閑話 ミーシャ、頑張る②

「よおし! どお?」


 時間は夜更け。


 シン、と城内が寝静まり静寂に包まれる中、厨房からは明るい光が漏れていた。


 甘い香りが立ち込める厨房では、エプロン姿のミーシャがドキドキとマルディラムに焼きたてのクッキーを差し出している。


 腕組みをするマルディラムは、ヒョイとクッキーを一つ摘むと、口元に運んだ。


「どれどれ……ふむ、美味い」

「本当っ!?」

「ああ、これならば合格点を出してやろう」

「やったあ!」


 ここ数ヶ月、ミーシャは時間があればマルディラムの元を訪れてお菓子作りに精を出していた。


 裁縫は抜群に上手なのに、ミーシャはお菓子作りに関しては随分と不器用であった。


『分量をしっかり測れ!』

『ダマができておるぞ! 均等に混ぜんか!』

『なんだこの形は! ふざけているのか!』

『オーブンの使い方がなっとらん!』


 スパルタなマルディラムの指導を受け、べそを掻きながらも頑張って来たのは、手作りクッキーをウェインに食べてもらいたいから。


 そして今日、初めてマルディラムから合格点を勝ち取った。


 作ったクッキーはアールグレイの茶葉を混ぜ込んだもの。紅茶好きのウェインにぴったりだと思って選んだ味だ。

 恐る恐るミーシャもクッキーを口にし、パアッと目を輝かせた。


「お、美味しい~! 自分で作ったとは思えないわあ」


 続けてクッキーに手を伸ばし、グッと拳を握って我慢する。


「ダメダメ。せっかく上手にできたんだもの。ラッピングして食べてもらわなくっちゃ」

「偉いぞ。初めて成功した特別なクッキーだからな。ウェインも喜ぶだろう」

「なっ、なな、何言ってるのよう! 別にウェインにあげるだなんて言ってな……」

「バレバレなのだから隠す必要はないだろう」

「うう……」


 マルディラムに指摘され、真っ赤になった顔を俯けるミーシャ。


「マルディラムは、私がウェインを好きなこと、おかしいとは思わないの?」

「ん? 誰を好きになろうがそれは個人の自由だろう。それにあいつはいい男だ。惚れるのも仕方があるまい」

「そう、そうなのよお! 分かっているじゃない!」


 ミーシャは、マルディラムに否定されずにホッと胸を撫で下ろした。


 ミーシャとウェインは倍以上も歳が離れている。ミーシャにとってはそんなことは関係がない瑣末なことなのだが、どうもウェインが歳の差を気にしているようなのだ。


「それに、誰かを愛する気持ちはコントロールしようともできないものだ。惚れてしまったのならば、ぶつかってしまえばいい」

「そ、そうよね……うん、私頑張るわ!」


 マルディラムに背を押され、ミーシャは用意していたピンク色の小箱にクッキーを詰めていく。箱に巻くのは鮮やかな真っ赤なリボン。

 リボンを巻くのは得意なので、とびきり可愛く仕上げていく。


 小箱はミーシャの色。リボンはウェインの瞳の色を選んだのだが、流石に露骨すぎるだろうか。


「よし、できたわ!」

「ほう、上出来だ」


 ふう、と額の汗を拭って満足げなミーシャの前にはピンクの小箱と、もう一つ。薄紫色の小箱が用意されている。


「む? これは?」

「ふふ、これはね。アリエッタちゃんに!」


