第30話 親愛なる亡骸たち
よくもまあこんなに集まったものだとアドは感心する。
「多い多い。虫かな?」
王都の魔族は暇なのか。
わらわらと蠢く集合体を端から端まで眺めたくて、腰をひねって身じろぎすると、脇の下と股の下に鎖が食い込んで痛みが走る。
「この者は、上級家畜であるアルティア・クロノスをファーム外へ連れ去ろうとした。これは影の国に対する反逆である。ゆえに三日三晩かけて、その身に罪の炎痕を負わせることとする。魔族の皆様、人が焼け死ぬ光景を、堪能されよ。そして存分に、人の感情を享受したまえ。我が影の繁栄のために」
鴉の頭蓋骨を被った人型の影が、両手を広げ仰々しく弁をふるう。
「火をつけよ!」
磔台を取り囲む四つの影が、手のひらに魔術の炎を灯した。磔台の根元にある薪に触れると、瞬く間に火の手が薪から薪へと跳び移っていく。
黒い煙がもくもくと昇って、アドは激しく咳き込んだ。
魔族たちの双眸が、アドの体に突き刺さる。
好奇の目。
そして、憎しみの目だ。
この世界の支配者となった魔族も、人と魔の争いの歴史を考えると、やはり人に対する憎しみは消えないか。
根は深い。
人と魔の共生など、本当に可能だったのだろうか。
「そして本日昼過ぎ、この者の共謀者であるリアラ・カイロスと――」
鴉の頭蓋骨の処刑人が、朗々と声をあげる。
「脱走を企てたアルティア・クロノスの死刑を執行する」
ちょっと姫様。アンタまで死ぬの?
「場所は人間牧場一番街、家畜共の面前で執り行う。この罪人の火刑と共に、影目玉で同時放映を行うゆえ、家畜共の絶望を享受し、己の糧とせよとの王命である。瘴気が大地を犯す様を、存分に愉しまれよ」
皮膚が焼け縮れる。
お母様はこんなに熱かったんだ。
「罪人の感情は……実に美味……!」
「けほっ……けほっ……」
これはヤバいな。
火よりも煙で死にそうだ。
「もっとだ! もっと苦しめ人間……!」
牢獄のリザードマン、死刑の内容が火炙りだと教えたのは誤算だったな、とアドは思う。
火刑の起源は魔女狩り。
その根本的な目的は、見せしめだった。
『この世の魔女は狩り尽くす。それが嫌なら、人と関わらず、森から出てくるな』
未知なる魔女を町から追い出すためのメッセージ。
だから火刑は、必ず大衆の面前で行われる。
場所はいつの時代も決まって、大広場だ。
そして火刑は、すぐには死なない。
「へい、らっしゃい。何でも売ってるぜ」
一際大きく、馬鹿の声が響く。
サマーにベタ惚れの、あのガーゴイルだ。
名はたしか、メニエル。
商魂たくましく、こんな状況なのに、いやこんな状況だからか、大広場で露店を開いて手を叩く。
荷車に設置された簡易テントの下で、綺麗に陳列しているのは装飾品の類だ。とは言っても、街の人からカツアゲした工芸品だろう。
同じ考えを持った露天商が多くいるのか、その他にも広場の端にぞろぞろと露店の姿が見える。中には列を作っている店もあり、客寄せとしては優秀だなとアドは自分を評価する。処刑を肴に酒を呑める精神は魔族の客ならではだろうが。
「へい、らっしゃい。こちら、何でも露店だ。マジで何でも売ってる。寄ってらっしゃい、見てらっしゃい――って、待ちやがれ、泥棒!!」
メニエルが血走った目で吠えた。
「クソ!! 誰かそいつを止めてくれ!! 俺様の商品を盗んで行きやがった!!」
メニエルが伸ばした手の先を、目にも止まらぬ速さで駆け抜ける者がいた。
ぱんぱんに膨らんだ布袋を咥えて。
「ネズミの死体、ちゃんと届いた?」
「……まったく。猫使いの荒い小僧だ。ご所望は雨か?」
隻眼の黒猫が、磔台に爪を立てて駆け昇る。
咥えた袋から、薄紫色の鉱石が零れ落ちる。
「完璧だ、ジル。完璧すぎる」
ジルはアドの顔を通り過ぎ、さらに天上まで駆け昇った。
「雨は雨でも、魔晄結晶の雨だがな」
次の瞬間。
上空に放り投げられた布袋がほどけて、大量の紫の雨が大広場へ降り注ぐ。
暴力的なほどの、紫の乱反射。
ジルを追いかけていた影の兵が、呆然と立ち尽くし空を見上げる。目線の先にある魔晄結晶の一つ一つが、ほぼ同時に四方へ砕け散った。
「さあ、覚醒めろ」
むわん、と。
寒気の走る魔力が波動となって疾駆する。
火刑の炎が一瞬で霧散し、あまりの魔圧に、魔族は誰も動けない。
「――親愛なる亡骸たち」
広場中の地面から、骨の腕がぼこぼこと突き出た。
石畳の亀裂から次々と這い出てくるのは、夥しいほどの骸骨の群れ。
その身に禍々しい魔力を宿し、曲刀と丸い盾を手にしている。
