第28話 したたかな裏切者(6)
次の日は拓斗と仕事が入っていたので、夜になってから凛子に電話を掛けた。拓斗に、凛子と連絡を取っていることを知られたくなかったから、一人になってから連絡を取ったのだ。
「……分かった。二十日の土曜日に事務所に行くわ」
大川と話し合った結果を伝えると、凛子は俺が立ち会っての話し合いを了解した。
「明日会えない?」
電話を切ろうとすると、凛子はそう聞いて来た。
「なんだよ。仕事の話か?」
「違うわよ。それともあなたに会うにはお金を払わないといけないの?」
「そう言う訳じゃないけど……」
「別に隆一君は関係ないの。あれからお互いどうしていたか。ゆっくり話をしたいと思って」
確かに大川抜きで、凛子に聞きたいこともある。あの時と違い、今なら冷静に話も出来るだろう。
ジョンの散歩は一樹達に任せてあるし、特に明日の予定はない。
「分かった。会おう」
俺は凛子と待ち合わせの約束をして、電話を終えた。
凛子が待ち合わせ場所に指定したのは、盛田市駅の北口だった。約束の午後七時に改札前で待っていると、お洒落をした凛子が出てくる。一瞬、付き合っていた頃のデートの待ち合わせを思い出した。
「ありがとう、来てくれて」
「俺は南口に住んでいるんだ。来てくれたのはお前の方だろ」
無邪気な笑顔の凛子を見て、俺は照れ隠しに憎まれ口を叩いた。凛子の笑顔を見ていると、本当に昔に戻った気持ちになってしまう。凛子はどういうつもりで俺に会いたがったんだろうか。
「さあ、行こうか」
ここを待ち合わせにした時から、どこで食事をするつもりなのかは分かっていた。だから俺は何も聞かずに、先に歩き出した凛子の横に並んで歩いた。
俺達が着いた先は、昔二人でよく行ったレストランだ。内装が落ち着いていて凛子が好きだった店。そんな高級な店じゃない。食事だけなら、セットを頼んでも二人で三千円ほどだ。大学四回生の時から、なんでも屋を始めた頃までの、お金の無かった俺達にはちょうど良い店だった。
「変わらないね、この店は」
「ああ、五、六年ぶりぐらいか」
凛子と別れてからは、店の中に入ったことは無かった。
「何か飲む?」
「いや、俺はウーロン茶で良い」
店員を呼び、お互いの選んだディナーセットと、俺はウーロン茶、凛子はレモンハイを頼んだ。
「大川は……」
「今日は隆一君のことはいいの」
俺が大川の様子を話そうとすると、凛子は言葉を遮った。
「聞かなくても大体分かるしね……」
大川の話を聞く必要が無いなら、どうして俺と会いたいなんて言い出したんだ?
俺は凛子の意図が分からず、言葉を待った。
「今日はあなたの話が聞きたいの」
「俺の話? 俺はあれから何にも変わってないよ。相変わらず、儲からないなんでも屋を続けてるさ」
俺の自嘲的な言葉に、凛子は微笑で返してきた。
「儲からないのに、どうして辞めなかったの?」
「さあな……」
その時、「お待たせしました」と店員がウーロン茶とレモンハイを持って来た。
「乾杯しようか」
何に? と思ったが、何にも言わずに乾杯した。
「意地かな」
「意地?」
「そう、大川に対する意地さ。仕事を否定して辞めて行く奴に恋人まで取られた。これで俺まで辞めたら大川の行動が正しかったってなるじゃないか。まあ、今の俺と大川を見れば、奴の方が正しかったって言われても反論できないけどな」
今度は頼んでいた料理が運ばれてきた。
「美味しそう」
運ばれて来た料理を前にして、凛子が幸せそうに笑う。俺はこの笑顔が、本当に好きだった。今もこの顔を見ていると、付き合っていた頃を思い出して胸が切なくなる。
「でも意地だけじゃないと思うな」
「えっ?」
凛子の言葉に、俺は食事の手が止まる。
「最初はそうだったかも知れないけど、今は違うと思う」
「ずっと会って無かったお前にどうしてそれが分かるんだ?」
俺は凛子の顔を凝視した。この話の流れがよく分からない。凛子は何を考えて、今日俺に会いたがったのか?
「だって彼女だったんだから。文也君のことを理解しているわ」
「なにを……」
俺はなんと言ったら良いのか言葉が出て来ない。俺はそれを誤魔化す為にまた食べ始める。
「私達、また付き合うってどう?」
俺は凛子の突拍子もない言葉に驚き、食事で喉が詰まりそうになった。
「私が隆一君と別れて、また文也君と付き合えば、みんな上手く行くじゃない」
「馬鹿なこと言うなよ。俺がお前を振ったって嘘吐いて、大川に抱かれたんだろ。今更俺とまたヨリを戻したいって、都合良すぎだ」
「私が文也君に振られたって隆一君に言ったって? それを隆一君から聞いて、私が嘘を吐いたって思ったの?」
「そうだよ大川が言ってたんだ。違うと言うなら、説明してみろよ」
俺は気持ちが昂って、言葉が荒くなる。
「そっか……文也君が、私が嘘を吐いたと思ってるんなら、それを否定はしないよ」
「ずるいだろ、その言い方は」
俺がそう責めると、凛子は何も反論せずに、料理をまた食べ始めた。凛子の様子からすると、俺に振られたとは言っていないのか? 大川が嘘を吐いたんだろうか?
