第八話 暑い日は水遊びをしましょう 1

 すっかり日が高くなり、強い日差しに汗が滲む季節となった。


 ルイ様は無事に声変わりを終えて、すっかり落ち着いた声音となっていた。


「アリエッタ」

「は、はい!」


 耳から身体に染み入るような重みのある低い声に、脳が痺れる。

 声の主を振り返り、視線を合わすために少し上を向くと、切れ長になりつつある金の瞳と視線が交わった。


 とうとうルイ様は私の背を追い抜いてしまった。


 今は少し見上げなければ麗しのご尊顔が拝めない。

 ついこの間まで腕の中に収まる少年だったルイ様は、すっかり青年の仲間入りを果たした。顔立ちもシュッとしてきて、クリクリだった目もその面影を残すのみとなってしまった。


 私の背を抜いた時のルイ様の反応は凄まじかった。



『アリエッタ! 余の方が背が高くなったぞ! これでもう子供扱いはできぬだろう!』

『ちょ、ちょちょちょっ……! ぎゃあっ! ルイ様、おろしてっ!』


 背が並んだ頃から、毎朝ルイ様は私と背比べをするようになった。そしてとうとう私の背を追い越して感極まったルイ様は、私の膝の裏を抱えてヒョイッと担ぎ上げるとクルクルと回り始めたのだ。


 もちろん抱き上げられているのだから身体は密着しているわけで、私は恥ずかしくって目を回してぶっ倒れそうになった。さらに、元気が有り余っているルイ様はクルクルクルクルと回転木馬にでもなったのかと疑うほどに回り続けた。


『うえっぷ……』

『アリエッタ!?』


 結局、回転の激しさに負けた私は泡を吹いて倒れてしまった。


 寝込む私の手を握りながら何度も謝るルイ様は、『すまない。ずっと、一日でも早くアリエッタの背を追い越したいと願っていたから、嬉しくて……』と身体は大きくなったのに、シュンと子供のように背を丸めて小さくなってしまった。


『大丈夫ですよ。ちょっと……いや、かなり激しかったのでビックリしてしまっただけです。私もルイ様の成長が嬉しいです』

『アリエッタ……!』

『ですが、身体が大きくなったということは、その分力も強くなっているということです。少し力加減に気を付けていただけると助かります』

『う……善処しよう』



 と、いうわけで、それ以来ルイ様は宝物に触れるように私を扱うようになった。ほんと、むず痒くて恥ずかしいからやめていただきたい。え? 頬が緩んでなんていませんよ。


 色々思い出してポッポッと火照る頬を扇いでいると、ルイ様がおかしそうに微笑んで手を差し出してきた。


「さあ、フェリックスのところへ行こう」

「……はい」

「キュアッ!」


 ルイ様が差し出した手にそっと手を重ね、フェリックスが待つ中庭の中央に向かう。出会った頃は私の手にすっぽり収まっていたルイ様の手。今では逆に私の手が包み込まれてしまっている。


 そしてフェリックスもルイ様に負けず劣らず成長が早い。今では馬車ほどの大きさになっていて、私やルイ様を背に乗せることもできるようになった。ただ、流石に城の中に入ることができなくなってしまい、中庭の一角にフェリックス用の小屋を建設した。カロン爺を中心に、みんなで資材を運んだり組み立てたり、思い出深いものが出来上がった。


「さて、やるぞ」

「はい!」


 ルイ様の掛け声で、私たちは重ねた手を持ち上げ魔力を巡らせる。

 私が水を生み出して、ルイ様が風で水を自在に操る。


 最近フェリックスがお気に入りの水遊びだ。


 魔力操作の練習にもなるし、水飛沫が中庭に弾けて降り注ぎ、草花も気持ちよさそうに喜んでいる。まさに一石二鳥。キラキラと霧のように水が巻き上がり、あちこちで小さな虹を作っている。

 この水遊びは、暑がりのフェリックスを涼ませ、かつ魔法の練習になることを、とルイ様と二人で考えた遊びである。


「キューッ!」

「わわっ」


 はしゃいだフェリックスが翼を振り回し、バシャッと水飛沫が飛んできた。慌てて躱した足元に水の塊が打ち付ける。


「こら、フェリックス。きちんと周りを見ないと危ないだろう」

「キュウウ……」


 ルイ様に叱られて、シュンッと頭を下げるフェリックス。私はルイ様と繋いでいた手を解いて、フェリックスに歩み寄ると、しょんぼり項垂れる頭を優しく撫でた。


「いいのよ。あなたが楽しんでくれて何よりだわ。濡れていい服があれば、あなたと一緒に遊べるんだけどねえ」

「キュウ!」

「あはは、フェリックスもそう思う?」


 そうだそうだ、一緒に遊ぼう! と言うようにフェリックスがすりすり頭を擦り寄せてくる。可愛くって首に手を回して甘やかしてやる。


 フェリックスのお世話を始めた頃、ルイ様がヤキモチを妬いて引き剥がしにきていたなあ。

 流石にルイ様も成長してそんなヤキモチは妬かなくなってしまったわよね。と懐かしさと少しの寂しさを覚えて、視線をルイ様へと投げる。すると、ルイ様は腕組みをしながら僅かに唇を尖らせていた。あら?


「くっつきすぎだ」

「あっ」


 痺れを切らしたルイ様がツカツカと歩み寄り、私の肩を掴んでフェリックスから引き剥がした。まだヤキモチを妬いてくれているのかしら、と窺うように見上げると、ルイ様は罰が悪そうに視線を逸らしてしまった。


「……ふふっ」

「……なんだ」

「いえ、なんでもありませんよ」


 急速に大人に向かっていくルイ様に時折寂しさを感じるけれど、こうして変わっていない一面を目の当たりにすると少し安堵の気持ちが胸に広がる。私の考えを察しているのか、ルイ様はますます唇を尖らせてしまった。その頬はほんのり赤く染まっていて、私もますます笑みが深まってしまうのだった。



 ◇◇◇



 二人と一匹の微笑ましい光景を、生垣の影から見守る者たちがいた。中庭の管理をしているカロンと、側を通りがかったミーシャだ。


「ふむ、アリエッタも水浴びがしたいのか?」

「そう聞こえたわねえ。でも服が濡れるからできないみたいねえ」


 風に乗って聞こえてきた二人の会話を反芻し、カロンは顎に手を当てて考え込んだ。


「ふむ……確かワシが管理している品の中に、防水布があったはず……それを仕立てれば、あるいは……」

「あら、いいじゃない! 前に読んだ文献で、人間界には水中で着るための専用着があるって見てから作ってみたいと思っていたのよお」

「む、ミーシャでも本を読むのじゃな」

「ちょっとお、失礼ね。さ、そうと決まれば早速その防水布とやらを見せてもらおうかしら」

「ちょ、おい……待つのじゃ!」


 ミーシャは目を輝かせながらカロンの服を引っ張って、あっという間に城内に消えていった。

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