第27話 邂逅
孤児院の破壊される音が樹海に轟く。
突然の襲撃だった。
「みんな、隠れて!」
メリュディナが叫んで、子供たちを一番奥の院長室に押し込んでいく。
孤児院の扉が倒される地響きを肌で感じながら、アドも両腕を広げて、怯える子供たちを部屋の隅へ誘導した。二十人もの子供たちを押し込めるには狭い部屋だが、おかげで全員の顔を確認することができた。
「いたぞ! 蜘蛛の化物!」
その声に、メリュディナが焦ったように振り返る。
メリュディナの肩越しに、全身を赤い鎧で防備した、大盾を構える大男の姿が見えた。あの赤い鎧は、砂漠に棲むレッドロックリザードという魔物の甲殻を素材として造られたものだ。
赤鎧の背後には、己の身長ほどもある大剣を担いだ屈強な剣士。
さらにその背後には、一見華奢に見える、二十代半ばの女の姿があった。その手に握られてあるのは、宝珠の収められた合金製の杖だ。
その他にも続々と、各々武器を手にした者が現れる。
彼らはメリュディナを「蜘蛛の化物」と呼び、「いたぞ!」と叫んだ。
そこから推測するに、もはや考えるまでもないが、この軍団はメリュディナを討伐するために結成された、冒険者ギルドのパーティーだろう。
一体、何人いるのか。大規模にもほどがある。
「よかった。強盗じゃなかった」
そう言ってメリュディナが安堵の息を漏らす。
「アド、この子たちをお願いします」
メリュディナが背を向けたまま言った。
「どうするつもり?」
「話し合います」
芯のこもった声だった。
「話せばわかってくれるはずです」
メリュディナは子供たちを庇い、討伐隊のもとへ大きく前進する。
「だって魔も人も、心があるではありませんか」
肩越しに振り返って言う彼女の瞳は、火が宿るかと思うほど力強かった。
「おい! 人だ! 人の子がいるぞ!」
「お願いです! 話を聞いてください!」
メリュディナは赤鎧の大男の前で、蜘蛛の脚を折って両手を上げた。
彼女に戦意がないことは明らかだった。
「蜘蛛の悪魔め……! 子供を攫ってどうする気だ……!」
「ちが……違います……!」
「魔族の甘言に惑わされるな! 殺せ!」
「ぐふっ……!」
メリュディナの腹部に、剣と槍が突き立てられた。
アドは足が床に縫いつけられたかのように、その場から一歩も動くことができなかった。
ずっと脳裏にこびりついて離れないのは、いま子供たちはどんな顔をしているのだろう、という疑問だった。でも怖くて、振り返ることができなかった。
こんな光景、絶対に見せたくなかった。
だってみんな、メリュディナのことが大好きだったから。
「お願いです……」
口から血反吐を吹き、それでもメリュディナは懇願する。
「まだ生きてやがる……!」
「話を……! 聞いて……!」
突き立った剣と槍が、さらに深々と押し込められた。
メリュディナの背中から、赤く濡れた刃先が飛び出してくる。
「メリュディナいんちょー!」
「やめてー!」
子供たちがメリュディナの前に立ち、庇うように小さな両腕を広げる。
「なっ……! お前たち、何をしてる……!」
驚いているのは、討伐隊のほうだった。
「子供が蜘蛛を……守ってる……?」
「魔と人は……心が通い合わせられる……! これが証拠です……!」
メリュディナが目に希望の炎を宿して言った。切実だった。
「洗脳されてるんだ……」
「むごい、子供の心を弄ぶなんて……!」
「ど、どうしますか」
残りの子供たちを、アドは必死に、全力で、堰き止める。
だが何人かはするするとアドの腕をすり抜けて、メリュディナを守ろうと自ら壁となりにゆく。
「卑劣……。俺たちに人の子を殺せというのか」
「俺にも娘がいるんだぞ……!」
