閑話 ウェイン、吹っ切れる
ルイスが成人の儀を終えた日から数日後の夜、アリエッタがルイスの部屋に向かうと、入れ違いにウェインが満面の笑みで部屋から出てきた。
「ウェインさん、どうしたんですか? すっごくご機嫌でしたけど」
部屋に招き入れられて、最近所定の位置になりつつあるルイスの膝の上に抱え上げられたアリエッタは首を傾げた。
一方のルイスは、ウェインとのやり取りを思い出したのか苦い笑みを浮かべた。
「……休暇の申請だ」
「お休み! ウェインさん働き詰めですもんね」
「いや、それが――」
言い淀むルイスに、アリエッタは再びこてんと首を傾げた。
◇◇◇
「ふぅー……ルイス様のお洋服の仕立て直しが多くって大変だけど、ふふっ、楽しいわねえ」
「ミーシャ」
「きゃあっ!」
夕食後、作業のキリがいいところまでと思って衣装部屋に篭っていたミーシャが肩を回しながら部屋を出たところで、背後からウェインに呼び止められた。
「び、びっくりするじゃない!」
「驚かせてすみません。随分張り切っているようですね。少し疲れが見えます」
「っ!」
暗闇からヌッと現れたウェインに驚き、ミーシャはバクバクと高鳴る胸を押さえた。ウェインは謝りながらもミーシャに歩み寄ると、スッと頬に手を添えて目元を親指で撫でた。
「よろしければ、甘味を用意しておりますので……私の部屋で休みませんか?」
「へっ……⁉︎ い、行くわ!」
まさか、ウェインから自室に招くなんて。
これまでだと考えられない出来事に、ミーシャの思考は停止する。けれど、すぐに我に返って前のめりに賛同した。
「ふっ、そんなに甘味が食べたいのでしょうか? では、参りますよ」
「ちょ、人を食いしん坊みたいに言わないでよ。あ、待って……」
どこか楽しげなウェインは、滑らかな動きでミーシャの手を取ると自室に向かって歩き始めた。
突然繋がれた手、しかも自然と絡められた指にドギマギしつつ、ミーシャは(なんなのよお……)と密かに赤らむ頬を押さえた。
「さあ、どうぞ」
「あ、ありがと」
ウェインの部屋にはすでにティーセットがセットされていて、部屋に着いてすぐに淹れてくれた紅茶の香りが立ち上っている。
可愛いスタンドの上には、マカロンやマフィン、一口サイズのケーキまで、ミーシャの好きなお菓子が程よく盛り付けられている。
それよりも――
「えっと、これは?」
「見た通り、ソファですが?」
ミーシャの目を引いたのは、以前にはなかったはずの二人掛けのソファ。深藍色でウェインの部屋にもよく馴染んでいる。
ウェインは立ち尽くすミーシャを置いて、慣れた様子でソファに腰掛けた。そして、自分の隣をポンポンッと叩いた。
「どうしたのですか? 座りなさい」
「え、ええ……」
ミーシャはおずおずとソファの端に腰を下ろした。
深く腰掛ければ、きっとウェインと肩がぶつかってしまう。ミーシャは身体を外側へ傾けて、極力ウェインと距離を取った。でなければ、破裂しそうなほど脈打っている心音に気付かれてしまうから。
ミーシャは誤魔化すようにスタンドの上のマカロンに手を伸ばした。
「えっと……このソファ、どうしたの?」
「カロンに用立てて貰ったのですよ。あなたを部屋に招く際に、隣に座りたいと思いましてね」
「へ……?」
ウェインの言葉に、口元まで運んでいたマカロンを思わず落としてしまった。
「やれやれ、何をしているのですか。どうぞ」
素早く受け止めたウェインが呆れた顔をして、マカロンをミーシャの口に持ってきてくれる。
「あ、りがとう」
目の前のマカロンをパクリと頬張り、モグモグと口を動かす。じんわり口内に甘さが広がっていく。
「……美味しい」
「それはよかったです。マルディラムも喜ぶでしょう」
優しく微笑みながら、優雅にカップを傾けるウェイン。
ミーシャは今までと違いすぎる距離感に戸惑いを隠せない。
しばらくは他愛のない話をしながら、甘いお菓子を堪能した。
「――さて、ルイス様は無事に成人を迎えられましたね」
カタン、とカップをソーサーに戻したウェインが、改まったように口を開いた。
ミーシャはびくりと身体を跳ねさせつつも、こくりと頷いた。先ほどから痛いほどにウェインの視線を感じる。けれど、なぜだかウェインの方を見れなくて、ミーシャは膝上で組んだ手に視線を落としてしまう。
「そ、そうね」
「……ミーシャ、こちらを向きなさい」
「っ!」
スッと伸びてきた手に呆気なく顎を掬われて、半ば強引にウェインと視線を合わせられてしまう。いつの間にか片眼鏡を外していたウェインは、ギラギラと熱く赤い瞳でミーシャを見据えている。
もう片方の手で腰を引き寄せられ、ミーシャは倒れるようにウェインの胸に飛び込んだ。
「ちょ、ちょっと……」
「せっかくあなたとの時間を過ごすために用意したのです。もっとこちらに来なさい」
「~~~っ! もっ、もう! 急にグイグイ来られて戸惑ってるのよお! ウェインは平気かもしれないけど、こっちは心臓が破裂しそうなんだからっ!」
いっぱいいっぱいになったミーシャは、思わず怒鳴ってしまった。慌てて口を押さえるも、ウェインはどこか嬉しそうに口角を上げている。
