が、俺達の財産だな」

 俺は紗耶香の手を握った。

「さあ、二人でステージに上がって」

 拓斗に促されて、俺と紗耶香はまたステージに上がる。

「さあ、今から幸せの最高潮にある二人に、誓いのキスをして貰います! みなさん、撮影のご準備を!」

 拓斗がマイク片手にMCを務める。

「ええっ、参ったな……」

 俺は照れながらも、ステージ上で紗耶香の正面に立つ。紗耶香も照れて顔が真っ赤だ。

 俺は彼女の両肩に優しく手を置き、ゆっくりと顔を近づけ、優しいキスをした。

 その瞬間、大きな歓声が沸き上がる。俺は紗耶香の肩を抱き、集まってくれた人々に二人で大きく手を振った。

                                     了

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心優しきなんでも屋は今日も行く 滝田タイシン @seiginomikata

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