「躊躇するな。悪魔の子だ。悪魔の子なんだ!」
「ぶふっ……」
小さな女の子のお腹にも、剣先がずぷりと入り込んだ。
つぶらな瞳が、なんで? と見上げている。
「この子たちは関係ない! 殺すなら私だけを……!」
「すまない! すまない……!」
長槍を掴んだ中年の戦士が、泣きながら何度も謝り、子供たちの腹部を突き刺していく。
「やめろッ!!! この子たちは!!! 関係ないッ!!!」
「いたいよ……めりゅでぃな……いんちょ……」
必死に懇願するメリュディナの目の前で、小さな女の子が涙を流しながら力なく手を伸ばす。
「そんな顔しないでよ!! ちゃんと殺せないでしょ!!」
「惑わされるな!! 悪魔の子なんだ!!」
「いん……ちょ……」
「話し合いにすら……!! ならないッ!!」
ぎり、とメリュディナの歯噛みする音が、ここまで聞こえた。
魔と人の心の隔たりは、対話することも困難なほどなのか、と半ば悲しみ、半ば悔しむ、そんな痛々しい表情が獰猛に滲み出ていた。
「私が、守る」
「ぐあっ!」
メリュディナは、槍の戦士を叩き潰した。泣きじゃくっていた。
「どこにそんな力が……!!」
アドはもう見ていられなくなり、奥歯を噛みしめ目を閉じた。
メリュディナは今どんな思いで闘っているのか。
どんな思いで、そこに立っているのか。
それを思うと、胸が張り裂けそうだった。
アドの本能は、あの人間どもをすぐ殺せと言っていたのに。
魔と人の心の繋がりを信じ、話せばわかり合えると言うメリュディナを、行かせてしまった。
アドも、メリュディナの思想は美しいと思ったから。
お母様と同じ思想を持つ魔族に、心から報われてほしいと思ったから。
だからアドは余計なことをしなかった。
アンデッドを呼び醒まして、あの人間どもを皆殺しにすれば、今までメリュディナが築き上げたものが崩壊してしまうから。
だから全力で自分を押し殺して、メリュディナの思いを尊重した。
その結果が、これだ。
一体、どうすればよかったのか。
何が正解で、何が間違いなのか。
わからないよ、おかあさま。
おかあさまの目に、この世界はどう映ってたの……?
『人の子よ、覚醒のときだ』
割れるほどの頭痛が走ったかと思うと、アドの頭の中に、芯から震える邪悪な声が響き渡った。
「な、なんだ? 頭の中に声が!」
討伐隊の人間も同様のようだ。頭を抱え、混乱している。
『子供の心を弄ぶというのは、こういうことをいうのだ』
その言葉を最後に、子供たちの様子が変わった。
「や……やだ……やだよ……体が……勝手に……」
子供は涙の溢れる目で、イヤイヤと首を振る。
その手には、万年筆が握られてある。
子供の力とは思えぬほどの力で、アドが突き飛ばされ尻をつく。受け身を取ることなく子供たちに手を伸ばした。
「待て!」
届かなかった。
「ああああああ!!」
すべての子供たちが一斉に雪崩れ込み、泣き叫びながらメリュディナの体に文房具を突き立てた。それらの文房具はどういうわけか、頑丈であるはずの魔族の皮膚を易々と貫いていた。
「私は、お役に立てたのでしょうか……?」
メリュディナが血を流し、震える声で天を仰ぐ。
『大義であった。お前に最大の賛辞を』
「そう、ですか……。でも……この結末は……あまりにも……」
『すまない』
「いえ……いいのです……。夢を……ありがとうございました」
「いんちょう!! 嫌だ!! 逃げてぇぇ!!」
泣き叫ぶ子供の万年筆が、メリュディナの側頭部に突き刺さった。
それを最後に、メリュディナはぴくりとも動かなくなった。
「何が……?」
討伐隊はこの異常な事態に、無意識のうちに後ずさっている。
「さっき頭の中に声が……」
「俺にも聞こえた」
「ぐはっ……!」
