第七話 変わりゆく日々 5
食器をマルディラムさんに返した私が恐る恐るルイ様の部屋の扉を開けると、にこやかな笑みを携えたウェインさんが出迎えてくれた。
「お帰りなさい。ルイ様は何も問題ございませんでしたよ」
「え……ルイ様、お話ししてくださったのですか?」
ウェインさんの肩越しにルイ様を窺うと、相変わらずシーツに包まったままベッドの上に座っていた。心なしか隙間から垣間見える頬がほんのり色づいて、気まずそうな顔をしているように見える。
ウェインさんに視線を戻すと、表情を緩めて頷いてくれた。部屋に入ってルイ様のお側まで近付くと、ルイ様は再びモゾモゾとシーツの中に顔を隠してしまった。
「ルイ様……? 本当に、大丈夫なのですか?」
……コクリ。
「ウェインさんにはお話しされたのですよね? 私にもお声を聞かせてくださいませんか?」
…………フルフル。
「ルイス様……まったく」
相変わらず私の前では口を開かないルイ様の様子に呆れ顔のウェインさんだけれど、ルイ様の反応に私の心はチクリと痛んだ。
ウェインさんには打ち明けられて、私には話せないなんて。
確かに、側近のみんなとはルイ様と過ごした時間に差はあれど、この一年間一番ルイ様の近くにいて、ゆっくりと、でも着実に信頼関係を築いてきた。少なくとも私はそう思っていた。
「そう、ですか……えへへ、そっか。私はまだルイ様に相談してもらえるほどの存在ではなかったのですね」
ヘラリと情けない顔で笑ってしまう。でも、そうでもしないと泣いてしまいそう。声の震えだけは隠すことができなかったけれど。
「っ!」
「アリエッタど……」
ウェインさんが私の名を呼ぶよりも早く、ルイ様が慌てた様子でガバリと身体を起こしてベッドから身を乗り出した。また一段と筋張ってきた手がシーツから私に伸びてきたけれど、ルイ様はシーツにグルグルに絡まったままだったので、そのまま床へと転がり落ちてしまった。
「ルイ様っ⁉︎」
慌てて駆け寄り、シーツを剥ぎ取ると、必死な形相のルイ様に強く肩を掴まれた。
「……っ」
何度も口を開いては閉じてを繰り返すルイ様。何かに葛藤するように、表情を辛そうに歪ませている。
「……言いたくないことを無理におっしゃらなくても大丈夫ですよ。気分が優れないのなら、今日はもう下がりますので、ゆっくりとお過ごしくださ――」
「い、やだ」
「えっ?」
今はルイ様のお側にいるのが辛い。早くお暇しようと発した言葉は、ルイ様――と思われる声に遮られた。
え? 今の、ルイ様の声?
少し皺がれていて、いつもの少年らしい高めの愛らしい声とはかけ離れている。僅かに声がこもっていて、低く感じる。
どういうことかと目を瞬く私に対して、ルイ様はご自身の口元を両手で覆って顔を真っ赤にしている。
私たちの傍に膝を落としたウェインさんが、真相を教えてくれた。
「ルイス様は、声変わりをなさっているようです」
「声変わり……」
そうだ。男の子は多感な年頃に声帯が大きく成長する。
孤児院の子供たちも、ルイ様と同じ背丈の頃に急に声が変わって戸惑っていたことを覚えている。
「ルイス様は、急に低くなってしまった声に戸惑い、混乱されてしまったのですよ。自分でも十分に受け入れられていない声を、あなたに聞かれたくなかったのです」
「あ……」
ウェインさんの言葉にびっくりして、ルイ様の顔をまじまじと見つめてしまった。
ルイ様は真っ赤な顔のまま、観念したように両手を下ろした。両手に隠されていた唇はツンと尖っていた。ルイ様がいつも照れ隠しをする時の表情だ。
ルイ様の喉に視線を落とすと、確かに以前よりも明らかに膨らんでいる。喉仏が出てきているのだ。
そっか。声変わり。
……そっか。私が嫌になったわけじゃないのね。
ルイ様の成長を強く感じて胸が締め付けられる。嫌われてなかったという安堵の気持ちも相まって、思わずルイ様の喉に手を伸ばして指先で触れてしまっていた。
「っ! あ、アリエッタ」
「あっ、失礼いたしました!」
わあ! 私ったら何をしているの!
