第21話 決闘は立会人の下で(6)

「悪い。遅れたな」

 悪いと言いながらも、それほど恐縮していない豊田が入って来る。

「もう来ないのかと思ったぞ」

 俺はドアの前に行き豊田を出迎えた。

「そんな訳ねえだろ。仲間が観に来ないように、説得するのに手間取ってたんだよ」

 豊田は憮然として言い返してくる。

「まあ良い。早く着替えろよ。空手着持ってきたんだろ」

「了解」

 豊田は拓斗に案内されて、居住スペースの方に向かう。

「一樹君、戦いをやめることは出来ないの?」

 板垣さんは、今にも泣き出しそうな顔で一樹に訊ねる。豊田が現れたことで、決闘が現実的に感じたのだろう。

「ごめん、美紅。ここでやめることは出来ない」

「でも、二人が戦っても何も変わらないんだよ。私は一樹君のことが好きだし、勝っちゃんは大切な幼馴染だし、本当に何も変わらないんだよ」

 板垣さんは一樹の腕を掴んで、懸命に説得する。

「美紅……何も変えないために、俺達は戦うんだよ……」

 一樹は板垣さんの肩に手を置いて、優しく微笑んだ。それでも彼女は頷くことが出来ずに下を向く。

「さあ、待たせたな。始めようぜ!」

 豊田はヘッドギアを被り、オープングローブを手にはめて出てきた。

「まず体を慣らしてからだ」

 俺は二人をリング内に入れ、ウォーミングアップを促した。それぞれ対角のコーナーに別れ、体を動かし始める。

「よし、始めよう」

 十分に準備が出来たところで、俺は二人をリング中央に集めた。板垣さんは紗耶香と寄り添うようにリングの外で観ている。

「さあ、これを咥えろ」

 俺は二人にマウスピースを渡す。豊田はブツブツ言いながらも、俺の指示に従った。

「時間は無制限。負けを認める宣言やタップで終了。もしくは、俺が危険だと感じたらすぐに止める。

 くれぐれも言っておくが、これは殺し合いじゃない。スポーツとしての格闘技だ。絶対に指示は守ってくれ」

 俺は二人の顔を交互に眺めた。

「良いな?」

 それぞれ、無言で頷く。

「よし、試合開始だ!」

 俺が手を上げて合図をすると、拓斗がゴング代わりの鍋をお玉で叩く。カンと乾いた音が鳴り、二人の戦いが始まった。

 二人は踏み込まないと相手に攻撃が当たらない距離で牽制しあう。突きや蹴りなど、打撃系の攻撃が当たる距離は豊田の方が有利だろう。一樹が勝てるとしたら至近距離まで近づき、相手を捕まえて投げるか、タックルでもして寝技に持ち込むしかないと思う。

 豊田が時々腕や足を動かし、フェイントを仕掛ける。一樹は警戒して、その度小さく後ろに下がって距離を取る。豊田にしても、不用意に攻撃して、掴まれるのを警戒しているみたいだ。

 にらみ合いが続く、焦れる展開を動かしたのは豊田の方だった。

 豊田が左足を前に出したまま、左腕をジャブのように細かく何度も突き出す。距離を測るかのような短いジャブだ。一樹も当たらない距離だと判断しているのか、下がらず、隙あらば豊田の腕を掴もうと手を前にして構えている。

 豊田が左足を半歩前に出す。これでジャブが届く距離に近付いた。

 だが、一樹は下がらない。豊田の腕を捕まえようと覚悟を決めたのか。そんな一樹の考えを読んでいたのか、豊田はジャブを打たず、体をひねりながら、右足のローキックを一樹の左足の脛辺りに放った。

 フェイントを仕掛けていた分、体勢は崩れていて、威力の無いローキックだったが、相手に精神的なダメージを与えた。一樹が怯んだ瞬間、豊田は右腕をフック気味に、顔面に叩き込んだ。

 これもまた十分な威力は無かったが、一樹は慌てて後ろに飛び退く。

 豊田が追撃しようとするが、一樹は頭を下げて重心を低くし、相手の下半身を狙いタックルする。豊田は一樹のタックルをかわしながら肘を打ち付けるが、逃げている分、かする程度しか当たらなかった。

 バランスを崩した二人が体勢を立て直して、また距離を取って向かい合う。ヘッドギアとグローブの効果で、一樹の身体的なダメージはあまり感じられないが、先手を取られた焦りはあるだろう。これで流れが豊田に向くだろうか?

 その後も大きな攻防は無く、小競り合いが続く。ただ、小さくても攻撃が当たるのは豊田の方だけで、一樹の素人パンチはかすりもしない。やはり、一樹は捕まえて投げるか、寝技に持ち込まないと苦しそうだ。

 軽い攻撃でも回数を重ねると、徐々にダメージが蓄積されていく。三分、五分と時間が経つうちに、明らかに優劣が現れてきた。息切れすらなく、余裕の表情をしている豊田に比べて、一樹は唇が切れ、ローキックを何度も打ち込まれた足は引きずり気味だ。

 まだ一樹が戦えているのは、豊田が手加減しているからのようにも見える。

「小室さん、お願い! もう戦いを止めて!」

 俺の後ろから板垣さんが叫ぶ。

 俺も何度か止めた方が良いのかと考えたが、一樹の表情を窺うと、必ず目で「まだいけます」と訴えてきた。豊田もまだ本気で潰しにきていないと思う。両方がまだ戦う気満々なのに、止めることは出来ない。今止めると、二人とも消化不良で、折角設けたこの決闘の場が無駄になるからだ。

「どうした、霧島! お前この程度なのか?」

 豊田が挑発する。

 一樹は意味の分からない唸り声を上げて、豊田にタックルを仕掛ける。だが、そんな無謀な攻撃は豊田には通じない。簡単にかわされ、体勢の崩れた一樹はわき腹に蹴りを入れられる。

「ガッカリだぜ霧島」

 わき腹を抑えながら立ち上がる一樹を見下す豊田。

「今日から美紅は俺が守る。弱いお前では美紅は守れない」

「違うわ!」

 豊田の言葉を遮る大きな声が事務所に響く。全員の視線が声の主である板垣さんに集まる。

「弱いのは勝っちゃんの方よ」

「俺が弱いだと? 今の状況を見てみろよ。霧島はもう少しでギブアップするぞ」

「一樹君は、戦えば負けるかも知れないって分かってた。でも、勝っちゃんの為にも、逃げずに戦うって、私が止めても聞かなかった。勝っちゃんみたいに逃げなかったのよ」

 板垣さんはロープ際で泣きそうな顔して叫んでいる。

「俺が逃げただと」

「そうよ。自分の弱さを思い出すのが怖くて、私から逃げたのよ。

 私はあの後でも、ずっと一緒にいたかった。もしあの後、ずっと傍に居てくれたら、今私の横にいるのはきっと勝っちゃんだったのよ。

 でも、勝っちゃんは私から逃げてしまった……」

「違う! あれは……」

「いい加減にしろよ……」

 板垣さんに近付こうとした豊田の肩を、自分に注意を向けようとして一樹が殴る。

「お前……誰と戦ってるつもりなんだ?」

 言葉は強いが、まだ息も荒く一樹のダメージは深そうだ。

「霧島……分かったよ。お前の弱さを教えてやるよ」

 豊田の目付きが変わった。本気で倒しに掛かるのだろう。

 俺も気を抜けない。ヤバいと思ったら、躊躇なく止めないと。

 また二人は少し距離を取り向かい合う。二人の表情を見ていると、今まで以上の緊張を感じる。

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