第31話 魔王の腹心
「まずい。まずいまずいまずい……!!」
魔族から泣き声にも似た悲鳴があがる。
「影が……! 制圧される……!!」
影の被害は甚大。
「この……骸骨どもにッ!!」
一方で。
こちらの被害は、ゼロ。
「何か……! 何か手立ては……!」
もう遅い。制圧は完了している。
すべてはあのとき、この国は終わったのだ。
ダグラスが地下水路を見つけたときに――。
アドは決戦の場が王都になると最初から踏んでいた。
アルティアを秘密裏に奪い去ったところで、真の意味でリアラの目的が達成したとは言い難かった。常に影の魔王の追手に怯えて生きていかねばならないからだ。
真に彼女たちが願っていることは、何の憂いもない自由だ。
――リアラは悪くないもの。これはね、仕方のないことなの。
――アルティア様だって、なにも悪くないじゃないですかぁ……!!
であれば、その根本の原因である影の魔王を潰す、それしかない。
したがってアドは、初期段階から、王都で闘う準備を進めた。
最初の悩みは、ファームに大量搬入した魔晄結晶を、どうやって王都へ持ち運ぶかだった。
だからサマーの力を借り、魔族の商人を利用した。
魔族の商人であれば、王都へ商品を搬送することなど容易いからだ。
だが、魔晄結晶をどこで手に入れたか、怪しまれるのは避けたかった。そこで魔族の商人には、目先の利益を求める単純馬鹿を選んだ。念には念を入れて、サマーの魅了の力を使って疑念を持つ隙を与えなかった。
惚れた女に、男は盲目になる。
さらに怪しまれないために、ただ単に商談を持ちかけるのではなく、切符を手に入れてくれたお礼として魔晄結晶を渡した。
魔族の商人は、サマーの気遣いが死ぬほど嬉しかっただろう。
もし誤って商談を持ちかけいれば、魔族は商人の目でサマーを視ることになり、自分の利益は何か、サマーの利益は何か、損得勘定で物事を判断し、サマーの真意を想像する余地を与えてしまう。
馬鹿だろうが何だろうが、商人は腐っても商人。
自分の利益を最大化することに命を懸ける生き物だ。
お母様を死なせ、メリュディナを死なせ、失敗の多い人生だったアドは、何事も慎重になるよう自分に言い聞かせた。油断すればこれまでと同じように、リアラとアルティアを死なせてしまう。
そうして布石に布石を重ね、魔晄結晶を王都へ搬送する準備が整った。
あとは、王都に運ばれた魔晄結晶を必要なときに奪い取るだけだ。
メニエルは露店商なのでどこかしらの広場で露店を開くか、商業ギルドのような大手の組合に売り捌くかするだろうと推測していた。いずれのパターンにせよ、奪い取る算段は思いついていた。
そしてメニエルは、最高の仕事をしてくれた。
まさか処刑場で、露店を開いてくれるとは!
「スカー様!」
大衆の安堵の声とともに、何十体もの骸骨が宙を舞った。
凄まじい魔圧が広場を押し潰し、アドの脊髄にぞくぞくと痺れが走った。
「……思ったより早かったね」
アドが腐りきった眼で嗤う。
そろそろ来ると思ったよ。
「やれやれ、骸骨が花火のように打ち上がっておるわ、くはは」
ジルが余裕綽々に言ったかと思うと、今度はアドの後ろにそっと隠れた。
相手が無双していて、びびっているらしい。
アドはすうっと目を細める。
湖の水面が弾けるように、至るところで骸骨が弾け飛ぶ。
その中心にいるのは、鋭利な影の魔物だった。
特徴的なのはその手足で、剣のように鋭く尖っている。その腕をひとたび突き出せば、金属製の丸盾ごと、スケルトンの骨が易々と貫かれた。
慌てて前線に送られたということは――
「魔王の腹心といったところか」
霞がかった影の魔物が、瞳を赤く光らせる。
磔の壇上と広場の中央、その彼我の距離で。
目が、合った。
アドの濁り腐った眼に、赤く光る瞳が照準を合わせる。
鋭利な脚に力を込めると、石畳にぴきぴきと亀裂が入る。
次の瞬間、影の魔物が弾丸となった。
赤い残光を空間に置き去りにし、軌道上にある骸骨の群れをすべて穿ち、アドとの距離を一気にゼロにする。
着弾。
凄まじい衝撃波の中で、アドは微動だにせず前を見る。