「そうですか。よかった、あなたを待たせすぎて愛想を尽かされたのかと肝を冷やしました」
「え……ひゃっ」
ウェインは素早くミーシャを抱えあげると、横抱きにして自分の膝の上に乗せた。もちろんミーシャの顔は夕日よりも赤く染まっている。
「ルイス様が成人するまで待って欲しいなんて、私の勝手な都合なのに……あなたは待ってくれると言ってくれました。そして、ルイス様は無事に成人なされました。ようやくあなたの気持ちに応えることができます」
「ウェ、ウェイン……」
ウェインはミーシャの腰を支えたまま、顎に触れていた手でミーシャの手を取った。そしてミーシャの白く長い指先に唇を落とした。
「ミーシャ、私は年甲斐もなくあなたを愛してしまいました。随分と、待たせてしまいましたが……あなたに愛を乞うことを許してくれますか?」
ミーシャの視界がじわりと歪む。頬に熱い滴が伝って始めて涙をこぼしていることに気付いた。
「許すもなにも……私はずっとウェインだけが好きだったの。歳だとか、体裁だとか、そんなものはなしにして、そのままのウェインの気持ちが欲しいわ」
「……私はあなたのそういうところに激しく惹かれるのでしょうね」
力強い目でウェインを見つめるミーシャ。
ウェインは愛する人の頬に伝う涙を拭い、その身体を強く、優しく抱き締めた。
「ミーシャ、愛しています。私の気持ちを受け取ってくれますね?」
「……ええ。嬉しいわ。私もあなたを愛しています」
長年の想いを通わせ、ミーシャの胸は幸せに満ちた。
頬をすり寄せるようにウェインの首に腕を回して甘えてみる。ウェインはミーシャの耳元でフッと吐息を漏らしつつも、ミーシャを受け止めてくれる。そんな些細なことが嬉しくて仕方がない。
「ねえ……ウェインはいつから、私のことを……?」
ミーシャは僅かに身体を離して、ウェインの顔を覗き込む。
「いつから……分かりません。いつから私は自分の気持ちに蓋をして、目を背けてきたのでしょうね。私は長く生きすぎました。ですが、あなたと結ばれることができるのなら……長く生きるのも悪くはない」
低い声で囁き、目を眇めたウェインがふっくらとしたミーシャの唇をなぞる。そして徐に顔を寄せて――
「ちょ、ちょっと待って……っ!」
ミーシャは咄嗟に両手でウェインの口を塞いでしまった。
「――おや、もう我慢しなくていいと言ったのはあなたでしょう?」
けれど、その手をぺろりと舐められて、身をすくめた隙に手首を掴まれて簡単にソファに押し倒されてしまった。
「ひゃ……そ、そうだけど……私、多分嫉妬深くて重い女だと思うわ……それでも、本当にいいの?」
「そんなことですか。それもまた愛おしいと思いますので問題ありませんよ。……あなたこそ、大丈夫ですか? 長年抑えていた欲望を解放すれば、恐らく私は止まらなくなります。まだ若く愛らしいあなたを縛るようなことはしたくないのです」
再びグッと身体を寄せ、吐息が掛かる距離でウェインが囁いた。
ウェインの言う通り、ミーシャが頷けば、彼は止まらなくなるのだろう。
ミーシャはごくりと喉を上下させると、意を決して口を開いた。
「私は、ずうっと昔からウェインが好きなの。ちょっとぐらい縛られたって構わないし、むしろ私に固執するあなたが見たいって思っているわ」
「はあ……後悔しても、もう遅いですからね」
髪をかきあげてミーシャから離れたウェインは、素早く背中と膝裏に手を滑り込ませて軽々とミーシャを持ち上げた。
その向かう先を悟り、ミーシャの心臓は破裂しそうなほど激しく脈打っている。
「覚悟は決めてきたのでしょうね?」
「えっ」
「私は警告しましたから」
優しく下されたベッドの上で見上げるウェインの瞳は、獲物を見据える獣のように獰猛な光を宿している。
このあとすぐ、ミーシャは自らの覚悟が全く足りていなかったことを身をもって知ることになるのだった。
◇◇◇
「はあ、ミーシャは大丈夫だろうか」
同じベッドでスヤスヤと無防備に眠るアリエッタの髪で遊びながら、ルイスは部屋を訪ねて来たウェインとの会話を思い返していた。
『ルイス様、明日一日休暇をいただいてもよろしいでしょうか?』
『うん? ああ、もちろんだ。いつもよくやってくれていて助かっている。たまには肩の力を抜いて休むといい』
『ああ、いえ、私ではなくミーシャに、です』
『は?』
『きっと明日は動けないでしょうから』
『………………加減してやれよ』
『努力いたしますが……保証はいたしかねます』
ニコリと赤い目を眇めたウェインを思い出し、心からミーシャを不憫に思うルイスであった。
案の定、翌日のミーシャはベッドから一歩も動けなかったようで、仕事の合間にウェインが甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
「ほんと、信じられない」「何がおいぼれよお」「元気すぎない?」とぶちぶち不満を垂れつつも、頬を染めて嬉しそうに目を細めるミーシャなのだった。
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