第22話 決闘は立会人の下で(7)

 先に動いたのは豊田の方だ。左足を前に出し、ジリッ、ジリッとすり足で一樹との距離を縮める。もちろん、豊田は一樹が飛び込んで来るのを警戒している。

 一樹も後退せず豊田の隙を伺うが、一歩が出せない。不用意に飛び込んでもかわされると感じているのだろう。

 もうあと一歩踏み出せば攻撃が当たる距離で、豊田の動きが止まる。

 どちらも引くことなく、その距離でにらみ合う。

「セイッ!」

 気合と共に、豊田が左足を踏み出し、右足蹴りの動作に入る。短く鋭い、ジャブのような蹴りで一樹の脛を狙うのか。

 一樹も事前に反応して左足を下げた。だが、蹴りはフェイントだった。右足は蹴りに入らず、前に踏み出される。そのままの流れで、豊田は右の正拳突きを打ってきた。

 一樹も反応しようとしたが、すでにダメージを受けていて、動きが鈍い。

 逃げきれなかった一樹の顔面に、豊田の右の正拳突きがまともに入った。

「一樹君!」

 板垣さんが、堪らず叫ぶ。俺も勝負あったかと、止める気で身構えた。

 突きを受けた、一樹の体が前に傾く。とどめを刺すつもりか、豊田は素早く右足を引き、一樹の顔面に蹴りを放つモーションに入る。

 これで完全に決まったと思った瞬間、一樹は前に倒れる勢いのまま、蹴りのモーションに入った豊田の腰にしがみ付き、タックルの要領で後ろに倒した。

 下がコンクリートであれば、豊田のダメージは大きかっただろう。だが下に敷いたクッションのお陰でかなり緩和されたようだ。豊田はすぐに上半身を起こそうとしたが、普段寝技を練習している一樹の動きは、早く正確だった。