鋭利な影の刺突を堰き止めたのは、家屋ほどもある巨大な肋骨だった。
「何だそれは?」
肋骨越しに、影が問う。心臓に響く低い声。
「スケルトン・タイタニス」
「巨人の骸骨か」
アドは巨大な胸郭の中に籠城していた。
魔力の蒸気が晴れ、その全容が露わになる。
地面から生える胸骨を中心に、左右に肋骨が伸び、その上に鎖骨と頸骨。
そして、頭蓋骨。
発現させたのは上半身だけだが、その全高は王都のどの建物よりも高い。
「アンタ、強いね。タイタニスに傷が入った」
巨大な肋骨の表面がすこし欠けていた。
「妙だな、お前からは魔力を感じない。これほどの魔術、どこで学んだ」
「独学で」
「……面白い。興味を示すわけだ」
アドは無言で影を見つめ、言葉の意味を推し量る。
「魔王様がお前に興味がおありのようだ」
鋭利な影がアドから距離を取り、相対する。
「謁見を許された、ついてこい。魔王城は初めてか?」
アドは大きくため息をついた。
肋骨の隙間から外に出て、無防備な姿をさらけだす。走った頭痛を堪えるため額を押さえ、手のひらの下で目蓋をすっと開いた。
「お前、誰に言ってんの?」
アドが冷え冷えとした眼で顔を上げた瞬間、巨大な手が影の体躯をわしづかみにした。中手骨の隙間から、影の潰れる音がみちみちと聞こえる。
「お前が来いよ」
「ぐ……」
「そう伝えろ」
巨大スケルトンの拳から突き出ているのは、鋭利な影の頭部だ。
骨の手の圧搾で激痛に苛まれているのか、全身を硬直させて仰け反っている。
「人間風情が……! 分を弁えろ……!」
立場がわかってない。
「ウィンター、殺せ」
アドが冷たく命じる。
魔法陣から出現した豪華な棺が開き、ほっそりとした指が縁を掴んだ瞬間、
――アドの視界が影に染まった。
足底の感触が、固いものから柔らかいものへと変わる。
気がつけば、赤い絨毯の上に立っていた。
アドは鋭い視線であたりを見渡す。
石造りの広大な一室。
分厚い柱に、精巧な壁の彫刻。
同様にあたりを見渡す金髪金眼の吸血鬼と、膝をついて咳き込む鋭利な影の姿も見える。さらに赤い絨毯の先に目をやると、数段上の壇上で、椅子に鎮座する禍々しい影の姿があった。
「そう気軽に殺されては困る。スカーは私の大事な部下だ」
地を割るような、重く威厳のある声。
この四人以外には、他に誰もいなかった。
「アンタが、影の魔王か」
強制転移とは、手荒い歓迎だ。
「そうである。初めまして、人間」
魔王格の魔力。
それを肌身に感じるのはひさびさだった。
「ボクはアド。ネクロマンサーだ」
「ほう……」
吐息に呼応するように、霞がかった影がほのかに揺れる。
ダグラスの情報通り、影の魔王は全身が影だった。
頭部には二本の角が長く伸び、四本の腕のうちの二本は組まれ、もう二本は肘置きにどっかりと乗せられてある。
「アドという名の死霊術師には、嫌な思い出がある」
「へー。ボク以外にアドってネクロマンサーがいたんだ」
アドが軽口を叩いて、両肩を持ち上げた。
「口を慎め。王の御前である」
鋭利な影が鋭く叱責する。
名前は、スカーだったか。
「よい。許す」
影の魔王が重く低い声で制した。
「昔の話だ。人とは儚いものだな。どれほど強大な魔力を持っていていようと、寿命には勝てない。今では奴の魔力が懐かしいよ。遠くにいてもわかるくらいだった。父さんも気に入っていたのに、残念だ……」
「ボクはアンタを知らないけどね」
アドの記憶では、エトエラの子供に影なんていなかった。
「もしや再会できるかと喜んだが、人違いだったようだ。呼び出してしまってすまない。この美しい城を死に場所にするゆえ、許してほしい」
勝手に招待しておいて、勝手に死に場所にするとは、傲慢にもほどがある。
「ボクが死ぬ前に、一つ聞いていい?」
アドの無遠慮な物言いに、スカーが殺気を向けてくるが、気にとめない。
「よい。質問を許そう」
「これに見覚えない?」
アドは乱暴に袖をまくって、黒く染まった腕を露出した。
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