討伐隊の赤鎧の男が、血反吐を吐いて地に倒れた。
「パパ、殺っちゃった♪」
場違いなほど陽気で明るい声。
蛇の目を持つ悪魔の少女が、赤鎧の胸板にしゃがみ込み、頬杖を突いて盾の死体を覗き込む。悪魔の少女の背中には、禍々しい悪魔の翼が広がっていた。
「があっ……!」
合金製の杖を握る魔術師が、腹からぼとりと臓腑をこぼす。
「父さん。人は、殺していいんだよね?」
また別の悪魔の子だった。
魔術師の腹から突き出た腕を引き抜いて、手の中にある赤い肝臓をぐちゅぐちゅ握って遊ぶそいつは、もはや人とはかけ離れた獣のような見た目をしていた。黒い獣毛に体躯が覆われ、左右に四つずつ、菱形の赤い瞳が光っている。
さらにぞろぞろと悪魔の子が姿を現し、討伐隊をおもちゃか何かのように捻り潰していく。絶望にまみれた悲鳴が樹海に響き渡るが、それが樹海の外に漏れることはない。
すべてのおもちゃを壊してしまった悪魔の子らは、新しい遊び道具を求めて孤児のほうに視線を向ける。
「子供もいるよ?」
「お前たちと同じ魔王候補だ」
その声に、空気が冷下に落ちた。
「エトエラ……!!」
その邪悪な存在を、アドは睨みつける。
「お父様、人間だよ?」
悪魔の子が無邪気に尋ねる。
「なんでこんな奴ら育てたの」
「人間なんて、役立たずだよ」
他の悪魔の子も同調する。
「エトエラ、お前、何がしたいんだ」
アドは邪悪な存在に鼻皺を寄せる。
「何あの子。パパにそんな口利いて……生意気」
悪魔の少女が、死体の胸板に立ち上がる。
「メリュディナを殺して何がしたいんだよ」
「感情を揺さぶったのだ、お前たちの」
「は?」
抑えきれなかった。
アドの全身から、魔力が噴出する。
部屋中の窓ガラスが割れた。
雪の混じった外気が流れ込んでくる。
なおも荒れ狂う魔力の渦。
机のランプが倒れ、本が舞い飛び、人の子が軒並み泡を吹いて倒れていく。
「うわっ、何この人間! すごいすごい!」
小さな女の子が死体の上で飛び跳ねる。
「お前たち、人と魔の違いがわかるか?」
「いいえわかりません! 教えてください父上!」
純朴そうな男の子が、黄金の瞳を輝かせて聞いた。
その側頭部には、ねじり巻かれた山羊の角が生え、額の中央には、五芒星の刻印を浮かばせている。
「人は一瞬で潜在能力を発揮できる。その鍵は、感情だ」
「なるほど! それで育ての親を殺したのですね!」
さすが父上だ、と言わんばかりにうなずく。
「そしてお前たち魔族は、負の感情を糧に潜在能力を発揮する」
「ほんとうだ! 瘴気が溢れてくる!」
黒山羊の男の子が、自分の手を見下ろし興奮する。
手のひらから、闇の粒子が立ち昇っていた。
「優秀な魔族は、瘴気を蓄えることもできる。やってみなさい」
「できた! できたよ、父上! 制御できる!」
闇の粒子が、逆流するみたいに手のひらに吸い込まれていった。
「父さん、わかったよ。人間は感情の揺れで能力を覚醒し、僕たちは人の負の感情で能力を覚醒する。だからメリュディナを殺して、永遠の罪を抱かせた。そうでしょ?」
「そうだ」
悪魔の問いに、邪悪な存在は肯定する。
「そんなことのために、メリュディナを殺させたのか、この子たちに」
「そうだ」
アドの問いにも、邪悪な存在は肯定した。
「ちょっと、お父様。この人間、おかしいよ。この魔力……!」
一体の悪魔がアドから距離を取る。
全身が沸騰して、燃え滾りそうだ。
大好きな人を自らの手で殺してしまった罪悪感。
それは一体、どれほどのものなのだろうか。
この子たちに一体何の罪があるというのか。
魔族に国を滅ぼされ、人間の奴隷になった、無力でか弱い孤児たち。
これ以上、何を苦しむ必要があるのか。
……だから、なのか?
