第三章:決闘は立会人の下で

第16話 決闘は立会人の下で(1)

 十二月に入り、世間が慌ただしくなってきた冬のある日。夕暮れの寒さの中、俺は宿川の堤防で犬を散歩させている。うち一番のお得意様の、吉田さんが飼っているジョンの散歩だ。

 ジョンは明るいクリーム色のゴールデンレトリバーで、人懐っこくとても利口だ。大型犬だが性格も大人しいので散歩の苦労はない。とは言っても吉田さん夫婦は高齢で、毎日の犬の散歩は体力的にきついから、うちに依頼してくれるのだ。

 気持ちよく堤防の上を散歩していると、ジョンが急に尻尾を大きく振って河川敷に向かって吠えだした。

「なんだ、あれ?」

 ジョンが吠えている河川敷に目を移すと、男子高校生が数人集まっていた。一人の学ランの生徒の前に、一人のブレザーの生徒が相対し、その後ろに同じブレザーの生徒が数人控えている。構図とすれば、違う高校の生徒同士のタイマンを、一方の味方であるブレザーの高校の仲間が見守っている感じだ。

 この辺りで学ランと言えば宿川工業高校、ブレザーは盛田北高校の生徒だろう。どちらの方がガラが悪いかと言えば、圧倒的に宿工の方なのだが、人数は圧倒的に盛北の方が多い。近頃の学生は限度を知らないので、暴走して大勢で袋叩きするかも知れないから気になるな。

 午後五時と言ってもこの時期はもう薄暗く、寒いのもあって、河川敷に人の姿は見られない。大事になる前に一声掛けるべきか。でも仕事中だし面倒に巻き込まれたらなあ、と考えていたらジョンの方が先に動き出した。

「おい、ジョン!」

 ジョンは俺の制止を無視して、階段を見つけて河川敷へ降り出す。体の大きなジョンに引きずられるようにして、俺も後から付いて行く。

 こんなに勝手な動きをするなんて、いつも大人しく言うことをよく聞くジョンには珍しい。

 階段を降りて高校生たちに近付くと、俺はジョンがなぜ言うこと聞かないのか理解した。学ラン姿の高校生が霧島一樹(きりしまかずき)だと分かったからだ。

 一樹はスポット的に俺の仕事を手伝ってくれている、アルバイト学生なのだ。学校では柔道部に所属しているが、休日の人手が居る時や俺が行けない時のジョンの散歩を請け負ってくれている。

 背が高くガッチリといかつい体型だが、素直で明るい良い奴だ。ジョンもそんな一樹によく懐いている。

 目的が分かったので、俺はリードを放して好きにさせ、嬉しそうに駆け出したジョンの後を追い駆ける。

「うわあ、ジョン!」

 凄い勢いで飛びついてきたジョンに倒され、一樹は驚いている。

「一人を大勢で囲んで何してるんだ!」

 俺は少し遅れて到着し、ブレザーの高校生たちに叫んだ。先頭に居たチャラい学生が俺を見る。チャラ男はチッと舌打ちして「いくぞ」と仲間に目配せして立ち去る。

「あっ、社長、ジョンの散歩ですか?」

 さっきまで一触即発だったとは思えない程呑気な調子で、一樹が俺に声を掛けてきた。ジョンとじゃれ合っている姿を見ると、深刻な状況でも無かったのかと拍子抜けした。

「なんだ、随分呑気だな。決闘でも始めるのかと思ってたけど、違ったのか」

 俺はリードを拾って、ジョンを一樹から離す。

「うーん、決闘ですか……」

 ジョンから自由になった一樹は曖昧な笑顔で立ち上がり、体に付いた芝生や土を手で払う。

 と、その時「一樹ー!」と大きな声を上げて、三人の高校生が堤防から河川敷に降りてくる。学ランの宿工の男子生徒が一人と、ブレザーの盛北の女生徒が二人。声を上げているのは宿工の男子高校生だ。

「あ、雄二(ゆうじ)……」

 一樹が近付いて来る高校生たちを見て呟く。

「知ってる奴らなのか?」

「ええ、男は柔道部の仲間です。あとの二人はその……」

 いつもハキハキしている一樹には珍しく、女子高生二人に対しては言葉を濁した。

「一樹、大丈夫なのか? 盛北の奴らに呼び出されたんだろ?」

 俺達の傍まで来た男子高校生が心配そうに、一樹に声を掛ける。柔道部らしく、背は低いが横幅があるずんぐりとした体型をしている。

 少し遅れて女子二人も駆けつける。一人は眼鏡を掛けた活発そうな女の子。その子はクラスに一人は居そうなタイプだったが、もう一人の女子高生を見て俺は驚いた。芸能人と言われても不思議じゃないくらいの美少女だったのだ。

 高めの身長は百六十センチ後半ぐらいか。スレンダーな体型に短めのショート。高校生にして、可愛いと言うより美しいが似合う顔。全体的にボーイッシュな雰囲気で、まるで宝塚歌劇の男役のようだ。

「一樹君!」

 その美少女は俺達に近付いて来たかと思うと、そのままの勢いで一樹に抱き付いた。

「美紅(みく)……どうしてここに?」

「勝っちゃんが友達連れて学校から出て行ったのが、一樹君と喧嘩するからだって聞いて……」

 どうやら、この美紅という美少女は一樹の彼女みたいだな。

「私が聞いて美紅に教えたの。私達だけじゃ不安だから雄二君にも来て貰って」

「で、大丈夫だったのかよ?」

 眼鏡の女生徒と雄二と呼ばれた男子生徒が一樹に話し掛ける。

「ああ、社長さんが来てくれたら、あいつらも帰って行ったよ」

 一樹が顔を向けたので、今まで空気だった俺にみんなの視線が集まる。急に注目されたので、俺は思わず愛想笑いして頭を下げた。

「社長さんって?」

「俺のバイト先のなんでも屋の社長さんだよ。今、犬の散歩の途中だったみたいだけど、俺を助けに来てくれたんだ」

 一樹は彼女にそう説明した後、俺の方に体を向ける。

「社長、彼女の板垣美紅(いたがきみく)さんです。それから、同じ柔道部の川田(かわた)とその彼女の古沢(ふるさわ)さんです」

 川田君と古沢さんが俺に頭を下げる。

「なんでも屋の小室です。よろしく」

「社長さん、一樹君を助けてくれてありがとうございます!」

 板垣さんが、俺の前まで来て頭を下げる。

「いや、助けたのは俺じゃないよ。このジョンが一樹に気付いてくれたんだ」

 名前を呼ばれたジョンが嬉しそうに尻尾を振って「ワン」と鳴く。

「君がジョンか! 一樹君から聞いてるよ。助けてくれてありがとね」

 板垣さんがしゃがんでジョンを撫でる。

「良い彼女と友達を持ったな」

「ありがとうございます」

 俺が褒めると、一樹は嬉しそうに笑う。

「じゃあ、遅くなると吉田さんが心配するから行くよ」

 なぜ盛北の学生に呼び出されたのか気になったが詮索するのも躊躇われ、俺はジョンの散歩を続ける為にこの場を離れた。

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