 豊田の腰から、素早く上半身に体を移し、一樹はあっと言う間にマウント体勢に持ち込んだ。普段の部活の成果が表れたのか、ダメージを感じさせない見事な動きだ。

 豊田の腕も足で抑え、下からの反撃も防いでいる。完全に攻守が逆転した。

 上になった一樹は右の拳を豊田の顔面に打ち付けようと、腕を振り上げる。体重差もあるので、致命的な一撃になるだろう。

「もうやめて!」

 板垣さんが止めに入って来る。その前に俺も止めるつもりで、一樹の右腕にしがみ付こうと動いていた。

 だが、俺と板垣さんの行動に意味は無かった。一樹は腕を振り上げたまま動かなかったからだ。

 一樹がゆっくりと立ち上がり、豊田から離れる。ダメージが残っているのか、足元は少しふらついている。

「一樹君!」

 板垣さんが一樹に駆け寄り、体を支える。

「どうしたんだ、ヘタレかよ! ちゃんと殴れよ!」

 上半身を起こした、豊田が一樹に叫ぶ。

「もう良いだろ。俺は人を殴りたくないんだ」

「そんな情けない奴が、美紅を守れるのかよ! 殴れよ!」

 一樹は自分に抱き付いている板垣さんを見る。彼女も心配そうに見上げる。

「俺は力だけで美紅を守ろうとは思ってないよ。

 美紅が悩んでいたら、話を聞いて、少しでも力になりたい。

 美紅が悲しんでいたら、一緒に泣いてあげたい。

 美紅が喜んでいたら、一緒に喜びたい。笑っていたら、俺も横で腹を抱えて笑っていたい。

 ずっと傍に居て、一緒に感情を分かち合いたいんだ」

 一樹は右腕で、板垣さんを抱き締めた。

 豊田は二人の姿を見て、小さくため息を吐くとリングに寝転んだ。

「勝負あり! この試合は霧島一樹の勝ちだ!」

 俺は一樹の左腕を上に揚げた。

「くそー俺のやって来たことは全て無駄だったのか! 俺は霧島に勝てねえのか!」

 豊田が寝転んだままで叫ぶ。

「それは違うと思うよ」

 いつの間にかリングの中に入って来た紗耶香が、豊田に手を差し伸べる。

「あんたは……」

 豊田は上半身を起こして紗耶香を見た。

「どちらが勝ちとかは無いよ。あなたのことも凄く大切だと思うから、彼女は最後まで止めようとしてた。その気持ちは分かってあげなきゃ」

 紗耶香は優しく微笑んだ。

「ずっと陰から守ってくれてたから、どこに居ても安心できた。お前はお兄ちゃんのような存在なんだって美紅は言ってたよ。だからこれからもよろしくな」

 一樹は笑顔で豊田に右手を差し出す。

「お前、気付いてたのか?」

 豊田は一樹と紗耶香の手を取り立ち上がり、横に来ていた板垣さんに話し掛ける。

「そりゃあ、気付くわよ。だって、男子は勝っちゃんを恐れて誰も近寄って来なかったからね。でも、そのお陰で一樹君と付き合えたんだから、本当にありがとね」

「そうだったのかよ……」

 憮然とする豊田といたずらっぽく笑う板垣さん。二人は本当の兄妹のように見えた。

「まあ良いや。これで俺もスッキリしたよ。霧島、美紅ありがとう。お姉さん、あなたもありがとうございます」

 豊田は一樹と板垣さんに礼を言い、最後に紗耶香には敬語でお礼を言った。

「でも、これで幼馴染の呪縛が解けたんだから、豊田君も自由に恋愛できるね」

 拓斗がリングの中に入って来て、また余計な一声を掛ける。

「別に俺は自由にやってるよ。女に不自由したこと無いからね」

「ホント勝手だよね。勝っちゃん、私から男子を遠ざける癖に、自分は女の子を取っ替引っ替えしてるんだから」

「君、結構酷い奴だね」

 拓斗のとぼけた返しが面白くて、みんな笑った。

「そう言えば社長、今回の料金はいくらですか?」

 一樹が思い出したように聞いてくる。

「ああ、それな」

 俺は机に行き、請求書を二枚取ってきて、一樹と豊田に渡す。

「ええ! 三万! 実費でそんなに掛からないって言ってただろ!」

 豊田が驚いて、声を上げる。

「すまん、いろいろ買ってたら、結構実費料金が増えてしまったんだ。これでも俺の持ち出しもあるんで、勘弁してくれ」

「社長、俺もすぐには無理ですよ」

「ああ、一樹はバイト代から少しずつ引いていくよ」

「俺はどうすれば良いんだよ」

 豊田は困った表情を浮かべている。

「それも大丈夫。俺に考えがあるんだ」

 俺は笑顔で豊田に返した。


「ワン!」

 天気の良い週末の河川敷。ジョンは珍しい昼間の散歩で上機嫌だ。

「俺、犬は苦手なんだよな……」

 おっかなびっくりで、ジョンのリードを持つ豊田が情けない声で呟く。

「大丈夫だよ。ジョンは賢くて大人しいから、噛んだりしないだろ。次からは一人でやって貰うからな」

「えー」

 俺がそう言うと、豊田はうんざりした声を漏らす。

「もう一回ぐらい俺が付き合おうか?」

 一樹が豊田に言う。

 俺達三人は、豊田を真ん中に挟んで並び、ジョンを散歩させている。初めて散歩させる豊田に、コースを教えているところだ。付き添いは俺一人で大丈夫なのだが、一樹も暇なので付き添うと言ってきたのだ。

「良いよ、次からは一人で。その時間を美紅に使えよ」

 昨日の試合で、二人は打ち解けたようだ。喧嘩して仲が良くなるなんて、まるで昭和の青春ドラマみたいだと思った。

「あ、立ち合いの料金の件だけど、俺も分割で良いかな」

「えっ? 分割ってどういうことだ?」

 豊田の分は何回か散歩を手伝って貰えばチャラにすると話していたので、考えが分からず俺はそう返した。

「俺もここでバイトさせてくれよ。少しずつ払うから、残りのバイト料は貰いたいんだ。頼むよ」

 頼むと言いながらも、豊田はへりくだった感じは少しもない。

「そう言うことかよ。良いけど一つ条件がある」

「一つ条件?」

 条件と聞いて、豊田は怪訝な表情を浮かべる。

「ちゃんと敬語を使え。俺は上下関係には厳しいんだよ」

 俺がそう言うと、豊田は安心したように笑う。

「分かりました、社長。よろしくお願いします!」

 豊田は大げさに頭を下げる。

「よし、じゃあ、今日から勝巳も俺達の仲間だ。一樹もいろいろ教えてあげてくれ」

「そうか、勝巳も仲間になるのか。殴られた腹いせに、こき使ってやろう」

「お前、そんな性格してたのかよ!」

 一樹の冗談に、俺達は声を上げて笑った。

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