魔族はこの負の感情がほしかったのか?
だとしたらもう、この世界は滅んだほうがいい。
濁り腐った深淵の眼で、アドは悪魔のガキどもを睨みつけた。
「くっ……息が……!」
悪魔のガキどもが、喉を押さえて苦しみ出す。
返せよ。
この子たちの感情、返せ。お前たちが貪っていいものじゃない。
「余は現世に飽きた。余を越える存在に会いたい。神の怒りを買おうと大地を穢したが、姿を一向に現さない。神は確実に存在しているのに、干渉してこないのだ。ゆえに、余を越える存在を育てることにした。それがお前だ、アド」
「あっそう」
「余を恨め。お前は素晴らしい」
「死ねよ」
討伐隊の死体が全員、物を言わずむくりと立ち上がる。
「人間の死体が、起き上がった……!」
「お前たち、これが聖なるアンデッドだ。美しいだろう?」
「父上、なんでこいつばっかり褒めるのですか」
黒山羊の悪魔が、不服そうに見上げた。
「精進しろ、九番。余はお前の知恵を買っている」
「知恵……ではこの人間に力で劣るということですか?」
「そうだ。お前は非力だ。お前がそれを十分知っている」
「そんなことありません」
顔を歪めた黒山羊の悪魔が、憎々しげに睨んできた。
「人間なんかに、人間なんかに負けるはずがない!」
討伐隊の手足を引き千切りながら、黒山羊の悪魔がアドに迫ってくる。
冷ややかな眼を向けるアドの視界で、千切れた人間の手が黒山羊の悪魔に殺到した。悪魔の四肢に、埋め尽くすほどの人の手が掴みかかっていく。
「何故だ! 何故だ何故だ!」
腕の中に埋もれたように、黒山羊の悪魔は身じろぎすらできない。
「たかが人間の死体のくせに!!」
「それは悪手だ、九番。お前ではまだ勝てない」
臓腑を垂れ下げる女の魔術師が、にやあっと嗤った。
黒山羊の右眼に、宝珠の嵌め込まれた杖の先が突き刺さる。
「ああああ! 目があああ!」
緑の血を迸らせながら、黒山羊の悪魔が絶叫する。
「その子は聖女の子だ。聖女が最も得意とするものは、浄化でも治癒でもなく、支援。聖女の支援がなければ、歴代の魔王は倒れなかった」
邪悪な存在が言うように、アドと死体は魔力の糸で繋がっている。
お母様のものとはまったく違う、禍々しく黒い魔力だが、本質的には聖なる力には変わりない。その力のおかげで、人の死体は人の限界を越えていた。
「子供の死体だろうと、聖なる力で、今やお前たちに匹敵する」
こんなことのために、お母様の力を使いたくはなかった。
「お前たち、魔力の流れが見えるな」
がくがくと震え、膝をつく悪魔たちが、床から見上げてくる。
「あれほどの魔力で自身を強化すれば、お前たちに敵うか?」
「…………」
誰も、何も声を発しない。目を見開いて、呼吸を忘れる。
「さて、アド。約束を果たそう。死者蘇生の理論だ」
邪悪な存在は、喜ぶようにそう言った。
「
「…………!」
「余を殺せ。そして、骸にしろ。さすれば願いは叶う」
樹海の孤児院に、邪悪な存在の禍々しい魔圧がのしかかる。
「余はこの時を待っていた」
そして邪悪な存在が、仰々しく腕を広げた。
「力の前に人も魔もない。この世は平等よ。人と魔の共存は、力の前によってのみ叶えられる。お前たち、争え。余を越えろ。お前たちの邂逅を歓迎する」
吐息が白く塗り潰される、寒い寒い冬の日だった。
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