 なるほど、アリエッタの瞳の色はアメジストだったな。とマルディラムは小さく微笑む。


「今日はもう遅い。明日にでもウェインを訪ねてやるといい。アリエッタにはおやつの時間に出せばいいだろう。久しぶりに中庭のガゼボを整えてやろう」

「あら、ありがとう! 楽しみにしているわね」


 ミーシャはそういうと、ほんのり桃色に頬を染めながら、大事そうにクッキーの入った小箱を胸に抱いて自室へと戻っていった。






 翌日の夜。


 昼間にアリエッタにクッキーを出した時の反応は上々だった。ミーシャの手作りだというと大喜びで「美味しい、美味しいでふ!」と食べてくれた。


 マルディラムも太鼓判を押してくれたし、アリエッタも美味しいと言ってくれた。味は大丈夫なはず。


 よし! と気合を入れて、ミーシャは目の前のウェインの部屋の扉を叩いた。


「はい……ああ、ミーシャですか」


 すぐに扉が開いて、いつもの燕尾服ではなくゆったりとしたシャツ姿のウェインが姿を現した。


 胸元のボタンもいくつか開けて着崩していて、隠しきれない色気が漏れ出ている。


 ウェインの色香にくらりと目眩を覚えながらも、ミーシャは努めていつも通りの笑顔を作った。


「こ、こんばんは! その、クッキーを作ったから、よかったらウェインにも食べてほしいと……思って……」


 あれだけ覚悟を決めたというのに、いざ本人を目の前にすると自信がなくなっていく。


 俯いて恐る恐る小箱を差し出す。


 優しいウェインのことだ、ミーシャの好意を無碍にすることはないはず。けれど、ミーシャの恋心を知るウェインが、受け取らない可能性もゼロではない。


 ギュッと目を瞑って、ウェインの出方を伺っていると、フッと手のひらから小箱の重みがなくなった。


「……ほう、ミーシャが作ったのですか。ありがとうございます」

「あ……うん」


 よかった。受け取ってもらえた。

 ミーシャはホッと息を吐いて、目を開いた。


 目の前にはピンクの小箱を愛おしそうに撫でるウェインの姿があった。ピンクの小箱に自分を重ねて、頬が熱くなっていく。


 クッキーは受け取ってもらえた。最低限の目標は達成したが、ミーシャは今日は頑張ると決めていた。


「あ、あのっ、できたら味の感想を聞きたいの! 中に入ってもいいかしら?」


 ミーシャはスウッと息を吸うと、覚悟を決めて一息に言い切った。


 ウェインは真っ赤な目を見開いて、硬直してしまった。そして、呆れたようにため息を吐いたので、ミーシャの胸はドキリと嫌な音を立てた。


「あなたは……夜分に男の部屋を訪れるなんて、妙策だとは思えませんね」

「ウェインの部屋以外は訪ねないもの!」


 ミーシャは咄嗟に反論してしまい、パッと口元を覆った。

 ウェインは再び深く息を吐くと、クシャリと髪を掻き上げた。


「――仕入れたばかりの茶葉があるのです。味見に付き合っていただけますか?」

「っ! ええ、もちろん!」

「では、どうぞ」


 ウェインに案内されて、整った室内に足を踏み入れた。ミーシャがウェインの部屋に入るのは初めてだ。というか、ウェインが今までは入れてくれなかった。一歩前進と思ってもいいのだろうか。


