第3話 依頼者は死後に嗤う(3)

 私が最初に自分の立場に気付いたのは、二歳か三歳、物心ついてすぐのことだった。

 その当時の私はよく姉の物を欲しがった。玩具や絵本、洋服など全ての物を。

 なぜ姉の物を欲しがったのかと言うと、私にはそれらの物が与えられなかったからだ。私は姉のお下がりの服を貰ったことは無い。私が使うと姉の思い出が汚れると言うのがその理由で、代わりとして与えられたのは、汚れ過ぎて使わなかった余所からのお下がりだった。玩具に関しても同じで、私は何も買って貰えず、チラシの裏に絵を書くことしか遊びが無かった。

 私がなぜ家族からそんな扱いを受けていたのか、大人になった今でも分からない。乳児の時に酷く手が掛かったのか? 妊娠中に何かあったのか? 聞くのが怖くて今でも理由は分からないのだ。ただ一つ、私と姉とではこの家での立場が違うのだと言うことは、幼い自分にも理解出来ていた。

 私は両親や姉の言うことを口答えせず聞き入れないといけない。良い子にしていないといけない。少しでも私が悪いことをすると怒られる。私は姉のように甘えたり、悪戯したり我儘を言ったりしてはいけないのだと、理由も分からずにただ理解した。一種の洗脳のような物だったと思う。

 姉もそんな空気を感じて育った所為か、私には冷たかった。自分に与えられた物を分け与えてくれるような優しさも無く、むしろ、自分に嫌なことがあると私に当たり散らした。両親も当然庇ってくれる筈も無く、姉が怒っているのは私が原因と、一緒になって私を責めるのだった。

 私は年齢に比べ成長が早かった。だからと言って、他の子供と比べて特別優秀に生まれた訳じゃない。私は早く成長する必要があっただけなのだ。

 幼い頃の私は何かにつけて姉と比較され、出来ないことがあると、「こんなことも出来ないのか! お姉ちゃんを見てみろ」と罵られた。幼児期の二歳の年齢差はとてつもなく大きい。どんなに頑張ろうともその差を埋めることは無理なのだ。それなのに私は罵られ、今であれば問題になるくらいの体罰まで受けた。幼い子供らしいことは何も出来ず、姉のように甘えることも許されない。両親から笑顔を向けられることも無く、代わりに与えられるのは罵声だけ。そんな幼児期を過ごした。

 親の厳しい育て方の甲斐があってか、小学生になった私の成績は抜群に良かった。だが、幼稚園や保育園に通っていないし、流行り物も何一つ知らない私は同級生と打ち解けることも出来ず、友達が一人も居なかった。人とコミュニケーションを取ることも出来ない、勉強だけが出来る少女。そんないびつな存在が私だった。

 年齢差も考えずに姉の出来ることをなんでも要求してきたくせに、両親は私が勉強の面で優秀なのが許せなかったようだ。そこで両親が考えたのは、私の勉強時間を削る為に家事をさせることだった。

 まだ小学生になったばかりの私は家事などろくに出来ずに失敗ばかりして、その度に叱られ、なじられ、虐待され続けた。それでも私は一生懸命に頑張った。愛されたくて、たまに褒めてくれる言葉が嬉しくて、親の言葉に従い続けた。


 小学三年生のゴールデンウィーク、私は自分が家族にとってどんな存在なのか思い知らされた。

 五月三日の朝、私が目を覚ますと家には誰も居なかった。2LDKのマンションで和室は両親の部屋、洋室は姉の部屋、私は部屋を与えられていないのでリビングに布団を敷いて寝ていたのだが、起きた時には二つの部屋はもぬけの殻だったのだ。

 私は必死になって三人の姿を探した。家の中からマンションの外まで探したが、姿を見つけることは出来なかった。書置きすら残っておらず、当時の私からすれば三人は蒸発したかのように消えてしまったのだ。

