第24話 名もなき村



「アド坊、あんなところに集落が見えるぜ。小さいが、しっかりした村だ」


 頭蓋骨の言う通り、平野の遠方に、点々と家屋が集まっていた。

 ずいぶんと長い時間座っていたから、尻が痛い。


「ありがとう、ラインハルト。ここでいいよ」


 アドは栗毛の馬から降りて、手のひらで頬の毛をさらさら撫でる。馬体の氷のような冷たさは、毛の上からでもわかった。


 瞬く間に馬の肉体は腐り落ち、獣の骨格だけが四つ脚で立っている。その骨格もやがて、足元で黒く光る魔法陣の中へ沈みこんでいく。


 馬を術式まで還元し終わったアドは、ぷかぷか浮遊する頭蓋骨を見やった。


「ダグラスさん、アンタは情報を集めてくれ。ボクはかよわい子供の振りをして村に保護される。皆が寝静まった夜に、村の東で落ち合おう」

「面白くなってきたな、アド坊。東方の忍びみたいだ」


 この頭蓋骨はまるで観光気分だ。


「ほれ、アド坊。肩の力を抜きな。あそこの木の棒を持ってよたよた歩け。こういうのは遊びだと思うくらいが丁度いい」

「……アンタは慣れすぎでしょ」


 アドは道の脇に生えている木の根元に近づき、半ばから折れている枝を拾う。手にするとしっくりくる太さで、杖代わりに丁度よさそうな長さだった。


「上手い上手い、アド坊。どこかどう見ても貧相なガキだ」


 よたよた歩く練習をしていると、ダグラスが茶々を入れてくる。

 自分は一体何の練習をしているのだろう。


「こんなもんでしょ。もう行くか、村に」

「おうよ」


 木の棒を片手に、村へ続く道をよたよた進む。

 いつどこで見られているかわかったものではないので、この距離からすでに役に入り込んでおく。


「馬車道だな、こりゃ。ここを歩いてたら、そのうち人に出会うぜ」


 クズ野菜の切れ端、風で飛んできたボロ布、雨水の溜まった金タライ。

 確かに、踏み固められた土の道に、人の生活感が散らばっている。


「納屋の外に人影がちらほら見えるな。野菜を洗ってるぞ」


 二つの建物を越えたあたりで、ある一点を、ダグラスが顎で指し示した。

 小さな納屋の外で、しゃがみ込んで野菜を洗う夫婦が、こちらに向かって指を差すのが見えた。


「アド坊、気づいたぞ。劇団アドの始まりだ」


 ほっぽり出した野菜が水しぶきをあげるのも構わず、日に焼けた短髪のおじさんが慌てて駆け寄ってくる。


「うるさいな。アンタはさっさと仕事しろよ」

「へいへい」


 アドがよたよた歩きながら冷たい視線を向けると、ダグラスは愉快そうに村の外れに飛んでいく。

 同時に、土を蹴り進む足音がすぐそばまで迫ってきた。


「おい、坊や! どこから来たんだ! ボロボロじゃないか!」

「たすけ……」


 精根尽き果てて、アドが肩から倒れる。

 もう何日も水を飲んでません、という雰囲気を表現したつもりだ。


「名演だ、アド! カカカカ!」

「大丈夫か、坊や!!」


 赤の他人にそれほど心配そうな顔をするなんて、よほど人のいいおじさんなんだろうなとアドは思った。騙すようなことをして、ごめんなさい。



     *



「気がついたかい?」


 おじさんの心配そうな声で目を覚めす。

 もともと目は覚めていたが。


「ここは?」


 アドは首だけ振って、周囲を見渡した。


「私のお家だよ。待ってて、あったかいスープを持ってくるから」


 おじさんはそう言って、部屋の扉を出ていった。

 みすぼらしい家だな、と思った。

 色見が一切ない。


 床や壁、机や椅子、ベッドや棚、どれを取ってもすべて木でできている。

 廃材のような安板だ。

 彩りのある絨毯や絵画などは飾る余裕がないのだろうし、飾る必要もないのだろう。生活できればいい、そういう考えが透けて見える部屋だった。


「ほら、座れるかい。お飲み」


