第6話 潜入作戦
「着きました。ここからが本番ですよ」
屋根で頭を低く構えながら、前を見据えてリアラが言った。
長い時間風に曝されて、すっかり冷たくなった四肢で、亀のように首を伸ばすアド。同じ姿勢でいたつもりはなかったが、久々に動かしたときに出る、油を差し忘れたような痛みが関節に走った。
「おー広いなー」
「運ばれるのは、人よりも貨物のほうが多いですからね」
列車が停まったのは、立派な駅のホームだった。
なんとか壁の内側に潜入できたようだ。
ここが人間牧場〝第一ファーム〟。
リアラの話によると、この街の塔にクロノスの姫が囚われている。
通常のホームよりも広いのは、貨物運搬のスペースが必要だかららしい。
「広いってことは、目立ちやすいってことです。怪しまれないように気をつけてください。バレたら侵入作戦は諦めて、また計画を練り直します」
計画をやり直す時間などない。
余命がいつまで持つかわからない以上、一秒ですらアドにとっては貴重だ。
一秒でも早く影の病を治したい。
一秒でも早くクロノスの姫に会いたい。
影の病のことを思い出すと、心臓が押し潰されそうになる。
平静を装っていても、正直なところ、気が気でなかった。
「あの全身鎧は何?」
ホームの奥からぞろぞろと現れた兵士が、停車中の列車に近づき、手際よく貨物の入った木箱を運び始める。
異様なのは、兵士の姿だった。
完全武装である。
全身を鉄色の鎧で覆われており、顔もフェイスヘルムで隠している。分厚い鉄のブーツを踏みしめる度に、カチャリカチャリと硬質な音が鳴った。身長はどの兵士も二メートルを越え、どう見ても屈強な戦士の体つきだった。
「〝影の兵〟です。〝影の国〟の治安部隊」
「やばっ……!」
影の兵の一体がこちらを見ている。
慌てて身を伏せたが、目が合ってしまった。
バレたか……?
減り込んでなくなってしまうくらい、アドが顔面を屋根に押しつける。少しでも身を低く、姿が見えてしまわぬように、自分の体を押し潰していく。
カチャリ、カチャリ、と足音が近づいてくる。
アドたちの車両のすぐそばで足音が止まった。
「…………」
ガタン、と車両が揺れた。
影の兵士がハシゴを登ってきているのだとすぐにわかった。
ジルが身を硬直させている。
最悪の事態に備えるよう、ウィンターに目で合図を送る。
もしここで争いになるようなら、この作戦は失敗だ。
リアラが先ほど言ったように、作戦を練り直す必要がある。
一旦ファームを出るか、それとも強引に潜入するか。
しかしファームを出れば、次いつここまで潜入できるかわからない。だが強引に行ったとして、潜入がバレた状態で事が上手く運ぶとも思えない。
「……!!」
屋根の端を掴んだ。鉄で覆われた指が。
緊張が走り、アドの背筋に汗が垂れる。
次第にフェイスヘルムの頭頂部が、屋根下からぬらりと姿を見せる。
アイガードの瞳がこちらを向く。
「オイ、ソコデ何ヲシテイル」
「…………」
耳のすぐ近くで聞こえた気がした。
ウィンター、最悪の事態だ。殺せ。
「にゃお」
「!?」
影の兵の目と鼻の先に、ジルの目と鼻の先があった。
「オイ、何シテルンダ。サボッテル暇ガアレバ、荷物ヲ運ベ」
影の兵の背後で、別の影の兵の声が聞こえる。
「……スグ行ク」
ぬらりと生えたフェイスヘルムが下がっていく。
耳のすぐ近くで聞こえた気がしたのは、別の兵の声だったようだ。神経が耳に集中していて、ハシゴの兵の声だと錯覚していた。
「…………」
ジルが視界を遮ってくれなければ、今頃どうなっていたことか。
女豹のように構えたウィンターが、いつでも飛び出せる姿勢のまま、力のやり場に困っている。瞬発的に襲いかからなくてよかった。ウィンターならこの場を制圧できるだろうが、制圧した後は潜入作戦が完全に詰んでいた。
アドはどっと力が抜けて、止めていた息を吐き出す。
「厳重だね。ずいぶん多い」
「ここは王都じゃないので、見張りの数は少ないほうです」
これで少ないのか。
「リアラ、乗客がどんどん降りているぞ」
屋根の下を覗き込むジルが、尻尾を高々と揺らし、人の列を目で追っていく。
「急ぎましょう。人の流れに紛れ込むんです」
「あ、ねえ!」
何の躊躇もなく、リアラがハシゴを降り始める。
……肝が据わってる。怖くないのか?
