第25話 生きる意味
村のすこし小高い丘の上に、王都でもお目にかからないような大豪邸があった。
三階建ての館だ。
村の民家がみすぼらしいものばかりだから、余計に浮いて見える。
「笑いが止まらねえ。金が金を生むとはこのことだな」
明かりのついていた一階の部屋を、窓からこっそり覗き込むと、酒盛りをしている七、八人の男の姿が見えた。脂でてかる顔が赤く上気し、声が大きくなっていることから、酔っ払ってちょうど気持ちよくなっているのだろう。
「毎日こうやって、朝まで酒を呑んで暮らしてるらしい」
ダグラスがこっそり耳打ちをしてくる。
「昼間も村人が大量の酒と肉を献上しに行ってたぜ」
ふーん、とアドは目を細める。
邸宅の中では、新たになみなみと酒の注がれたコップを、皆で打ち鳴らしているところだった。山賊上がりだからか、肩周りの筋肉が、かなり発達していた。
「まさかこんなに贅沢ができるとは思わなかったですよ、親分」
「おいやめろ。ここでは領主様だ」
アドの背筋に、寒気が走った。
あの頬の傷。
「ダグラスさん、当たりだ。アイツがお母様を殺した犯人だ」
「本当かよ!?」
間違いない。
『こりゃァいい! 豪華な金細工だ! 全部もらってく!』
金目のものを頭上に掲げて卑しく笑ったときの、あの頬の傷の盛り上がりをアドははっきりと覚えている。古時計の中で見た光景は、本当に心底嫌になるのだが、どれだけ時間が経っても鮮明に思い出せてしまう。
「民衆の恐怖心を煽ってお母様を処刑させ、自分たちは屋敷の金目のものを盗んでいった。ボクはその一部始終を見た」
「見たって、おい……平然と言うな、アド坊……」
ダグラスに頬肉があれば、引きつっていたことだろう。
だが奴らなら、お母様の死体のことをよく知っているかもしれない。
「覚醒めろ、アンデッド。夜の時間だ」
次の瞬間、百を越える骸骨たちが山賊の邸宅を包囲していた。
「アド坊、何だこの数……!」
愕然とするダグラスをよそに、アドは親愛なるアンデッドに指示を出す。
一階、二階、三階――
すべての窓という窓が同時に砕け散った。
「お、親分、何ですかこれ! 魔物が!」
窓を叩き割って入ってくる大量の骸骨に、酒盛りをしていた山賊たちが腰砕けになる。上気していた赤ら顔も、今では真っ青に血の気が引いていた。
「ただのスケルトンだ、恐れるな……!」
「でも数が……!」
「な、なんでだ! 二階からも足音が!」
それはそうだ。
すべての入口から乗り込んでいるのだから。
踵骨の床を打ち鳴らす音が、豪雨に打たれる屋根よりも激しく降り注ぐ。
一人が扉へ逃げようとするが、開ける瞬間に扉が砕け散り、木屑もろとも床へ弾き飛ばされる。二階と三階の骸骨の波がようやく流れ込んできた。
「逃げ場がねェよ!!」
「おいオメェら、やっちまえ!!」
「ダメです、親分!」
「倒しても倒しても起き上がってくる!」
「うわああああ!」
次々と男たちの腹に椅子の脚や箒の柄が突き立てられ、スケルトンの骨色が赤く染め上げられていく。
七つの死体の中で、腰を抜かしている男が一人、頬に傷のある髭面だ。
「お邪魔します」
アドがダグラスとともに、窓枠を越えて部屋に入る。靴の底でじゃりっとガラスの破片を感じる。
「なんだ、このガキ! お前の仕業か!?」
初めて人を殺したのに、思ったよりも罪悪感が小さかった。
魔物を殺したときと同じだ。
もう自分の中で、人も魔もどうでもよくなっていることに気がついて、乾いた笑いが漏れそうになる。むしろ今では、あの七つの死体は骨格が発達しているから、駒として使えそうだなという思考が浮かんでさえいる。
人間を骨格構造でしか見れないなんて……。
もうすでに人として終わっているのかもしれない。
アドの冷めた顔を、月明かりが照らす。
「この顔に見覚えはある?」
「ねェよ!!」
「そっか。あのときは隠れてたからね」
「俺たちが何したっていうんだ!!」
何をしたかだって?