結局、この後は会話も無く、食事を終えた。店を出て駅へと歩き出しても、凛子は何も言わない。もう俺に話など無いと言わんばかりだ。
「車で送ろうか?」
駅に着いて、別れ際に俺が提案する。どうもこのままじゃ、スッキリしない。もう少し話をするべきじゃないかと思った。
「ありがとう。でも大丈夫、一人で帰れるよ」
「そうか……二十日は来るんだろ?」
「もちろん。三人で話をして決着をつけないとね」
凛子は奇妙なくらい、スッキリとした表情をしていた。
「じゃあな」
「うん、さよなら」
凛子は別れの挨拶をして改札に向かい歩き出すと、一度も振り返ることなく、俺の視界から消えて行った。
一体なんだったんだ? 凛子は何を考えて俺に会いたがったのか?
スッキリとした凛子の表情とは対照的に、俺はモヤモヤした気持ちを抱えて、事務所に帰った。
凛子と会ってから一週間が過ぎた。あれ以来凛子から連絡が無い。あの日の凛子の態度を、この一週間にいろいろと考えたりもしたが、もうやめる。今週末にこの事務所で大川と凛子の話し合いが済めば、二人とはまた他人に戻るんだ。今更あれこれ考えても仕方ない。
「今日はうちでご飯食べて来なよ。姉さんにも話してあるから」
今日は拓斗と一緒に仕事をしていて、今は家まで送っている途中だ。
拓斗から誘われるのは珍しい。どういう風の吹き回しかと気になったが、紗耶香に了解を取っているのならもう用意はしてあるんだろう。なら断る理由もない。
「紗耶香が良いって言ってくれてるんなら、喜んで食べてくよ」
「うん、姉さんも張り切ってたよ」
誘ってくれている割には、助手席から聞こえる拓斗の言葉は冷たく感じる。台本を棒読みしているみたいだ。
「文也君、いらっしゃい!」
相川家に着くと、紗耶香がいつもの笑顔で出迎えてくれた。
「平日なのに悪いな」
「ううん、文也君ならいつでも歓迎よ」
食事はすでに用意されていて、すぐに夕飯が始まった。
紗耶香が腕によりをかけて作ったいう料理は、どれも絶品だ。俺は気分良く紗耶香と世間話しながら、食事を楽しんでいた。だが、拓斗は会話に加わること無く、黙々と食べている。元々不愛想だが、ここまで無口なのも珍しい。
「ちょっと聞きたいことが有るんだけど」
急に拓斗が思い詰めた表情で俺に話し掛けてくる。
「どうしたんだよ、改まって」
「あのさ、凛子さんと会ってるってホント?」
「えっ……どうしてそれを?」
凛子からの依頼を受けているのは、拓斗には内緒にしていた。今更凛子と繋がりが出来たことで変に関係を勘ぐられたくなかったからだ。
俺はすぐに紗耶香の顔を見た。紗耶香も初めて聞いたのか驚いている。
「桜田さんから聞いたんだよ。凛子って女性はどんな人かってね」
そう言えば、拓斗も一緒に桜田さんと飲みに行ったことがあったんだ。まさか連絡を取り合っているとは思わなかった。
「いや、仕事を受けただけだよ。大川と連絡が取れなくなったから、仲介してくれって」
「どうして断らなかったんだよ。あんなことされて、仕事を受ける義理なんてないだろ」
「どんな仕事でも引き受けるのがなんでも屋だろ。桜田さんがお金を出すって言ったんだから、断る理由がないだろ」
俺はまたチラリと紗耶香の表情を窺う。何も言わずに黙っているが、動揺がありありと見て取れる。
「まだ、凛子さんに未練が有るからじゃないのか?」
「そんな訳ないだろ。もうとっくの昔に、俺達は終わってるんだよ」
俺がそう言うと、拓斗も言い返して来なかった。
しばらく、誰も動くことなく、沈黙が続く。
「姉さんさ、お見合い相手に気に入られたんだよ。昨日も誘われてデートに行ったんだ」
「拓斗!」
いきなり自分の話を始めた弟に驚く紗耶香。
そう言えばもうお見合いは済んでいたんだな。紗耶香なら相手に気に入られて当然だろう。
「文也さん、姉さんのことをどう思ってるんだよ。また凛子さんとヨリを戻すつもりなら、思わせぶりなことはやめてくれよ」
「思わせぶりって、お前……」
「拓斗、もうやめて!」
姉に止められても、拓斗は気に留めていない。
「あの時、助けてくれて、文也さんには本当に感謝してる。でも、俺達を兄弟みたいに思っているなら、そう言ってくれよ。でないと姉さんは……」
「やめなさい!」
紗耶香が珍しく大きな声を上げた。
「ごめんなさい。文也さん、今日はもう……」
今にも泣き出しそうな紗耶香を見て、俺は胸が痛くなった。
「分かった。帰るよ」
俺は立ち上がった瞬間に拓斗を見た。俺と目を会わせたく無かったのか、横を向いていて表情が見えない。
俺は小さくため息を吐いて「じゃあ」と一言声を掛けて部屋から出て行った。
車で事務所に帰る途中で、俺はさっきの拓斗の言葉を思い出していた。
「あの時か……」
あの時。それは俺が大学を卒業して、大川と一緒になんでも屋を開業した頃だ。
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