これ以上ないぐらい真っ赤な顔をしているルイ様に釣られて、私の顔も熱くなる。お互いに俯いてモジモジしていると、ものすごく爽やかでいい笑顔をしたウェインさんが間を取り持ってくれた。
「誤解が解けたようで何よりです。数日で声も安定してくるかと思いますが、しばらくは大きな声を出したり、刺激の強いものを食べたりしないようにしましょう。マルディラムには私から伝えておきますので」
「あ、ああ。よろしく頼む」
ルイ様は、まだ自分の発する声に慣れないようで、話すたびに眉間に皺が寄っている。その様子もまた愛おしくて、胸がいっぱいになる。
「ほほっ、では私は役目を果たせたようですので、ここらで失礼します」
「えっ! ウェインさん⁉︎」
この状況で二人っきりにしないで!
そう目で訴えるも、爽やかなウインクで私の訴えは一蹴されてしまった。くそう、イケオジめ!
そそくさとウェインさんが出て行ってしまい、部屋には気まずい沈黙が流れる。
「アリエッタ……う、その……すまなかった」
「あ、いえ! 私こそ、変なことを言ってしまいました。すみません」
二人同時に勢いよく頭を下げたので、ゴチン! と盛大に頭をぶつけてしまった。
「うう」
「痛い……」
おおお、と二人して頭を抱え、顔を見合わせて――私たちは盛大に噴き出した。
「ははっ!」
「あはは!」
涙が滲むほど笑って、さっきまでの不安な気持ちは綺麗さっぱり消え去ってしまった。
落ち着いてきた頃合いで、ルイ様は静かに話し始めた。
「アリエッタ。余は、いつもアリエッタが可愛い、好きだと褒めてくれる声を失って、途方に暮れた。声変わりの真っ只中だから、くぐもっているし掠れているし……アリエッタに少しでも見放されるのが怖かったのだ……んむっ⁉︎」
視線を落とし、ポツリポツリと打ち明けてくれるルイ様。
そっか、私と同じで、ルイ様も不安で仕方がなかったのね。
私は、ルイ様に手を伸ばして、ムニッと柔らかな頬を両手で挟んで強引に視線を合わせた。
本当に、この人は――
「んもう、馬鹿ですね。ルイ様はお馬鹿さんです。私はルイ様が大好きなんですから、声ひとつでルイ様を嫌うわけありません。私の愛を見くびらないでください。それに、今のルイ様のお声も十分素敵ですよ」
ルイ様は真っ直ぐに私の目を見つめている。その金色の瞳は僅かに揺らぎ、目元は赤らんでいる。
「ルイ様? お声を聞かせてください。声変わりも成長の一環です。私はルイ様の変化を側で感じられることが嬉しいですし、誇りに思っています。私にもルイ様が大人に変わりゆく大切な時期を感じさせてください」
「……ああ、ありがとう」
「……ルイ様、私の名前を呼んでくださいませんか?」
にこりと微笑んでおねだりすると、ルイ様は僅かに目を見開いてから、蕩けるような笑顔を作った。
「……アリエッタ」
「はい」
「アリエッタ」
「ふふ、はい」
声質が変わったって、ルイ様が私の名前を呼ぶ声は心地がいい。優しくて、労りに満ちていて、私の居場所はここなのだと感じさせてくれる声音。
ルイ様は何度も何度も名前を呼んでくれて、私の心はポカポカと温かな気持ちで満ちていった。
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