アドは中指と薬指で目蓋を押し開いて、濁り腐った虚ろな眼を向ける。
「その絵画も、その絨毯も、その椅子も、全部ボクの家の物だ」
「ボクの家……?」
「あとね、大事に飾ってるそのサンゴの欠片は、正真正銘のガラクタだ。だけど、お母様の宝物だった。その瓶の王冠も、鉄の髪留めも、全部宝物なんだ」
「まさかお前……あの聖女の……!!」
気づくのが遅いよ。
「お母様の死体はどこにある? あのあと誰が埋葬した?」
「埋葬? そんなの知らねえよ!」
顔を引きつらせて、髭面が高く叫んだ。
「あれは、街の奴らが勝手にやったんだ。俺はあんな指示はしてねェ……」
「指示?」
「民衆が聖女を魔女だ何だと言って、えげつねえ刑を執り行ったんだ」
「それが、火炙り?」
「ああ。
「も……?」
アドの思考が停止した。
火炙り以外の他に、一体何をすることがあるのだろうか。
それ以上、お母様を痛めつける必要が本当にあったのか?
「最初は八つ裂きの刑だ。聖女様の手足は水牛に引っ張られて千切れ飛んだ。くくっ、およそ人とは思えない叫び声だった。そのあと腹に杭を打ち込んで磔にし、火炙りの刑、そして焼けた肉を犬に――」
邸宅の壁が、消し飛んだ。跡形もなく。
「そこまでだ、人間」
「…………!!」
髭面の目が、破れんばかりに見開かれる。
「蜘蛛の……化物!!」
月明かりに照らされるその女性は、脚が八本もあった。
「それ以上、口を開くな」
半壊した邸宅を、八本脚で突き進む。
「これ以上この子を苦しめないで……!!」
髭面が何か叫ぼうとする前に、粘ついた蜘蛛の糸を射出し、髭面の首から上にぶち当てた。髭面の顔面は部屋の壁にべちゃっと磔にされ、両手で白い糸を剥がそうと爪を立てるが、一向に剥がれず溺れたようにじたばたもがく。
「メリュディナ……」
アドはその蜘蛛の名を呼ぶ。
「知ってたんだね……全部……」
脚が震えて力が入らなかった。
膝から崩れ落ちて、湿った吐息を漏らす。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、もう何も考えられない。
「ごめんなさい、アド」
血のにおいが充満する邸宅で、メリュディナの声が降ってくる。
「あなただけには……知ってほしくなかった……」
彼女の声が、か細く、震えた。
「お母様の遺骨は……私が回収してあります。でもあなたは人体に詳しいから、骨を見ればお母様の死に様がありありと目に浮かんでしまう。だから私は捜索中だって……すぐバレる嘘なのに……事実を伝えられなかった……」
沈んだ声が、闇夜に溶ける。
「ボクは……敵は魔族なんだとずっと思ってた」
大人がみんなそう言っていたから。
「でも、人間も敵だった」
人間は悪魔よりも残酷だと思った。
「もうわけがわからない」
脳みそがぐちゃぐちゃに撹拌される。
「人と魔の架け橋になれって、何だよ、お母様」
月の光がおぼろに差し込んで、うずくまるアドの影を、ぼんやりと浮かび上がらせる。
「お母様の夢も、メリュディナの夢も、途方もないじゃないか……」
震える吐息で、額を床に擦りつける。
「どっちかでいいじゃん」
それでいいと思った。
「ねえ、メリュディナ。魔族か人間、どっちかでいいじゃん」
人間が糞であるなら、
「今から街に出てさ、人間をぶっ殺しちゃえばいいじゃん!!」
強く、抱き締められた。息が詰まるほどに。
「誰も恨まないで、アド。お願いです」
メリュディナの悲しげな声が、耳のすぐそばで聞こえる。
「そんなの、どうしろっていうんだ」
――こんなの、どうってことないですよ。
――どうってことないので、復讐なんて詰まらないことに人生を捧げるんじゃありません。
「どうしろっていうんだよ!!」
この世界をめちゃくちゃに壊してやりたいのに、お母様はそれでも自分を抑えて生きろというのか。この理不尽な世界を、それでも愛せというのか。
「クソクソクソクソォォォォォ!!」
ボクは何のために生きればいいんだ?
「アド、あなたの願いは何ですか?」
「ああ――」
アド。
アド、おいで。
私の可愛い子。
遠い夏の日の、お母様の優しい声が聞こえる。
「もう一度、おかあさまに会いたい」
天を仰いだアドの目から、ぼろぼろと涙の玉が溢れ出る。
「会って、ありがとうって伝えたいんだ」
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