 両親は親戚付き合いも近所付き合いも殆どしておらず、当然私には頼れる大人など居ない。見知らぬ他人に助けを求めることなど出来ない私は家の中で三人が帰って来るのを待つしかなかった。幸い普段から家事をやらされていたこともあり、お腹が空けば家の中にある冷凍食品やインスタント食品を食べて凌げた。ただ、何処に行ったのか、帰ってきてくれるのかさえ分からない私は不安で押し潰されそうだった。普段は自由に観させて貰えないテレビを観ていても心細く、小さな物音にもビクビクしていた。

 その日、三人は帰って来ず、私は両親の寝室に布団を敷いて眠った。両親が帰って来たらすぐに目を覚ますようにと思ったのだ。今日は頑張って一人でお留守番していたのだからきっと褒めて貰えると自分を励まし、寂しい気持ちを抑えて眠りについた。

 次の日の朝になっても三人は帰って来なかった。もうこのまま帰って来ないかもと考えると、前日より不安は倍増した。愛情の欠片も感じたことのない、厳しく冷たい両親と姉だったが、私にとっては唯一の頼れる人間で、心から傍に居て欲しいと願った。

 結局三人は五月五日の夜になって帰って来た。三人とも弾けるような笑顔で私を置いて行ったことなど頭の片隅にも無いようだった。持っていたキャラクターグッズから、姉が行きたがっていたテーマパークに行っていたようだ。三人で楽しそうに、思い出話に花を咲かせている。

 私はもし三人が帰ってきたら、一人でどんなに自分が頑張ったか、どんなに心細かったかを一生懸命話そうと思っていた。だが、私のことなど少しも気に掛けない三人を見ていると何も言えなかった。三人にとって家族は自分達だけで、私は家族の一員ではない。家族として愛される為には、私はもっと頑張らないといけないのだと、心からそう思い知らされた。


 それ以降も私と姉の理不尽な差別は続いた。姉は服や嗜好品や習い事や塾など、望むままに与えられ、逆に私はその一つでも望むことすら許されなかった。お互いが中学生になった頃には、姉はもうわがまま放題のモンスターになっていたが、それでも私は親の愛情を与えて貰える姉が羨ましかった。

 姉は高校の普通科から、一流とも三流とも言えない微妙な私学の大学に進学した。私と言えば、当然のように就職を考えて商業高校に進学させられ、地元の企業に就職した。高校進学時に自分も大学に行きたいとお願いしたが、母に「お姉ちゃんが大学行く為にはお前が働くしかないんだよ」と当たり前のように返された。幼い頃から洗脳状態の私は、反抗することも出来ず、素直に従った。

 就職すると当然給料振込口座は親が管理した。私は僅かなお小遣いを貰えるだけで、残りは全て家の為にむしり取られたが、それでも反抗せずそのまま耐え続けた。

 姉は大学を卒業して私より立派な企業に就職したが、給与は全て自分で管理している。姉が働き出してからも、私の境遇に変化は無かった。

 学歴や就職で格差が出来た所為で、一層姉は私を見下した。やれ、高卒は碌な人間では無い。やれ、お洒落もしない不細工な出来損ない。やれ、一生男と縁のない寂しい女。

 誰の所為でこうなっているのか。お洒落する時間もお金も無く、趣味も無い、ただ働いて生きているだけの女に彼氏が出来る筈はない。私もこうなりたくてなった訳では無い。お洒落もしたいし恋もしたい。大学も行きたかった。でも家族に縛られてしたいことも出来ないのだ。怒りは心に渦巻いていたが、それを家族にぶちまける勇気も無く、私は悶々と不満を貯め込むしかなかった。

 姉はお金を掛けている分、私より見た目も良く多趣味であったが、性格が災いして結婚の話は出てこなかった。彼氏が出来てもすぐ別れてしまう。いや、彼氏だけでなく、友達ともすぐに喧嘩別れしているようだった。

 姉は分かり易い。何か上手く行かないことがあるとまず、私に当たり散らしたから。私を散々罵って、自分より下の存在を確認して安心するのだ。そんな地獄のような生活が生まれてからずっと続いていた。

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