「紅茶を用意しますので、そちらに座って待っていてください」

「え、ええ」


 ウェインに誘導されたのは、窓際に置かれた一人掛けのソファ。横にはサイドテーブルが置かれていて、ソファの対面にウェインが執務椅子を運んできた。


 自然とシャンと背筋が伸びて落ち着かないミーシャは、ウェインの室内を見回した。


 ベッド、クローゼット、サイドテーブル、ソファ、執務机に椅子。必要なものだけが揃えられていて、どれも落ち着いた色合いでウェインらしい部屋だ。


 ボーッと視線を巡らせていると、鼻腔をくすぐるいい香りがしてきた。


「すごい、いい香りね」

「そうでしょう。香りがよく立つように特別にブレンドされた茶葉のようです」


 少し蒸してから注いでくれた紅茶は、澄んだ琥珀色をしていた。

 ガタン、と椅子を鳴らしてウェインが対面に座り、「では」と一言断りを入れて小箱のリボンを解いていく。


「ほう、よくできていますね」


 ドキドキとウェインの反応を窺っていると、現れたクッキーを目にしてウェインの目元が綻んだ。


 こう見えて甘いものが好きなウェイン。長い付き合いなので、とても喜んでいることが伝わってきて胸が温まる。


「では、いただきましょう」

「ええ、いただきます」


 二人でカップを傾けて、ウェインがクッキーに手を伸ばす。

 ミーシャも促されるがまま、クッキーを一枚手に取って口に含んだ。緊張しすぎて味がわからない。


 サクサク、とウェインがクッキーを咀嚼する音を緊張した面持ちで見つめる。


「……うん、美味しいですね。アールグレイの茶葉を混ぜ込んでいるのでしょうか。紅茶にもよく合います」

「よ、よかったあ……ウェインが好きそうな味にしたの。何ヶ月もマルディラムにみっちり指導してもらって……あっ」


 ホッとして気が抜けてしまったミーシャは、クッキーを用意するのに数ヶ月もの間苦戦してきたことを明かしてしまった。


 カアッと真っ赤になった顔を、カップを掲げて隠す。


「……そんなに長い間、練習してくれていたのですか」

「う、そうよ! 私、お菓子作りが壊滅的に下手だったんだもの!」


 噛み締めるように落とされたウェインの囁きに、ミーシャは照れ隠しで噛みついてしまう。

 じわりと眦に涙が滲み、恐る恐るカップを下げてウェインの顔色を伺う。


「そう、ですか。嬉しいです」

「あ……」


 呆れられるかと思ったら、ウェインは本当に嬉しそうに微笑んでいた。紅茶を飲んで温まったからか、どこか頬も上気しているように見える。


 ドキドキ高鳴る胸を押さえながら、ミーシャは静かにカップを置いた。今なら、伝えられる気がする。


「ウェインに、食べて欲しかったの」

「ええ、ありがとうございます」

「……ウェインが、好きなの」

「ええ、知っています」


 心臓が口から飛び出そうな思いで告げたのに、ウェインは涼しい顔で紅茶を口に含んでいる。


 その余裕さがなんだか悔しくて、その相好を崩してやりたくて、ミーシャはつい言ってしまった。


「覚えているわよ」

「……何を、でしょうか」


 優雅にカップを傾けていたウェインの手が止まる。スッと真っ赤な目が細められ、静かにカップがソーサに戻される。


「あの日、アリエッタちゃんにドレスを着せてみんなでパーティをした夜のことよ。泥酔した私を部屋まで運んでくれたでしょう? あの日のこと、全部覚えているわ」

「……それは、想定外ですね」


 僅かにウェインの赤い目が揺れている。


「…………キスした責任、取ってよ」


 ミーシャは意を決して搾り出すように言った。自分でも驚くほどにか細い声が出てしまった。


 ウェインは答えない。

 代わりに、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。


「立ってください」

「い、いやよ。追い出すつもりでしょう?」


 ミーシャの傍にやってきたウェインの低い声が頭上から降ってくる。ミーシャは駄々をこねていると承知の上で首を左右に振った。


「はあ……そのままだと抱きしめることができないでしょう」

「えっ」


 怒ったような声音に弾かれたように顔を上げると同時に、腕を掴まれて強引に立たされてしまう。


 ミーシャが息をつく間も無く、気がついた時にはウェインの腕の中にいた。


「え……え?」


 何が起こっているのか、脳の処理が追いつかない。

 ただ、抱きしめられるウェインの腕の力が随分と強いこと、そしてウェインの心臓もミーシャに負けず劣らず早い鼓動を刻んでいることだけ理解できた。


「まったくあなたという人は……どれだけ私が我慢しているのかも知らずに好き勝手なことを言う」

「そ、そんなこと、知らないもの。それに、我慢なんてしないでよ……」


 ギュッと一際強く抱き締めてから、ウェインは腕の力を緩めた。


「間も無くルイス様は成人の儀を迎えられます。私はそれまでは自分のことを後回しに責務を全うしたいと考えています。もちろん成人を迎えられてからも、お側で仕え続けますが……なので、今はあなたの気持ちに応えることができません。無事にルイス様の成人を見届けるまで、もう少し待っていてくれますか?」


 腕の中で見上げたウェインの瞳は、ミーシャだけを映している。ミーシャの喉奥に、熱いものが込み上げてくる。


「っ! もちろんよ! 私が何年片想いしていると思っているの。舐めないでちょうだい」

「ふ、舐めてはいませんよ――まだ」

「え……ひゃっ!?」


 ニヤリと悪戯っ子のように口角を上げたウェインは、ペロリとミーシャの唇を舐めた。


「な、なな、なななっ」

「先ほどからクッキーのカスが付いていましたよ。ふ、子供のようですね」

「~~~!」


 どこか吹っ切れた様子のウェインは、おかしそうに笑っている。頭から湯気が出そうなほど身体中真っ赤に染め上げたミーシャはクラクラと目が回りそうになっていた。


 この男、我慢をやめたらとんでも無いことになるのでは?


 ミーシャの中で警鐘が鳴るが、時すでに遅し。ウェインは妙に色っぽい手つきでミーシャの腰を撫でている。


「さて、もう自室へ帰りなさい。これ以上触れているとどうにかなってしまいそうです」

「む、無理よ……だって、腰が抜けて歩けそうも無いんだもの」

「おや……少しやりすぎてしまいましたか。まだまだ序の口ですよ。ルイス様が成人なされるまでに覚悟を決めておきなさい」

「ぴい……」


 楽しそうなウェインにヒョイと抱え上げられたミーシャは、自室に運ばれるまで真っ赤な顔を両手で覆っていた。





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