 おじさんに背中を支えられ、アドはベッドの端に腰かける。

 受け取った木の器から、香ばしい湯気が立ち昇り、アドの顔をむわっと包む。


「おいしい」


 塩と香辛料を入れただけの玉ねぎと人参のスープだった。

 素朴な味だが、素材が活かされ、何より優しかった。

 王都の屋敷でよく食べていた、ブイヨンやコンソメをベースとしたスープは、確かに舌鼓を打つほどの美味しさだったが、野菜自体の甘みが溶け出したこの素朴なスープもまた、今のアドには骨身に沁みる美味しさだった。

 数年ぶりに触れた気がしたのだ、人の優しさに。


「きみはどこから来たんだい?」

「……わからない」


 と答えておく。

 変に作り込むと、矛盾が生まれそうだった。


「そうか。お腹の痣はどこで?」


 お腹の痣?

 おじさんが何を言っているのかまったくわからなかった。

 アドは服をぺろりとめくって、お腹とおへそを顕わにした。

 なんだ、これ。


「いま気づいた」


 本当にいま気づいた。

 右腹からへそにかけて、影のような黒い痣が滲み上がっていた。


「ひょっとするとキミは、誰かに虐待されてたんじゃないか? 痣が、その……ちょうど拳大だからさ。いや、いいんだ、言いたくないなら」


 本当に身に覚えがない。

 内出血とも違う。

 しかし、じくじくと鈍痛があるのは確かだ。


「ここは安全よ」


 今度は女性の声がした。

 化粧っ気のないおばさんが、部屋の中に入ってくる。

 手に持っているのは、濡れた布だった。

 先ほどまでアドの額の乗っていた布と取り替えるのだろう。


「ああ。しがない農村だが、魔物もいない。安全だ」

「ここは村なの?」


 アドが尋ねると、おじさんがうなずく。


「新しくできたばかりでね、名前はまだない。瘴気から逃げてきた人たちが集まって自然とできたんだ。優しい人ばかりだよ、みんな」

「リューンガルドから逃げてきた人はいるの?」

「いるけど、きみはリューンガルドの人間なのかい?」

「うん」

「今までどうやって生きてきたんだ?」

「盗賊の雑用」


 今までのことを聞かれたら、盗賊の雑用をしていたと答えろ、と言ったのはダグラスだ。


「そうか……。懸命に生きたんだね……」


 そう答えれば、大人は身を引いて、そっとしてくれるだろうと。

 それからアドは、野菜のスープを飲み干して、


「リューンガルドの人に会ってみたい」


 この村に来た真の目的を伝えた。

 リューンガルドの人なら、お母様の最期を知っているかも知れない。



     *



 村がすっかり寝静まって、草間から虫の鳴き声が盛んになる。

 閉じていた目をぱちりと開けたアドは、そろそろ頃合いか、とベッドから起き上がった。足音を立てないようにつま先から歩き、簡素な部屋の扉をゆっくりと開ける。身を滑らせて廊下に出て、人の気配がないか神経を研ぎ澄ます。


 向かいの部屋から、大きないびきが聞こえる。

 二人とも眠っているようだ。


 目が慣れたとは言っても暗いものは暗いが、日中の間に間取りは把握していたので、居間から玄関までは物音立てることなく通り過ぎることができた。


「おう、アド坊。抜け出してきたか」


 家を抜け出し、村の東にある柏の木の下で、ダグラスと落ち合った。


「そっちはどう?」

「村一番の邸宅を見つけたぜ。家主は、リューンガルドの山賊だ。まさかこんなところで領主様をやってるとはな。うまく流れに乗ったもんだ」


 おじさんも、村長がリューンガルド出身だと言っていた。

 だが、山賊ということまでは知らなかったようだ。


「山賊……」


 山賊にいい思い出はない。

 言いようのないざわつきが心を掻きむしった。

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