第26話 忍び寄る不穏
「メリュディナいんちょー」
「なんですか?」
「最近、アドがやさしくなったー」
「それはいいことですね」
変わらずアドは黙々と死霊術の研鑽を積む。
場所はいつもの墓地だ。
幸いなことに、ここには死霊術を咎める人もいないし、材料も十分なほど地中に眠っている。死霊術を忌み嫌う魔術ギルドの連中も、この瘴気の吹き荒ぶなか、忘れ去られた樹海の墓場まではわざわざ来ない。
お腹の黒い痣は、どういうわけか徐々に範囲を拡大していった。
今ではもう右の肋骨あたりにまで至っている。
メリュディナに診てもらったが原因がわからず、様子を見てみましょう、ということで経過観察となった。痛みは我慢できないほどでもないので、アドも別段気にもせず、悪化するようなことがあればまた考えようと思っていた。
お母様の遺骨はメリュディナが丁重に保管してくれていた。
残念ながら霊魂は、どこにも存在を感じられないけれど、遺骨が手元にあるだけでアドの心は安らいだ。お母様を生き返らせる理由も明確になった。アドはただ会いたいのではなく、お母様にありがとうを伝えたいのだ。
ありがとうを伝えるために、いま必死に死霊術を研究している。
北西にある名もなき村では、領主様の豪邸を魔物が襲ったと、端から端まで噂が持ちきりだった。
村一番の邸宅は、天井が崩れ、壁が壊れ、雨風に曝されている。派手に荒らされた形跡はあるが、金目のものには一切手がつけられていない。これらの理由から、強盗の類ではなく、魔物の仕業という説に、信憑性があるようだ。
邸宅の住人は、忽然と姿を消した。
その理由は、アドだけが知っている。
頬に傷のある髭面の男は、逃げても逃げても、七つの死体に追いかけ回されるのだ。腹からどくどくと腐った血を流し、「親分もこっちにおいでよ」と這い寄ってくる死体に、夜な夜な生きた心地がしないだろう。悪夢であればまだましなのだが、彼の生きる世界は紛れもなく現実なのだった。
今や髭面の男は頬がやつれ、目に生気がなく、睡眠不足で血の気もない。
何度か崖の上から自殺しようとしていたが、自死よりも怖いことがあってできないでいるようだ。それは、「おめえらみたいにはならねェぞ!」と怒鳴ったことからもわかる。
死んだらアンデッドにされると思っているのだ。
遠くにいる者をアンデッドにできるほど、死霊術は優れたものではないのだが、アドがそれを教えることは決してない。なので、安心して逃げていい。
お母様に「復讐するな」と言われ、メリュディナに「恨むな」と言われたけれど、やはり少しくらいは痛い目に遭ってもらいたいものだ。
これからの人生、惨めに逃げて後悔してほしい。
そして、償ってほしい。
自分が犯した罪を。
生きるのが辛くて死にたいのに、死んだ後が怖くて死ねない。
それがアンタの罪滅ぼしだ。
そう簡単に楽になるな。
五十年生き延びたら、赦してあげる。
*
村の邸宅が半壊した月夜の晩のこと。
空をつんざくようなけたたましい音に、とある農家の夫婦が目を覚ました。
そしてすぐに、保護した迷い子が見当たらないことに気づく。
なんだか嫌な予感がして、夫婦が村中を探し回ると、邸宅の瓦礫に蜘蛛の化物を見た。
嫌な予感が的中し、愕然とした。
蜘蛛の化物が村を去っていったのだ。迷い子を攫って。
*
雪の降りしきる寒い冬の日。
ボードに貼られた依頼書が異彩を放つ。
百年に一度しかお目にかかれないダイヤモンドの刻印。
「アラクネは見つかったか!」
「まだです!」
「急げ! また村が襲われるぞ!」
冒険者ギルド、S級クエスト。
――〝アラクネ討伐〟。
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