第五話 生き物のお世話は大変なのです 1
「んー? やっぱり」
朝の身支度を終え、そろそろ朝食に向かおうかという頃合い。
私は目を閉じて意識を集中させる。
うん、やっぱり。結界に干渉痕がある。この魔力にはよーく覚えがある。
全く、しつこい男は嫌われると知らないのかしら。
目を閉じたまま結界の輪郭をなぞるように魔力を注ぎ込む。距離があるから大変だけれど、私にかかればこんなことはお手のもの。
結界を元通りに補正して、ふうと息を吐く。
目を開けると、心配そうなルイ様が私の顔を覗き込んでいた。オーマイエンジェル。
「どうかしたのか?」
「いえ、ルイ様が気にされることは何も。ちょっとしつこいハエがおりまして」
「ハエが? ふむ。気がつかなかった」
ルイ様は、気づけず悔しいとばかりに眉を顰めた。
まったく、どういうつもりでまた魔界に手を出そうとしているのかしら。
マイスイートルイ様には指一本触れさせないわ。
まあ、軍隊引き連れてきても私の結界を簡単に破ることはできないでしょうけど。今みたいに結界の揺らぎに気づく度に補強しておけば、半永久的に結界は壊れないでしょう。それこそ古の遺物であるゴーレムでも持ってこない限り、この私の魔法は破れなくってよ。
「さ、行きましょう」
一仕事終えたので、ルイ様の手を引いて食堂へ向かう。
意気揚々と食堂に足を踏み入れた私たちを待ち受けていたのは、満面の笑みのウェインさんだった。
「さすがはアリエッタ殿。私の憂いを瞬く間に払拭されるとは、恐れ入ります」
「いえいえ、とんでもないです」
どうやらウェインさんは結界が何者かに干渉されたことを察知していたらしい。もしかしたら昨日不在にしていたのは門の様子を見に行っていたのだろうか。
それよりも。
「ウェイン、その……手に抱いているのは、なんだ?」
そう、ウェインさんが胸に抱いているそれは、一体なんなのでしょうか。
「こちらが昨日お伝えしていた罰です。このドラゴンの子供をお二人で立派に育ててください」
「「えっ⁉︎」」
「キュウ」
ウェインさんが腕に抱いていたのは、夕日のように鮮やかな朱色をした小さなドラゴンだった。
キラリと光を帯びる水晶のような瞳も夕日のように美しい。
え、待って⁉︎ ドラゴンのお世話なんて、どうすればいいのか分からないけど!
「もちろん、我々も助力いたします。ですが、この子と共に行動し、生きる術を教える親代わりをお二人に務めていただきたい」
「そっ、そんな……余にできるのだろうか」
ルイ様も動揺して狼狽えている。そりゃそうよね。これまではルイ様は育てられる側だったのだから。というより絶賛育てられている真っ最中なのだけれど。
ルイ様の不安はもっともで、生き物を育てることには大きな責任が伴う。小さくても命を預かるのだから、生半可な覚悟ではいられない。
「このドラゴンは、数十年ぶりに火山に住まうドラゴンが産み落とした子供なのですが、悲しいことに、親ドラゴンはこの子を育児放棄してしまったのです。火山に住む他の魔物が知らせてくれましてね。保護した次第となります」
「そんな……」
こんなに小さくて、可愛いのに、育児放棄だなんて。
人間界でも、親の都合で育てられなくなったからと孤児院に入れられた子供たちはたくさんいた。彼らのことを思い出し、私の胸は締め付けられるように痛んだ。
「この子は愛情を知りません。ですから、お二人でたくさん愛情を込めて育ててあげてください。ドラゴンは雑食なのでなんでも食べますが、まだ赤子なのでミルクを中心に与えましょう。では、早速」
「こ、これは?」
ウェインさんが取り出したのは哺乳瓶だった。
「赤子にミルクを飲ませるものです。さあ、抱いてごらんなさい」
「う、うむ」
ルイ様は戸惑いながらもそっと手を伸ばしてドラゴンに触れた。どうやら随分と人懐っこい子のようで、ルイ様に触れられても平気そうにしている。それどころか気持ちよさそうに喉をそらしてグルグルとくぐもった音を鳴らしている。
恐る恐るウェインさんの腕の中からドラゴンを受け取り、落とさないようにしっかりと抱える。いくら子供だとはいえ、ドラゴンはドラゴン。ルイ様が抱えると随分と大きく見える。
「こう、腕を使って……そうです。お上手ですよ」
「う、うむ」
たどたどしくも、懸命に、ルイ様はドラゴンを抱きながら哺乳瓶を口元に近づける。ドラゴンは「キュイ?」と不思議そうに首を傾げ、ふんふんと匂いを嗅いだ後、パクッと哺乳瓶を咥えた。そしてゴキュゴキュと豪快にミルクを飲み始めた。
「の、飲んだぞ!」
「ええ、飲みましたね」
ウェインさんも嬉しそうに笑みを深めている。
愛くるしいルイ様が子供のドラゴンのお世話をし、それを孫を見る目で見守るイケおじ。なんたる素敵空間。天国かしらここは? いえ、魔界だったわ。
「尊い……」
思わず神に感謝を捧げてしまう。
見事にミルクを飲み切ったドラゴンを肩に抱えるようにして抱き直すと、ルイ様はトントンとその背を叩いた。
「けふぅ」
ドラゴンは満足げな声と共に無事に腹の中の空気を吐き出せたようだ。
「こ、これが罰になるのか?」
すっかり子供のドラゴンに魅了されて頬を上気させているルイ様が尋ねると、ウェインさんは不敵な笑みで答える。
「ええ。庇護対象を得ることで、我々の臣下の気持ちを知っていただく魂胆です」
「……そういうことにしておこう」
皆まで言わずに察したルイ様は、やっぱり少し大人になったのかもしれない。
この日から、日々の勉強や魔法の特訓にドラゴンの世話が加わった。
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