アドは慎重にあたりを見渡し、注意が自分に向いてないことを確認すると、ハシゴを使わずに連結部へと飛び降りる。衝撃を上手く殺したつもりだが、着地音が兵士の耳に届いた気がして心臓が跳ねた。
すでにリアラは車両から降りていた。
早足で追いつき、リアラの横に並ぶ。
今の自分は不自然ではないだろうか。
怪しくはないだろうか。
顔を伏せて歩く。
作業中の影の兵の前を通り過ぎる。
じっと見ている気配があるが、ここで怪しまれてはいけない。胸を張り過ぎず、背中を丸め過ぎず、生理的な人体構造を想像し、自然な歩行を再現する。
何体もの影の兵の視線を感じる。
横からも背後からも、監視の視線が突き刺さる。
金属のブーツが視界の端をよぎった。
二体目の影の兵の前を通り過ぎ、人混みの中に紛れ込むと、幾分か体の力を抜くことができた。これで少しは自分たちの注意が逸れるはずだ。あとはこの流れに乗っていけば、姫君のいる街まで行ける。
「改札の前の、小さな木箱が見えますか?」
「見える」
改札の前にある机の上に、小さな四角形の箱があり、通り過ぎる乗客が中に切符を投げ入れている。
「あの箱に、切符を入れるふりをしてください。それで通れます」
人の列が進み、木箱まで目前となった。
「横に全身鎧がいるけど、バレない?」
木箱の横には、監視役の影の兵が立っていた。
乗客が無賃乗車していないか、じっと目を凝らして、切符を入れる手元を注視している。箱に指だけを入れたところで、あっさりバレるのが目に見えていた。
「そこでジルくんの出番です」
「にゃお」
「何ダ、見エナイ!」
どこからともなく駆けてきたジルが、影の兵のフェイスヘルムに飛び乗った。
「今です!」
「何処カラ入ッテ来タ、コノ猫ハ!」
木箱に手を入れるふりをし、足早に改札を通り抜ける。
どくどくと心臓が早鐘を打っていた。
「アドくん、落ち着いて。速度を変えずに。そう、いい子です」
「オイ待テ」
改札を抜けて五歩進んだところで、別の影の兵から呼び止められる。
もちろんアドは、聞こえないふりをして、強引に突き進む。
「ソコノ、ヒョロヒョロノ、ガキダ。止マレ」
「止まってください」
リアラの指示で、ぴたりと止まる。
「見ナイ服ダ。怪シイ。ドコノファームカラ来タ?」
どうするつもりだ、リアラ。
どうやって切り抜ける。
「腕の影を見せてください」
何か考えがあるのか?
アドは彼女に言われた通り、袖を捲り、腕にぐるぐると巻かれた包帯を解いた。そこから、黒く染まった影の腕が現れる。少し、色が濃くなっている気がする。急がないと、とアドは思う。死が目前まで迫っている。
「成リ損ナイカ……! コノ下等生物ガ……!」
「殴られて」
「え?」
顎が砕けたかと思った。
気がつけば、アドは床に倒れていた。
金属の拳が、左頬に直撃したのだ。
嗅ぎたくもないのに、床の埃っぽいにおいが、鼻孔の奥に侵入してくる。口内に血の味が広がり、唾を吐こうにも、激痛が走って口をすぼめられない。
この野郎……!
左目に、じわりと涙が浮かんだ。視界が歪む。
「影の兵士様、申し訳ありません。こういう事情で、体が見えぬよう隠しておりました。無礼を承知ですが、弟が影になる前に、姫様のご尊顔を一目拝見したく、第一ファームの移送を懇願しました。どうか、ご慈悲を」
こいつは何を言っているんだ?
大げさに平伏するリアラを横目に、アドは言いようのない不安を抱えていた。
「穢ラワシイ……! オマエガ影ニナッタラ、痛メツケテヤル……!」
影の兵が感情を顕わに去っていく。
どうしてそこまで怒り狂っているのかわからなかった。
「痛い思いをさせてごめんなさいでした」
しゃがみ込んだリアラが、両手でアドの頬を包み、殴られた跡を丁寧に確認する。
「なんでボク、殴られたの?」
ぺっ、と赤い唾をようやく吐き出せた。
「アドくんが、下等生物だからです。街に行けばわかります」
「影になるって、どういうこと?」
リアラは目だけで周囲の影の兵の位置を確認する。
「とにかく、ジルくんと合流しましょう。これ以上の長居は危険です」
むしろアドは、リアラを信用するほうが危険だと感じていた。
この女は、何かを隠している。
ウィンター、わかってるな。何かあったら、リアラを殺せ。
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