眼窩の深淵に青い残光が覗く彼らは、リューンガルドの誉れ高き兵士。
スケルトン・ソルジャーだ。
「蹂躙しろ」
『ロォォォォオオォォオオオオオオオオオ!!』
王都が、震えた。
踵骨を踏み鳴らす音が、広場一帯を埋め尽くす。
魔族の見物客が一斉に逃げ惑うが、逃げ場がどこにもない。後ろに振り返って駆け出そうとするが、そこには骸骨の群れが立ち塞がっている。
「骨ナドニ負ケルハズガナイ」
言ったそばから、影の兵の首から上が、兜ごと刎ね飛ばされた。
陽光で銀色に照り返す兜が、放物線を描いて落下し、石畳の上を虚しく転がる。
「たかが骨ごときが!」
こんな屈辱は初めてだ、と言わんばかりに、一体の悪魔が転がる兜を蹴飛ばした。迫りくるスケルトンの胸郭にぶち当てて、よろめいて尻もちをついたところを、体毛の生えた悪魔の足でスケルトンの腰椎を踏み砕く。
にやり、と凄惨な笑みを浮かべる悪魔。
「ぐふっ……」
だが、致命傷を受けたのは悪魔のほうだった。
下半身と分離したスケルトンの上半身が、悪魔の腹に曲刀を突き刺し、足元でカカカカと嗤う。それと同時に、悪魔がどさりと崩れ落ちていく。
影も魔族も、不死の軍勢を舐めすぎだ。
お前が相手にしているのは、アンデッドだぞ。
脊椎を踏み砕いたくらいで倒したと思うなよ。
魔術ギルドが躍起になってネクロマンサーを根絶やしにしようとしたのは、ネクロマンサーたった一人で国など滅ぼせるからだ。アンデッドは倒しても倒しても起き上がる。アンデッド一体で、戦士十人の戦闘力を有すると思っていい。
千のスケルトンを倒したいなら、その十倍、万の兵士を用意しろとアドは睨む。
「影の精鋭部隊が、到着しました」
「ええい!! この骸骨どもを皆殺しにしろ!!」
鴉の頭蓋骨を被った処刑人が、苛立ちを隠さず影どもに指示を出す。
「倒しても倒しても起き上がります!! 歯が立ちません!!」
「数が……! 多すぎる……!!」
「あの人間、何者だ。一瞬でこれほどのスケルトンを」
そう言って処刑人が磔台を見上げた。
「なっ! あの人間!!」
「カカカカ」
バレてしまった。
磔台をよじ登った何体かのスケルトンが、アドの四肢に巻きつく鎖を引っ張っている。だが、肉に食い込む痛みが走るだけでびくともしない。
「まずい。逃がすな!」
処刑人が指を差し、叫ぶ。
やがてスケルトンの一体が諦め、アドの眼前に一匹の黒猫を差し出した。
「まったく、世話が焼ける」
首根っこを掴まれたジルの目前に、赤黒い魔法陣が生成された。
「〈竜の爪〉――!」
風をまとった黒い尻尾が振り抜かれ、アドを縛りつけていた太い鎖が切断される。
「ありがとう」
アドの全身を浮遊感が包む。
足の先にある地面が徐々に接近し、獣の頭蓋骨のざらざらした表面までよく見える。
「退いてよ。危ないじゃん」
「ちょ、まっ!」
慌てふためく処刑人に着地するアド。
蛙の潰れたような音が聞こえた。
アドはおっかなびっくり見下ろして、下で横たわる影を足でつついた。動かない。もう一度足でつつく。柔らかな感触が靴を通して伝わってくる。
なるほど、油断を誘えば影も実体化したままらしい。
それもそうか、と思い直す。
頭蓋骨を被っているのは、実体がある証拠だ。物理的に存在しなければ、頭蓋骨は影をすり抜けて落下してしまう。影の兵もしかりだ。全身が鎧で包むことができるのは、実体があるから。
なにも、倒せないわけではない。
「……あやつが、シャドウ・ジェネラルか」
ジルの視線の先を追う。
通常個体の二倍はあろうかという影の兵が、背丈ほどもある大剣を振り回す。
横薙ぎ一閃。
それだけで、半円上の骸骨が吹き飛ばされた。
遠く離れているのに、アドのもとまで疾風が届く。
「確かに強いが……」
仲間の屍を踏み越え殺到するスケルトンを目の当たりにし、ジルが若干頬を引き攣らせた。
「あの巨体ですら、棒切れのように扱うか」
シャドウ・ジェネラルが地に倒れ、轟音と衝撃を響かせた。
銀色の全身鎧の関節部に、無数の曲刀が突き刺さり、関節の動きが殺されたのだ。そうなってしまえば最後、下肢の連動が絶たれ、姿勢の制御が困難となり、重力に誘われるがまま地に伏すしかない。
同時に、粉砕されたスケルトンどもが骨癒合を果たし、何事もなく両の脚で立ち上がる。倒れたシャドウ・ジェネラルに群がるスケルトンに混じり、関節部に曲刀をぶっ刺しては引き抜く、ぶっ刺しては引き抜くを繰り返す。
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