第32話 神の呪い



「……もっと近くに」


 影で表情はうかがえないが、目を細めたような気がした。 

 アドはさらに腕をまくりながら、よく見えるように玉座に近づく。


「これはアンタの影と関係あるの?」


 影のことは影に聞くのが一番早いと思ったのだ。


「もしかしたら人間、お前は、父さんの求める存在かもしれない」

「どういうこと?」


 意外な言葉が返ってきて、アドがぴたりと足を止める。

 影の魔王を見つめる目に力がこもる。


「これは影ではない。呪いだ」

「呪い?」


 影の病が発症したのは、十二の冬だ。

 盗賊の雑用から命からがら逃げてきました、というふりをして貧しい村に忍び込んだとき、アドの腹に殴られたような痣があることを農家のおじさんが発見した。それが影の病の始まりであり、アドが気づいた瞬間でもあった。

 そのときはまだ、誰にも恨まれるようなことはしていない。


「くはは。人間、神に嫌われておるぞ。何をした?」

「身に覚えがないんだけど」


 アドはますますわからなくなる。

 神になど出会ったこともないし、救ってもらったこともない。それなのに、一方的に呪いを押しつけてくるなんて、胃がムカつくほど腹立たしい。


「私の父は時を操れる。それで時の神の怒りを買おうとしたが、相手にすらされなかった。であるのに貴様は、何らかの神から呪いを受けている。そういえば似たような者がいたな……闇に喰らわれ死に行く……錬金術の……」


 一体ボクが何をしたっていうんだ。

 人だけでなく、神までボクを除け者にするのか。


「そうか……そういうことか……!」


 影の魔王が一人で納得し始め、アドが置いてきぼりになる。


「器の問題か……!」


 器?


「父さんはすべてを超越しているから神から呪いを受けなかった。しかし人間は、人間の分際で禁忌を犯した。だから神の怒りを買った。であれば、父さんのしていたことは無駄だったのか……!」


 人間の分際で禁忌を犯した。

 もしそれが死霊術のことを言っているのであれば、見逃してほしかった。

 それだけがアドの生きる意味だった。


「父さんは神を引き摺り下ろそうとするべきではなかったのだ。そうではなくて、父さんは神と同じ超越者だから、自ら神の世界へ乗り込むべきだったのだ。そうすれば父さんは、思うがまま生を愉しむことができた……!」

「父さん父さんってうるさいな」


 いい加減、アドは顔をしかめた。


「アド、感謝する」


 でも、影の魔王に「呪い」だと言われて、妙に納得している自分がいるのも事実だった。死んだ人間を生き返らせようとしているのだ。それは神の定めた自然の摂理を捻じ曲げているのと同じことだ。そんな人間を消そうとするのもまた、自然なことだった。

 同時に、この呪いは死者蘇生に近づいている証明にも感じた。


「貴様は死なせるに惜しい。私の配下となれ、アド。共に父さんを殺そう」


 聞きたいことは聞けた。


「ウィンター、殺れ」

「……!?」


 ウィンターの足の裏が、影の魔王の顔面を貫いた。

 ぼふっと頭部の影が霧散して、再度、何事もなかったように集合する。


「アド、こいつも実体がないタイプみたい」

「……ほう。まともに食らってしまった」


 ウィンターの蹴りは、本来であれば生物の頭蓋など、果実のように爆発させる威力があるはずだ。


「だが無駄だ、アド。私には効かない」


 油断を誘ったつもりだが、それでも実体を消してきた。

 さすがに処刑場の影とは格が違うか。


「私を蹴ったのはその脚か」

「なにこれ」


 ウィンターの右脚にもくもくと影が膨らんでいく。

 慌ててウィンターが後ずさり、影を払おうと手足を振るうが、まとわりついた影は一向に離れない。

 クールな彼女の表情が、焦りで染まっていく。


「うっ……!」


 次の瞬間、膨らんでいた影が一気に収縮し――

 ごきごきと。

 玉座の間に、脚の粉砕される音が響き渡った。

 あまりの音に、アドは身がすくんだ。

 影からウィンターの血肉がぶしゃあと溢れ、生理的嫌悪感がアドの肌を這い上がる。雑巾から水を絞り出すように、ウィンターの脚が圧搾された。

 だが、ウィンターは倒れない。

 見るも無残なぐちゃぐちゃの脚を地につけて、平然と立っている。一見痛々しく見えるけれど、彼女の体に痛覚はなかった。


「片脚が潰れた。アド、なおして」

「わかった」


 アドはひそかに、囚人服の重みを意識する。

 この重みは、たっぷり仕込んだ魔晄結晶の重みだ。


「〈棘影シャーレ〉」

「ぐっ……!」


 懐に腕を差し込んだとき、体中に鋭い痛みが走り、息ができなくなった。

 思わず膝をつく。

 目を向けると、何かがアドの体を無数に貫いていた。

 震える手で、自分に刺さるそれを掴む。

 影の棘だった。

 地面から生える棘を伝って、赤い血が血溜まりを作っていく。


「魔晄結晶が……」


 すべて砕け散っていた。

 粉々の破片を見下ろして、抜け目がない、とアドは奥歯を噛んだ。


「何か隠していると思ったら、なるほど、この石が魔術の源か。人間とは器用な生き物であるな、アド。こんなものも、魔力に変える知恵がある」

「……目聡い魔王だ」


 身をよじってみるが、この痛みならまだ動ける。

 致命傷は避けられたようだ。


「器用であると同時に、こんなものに頼らねばならぬほど、弱い」


 影の魔王が憐れむように言った。 


「もう魔術は使えない。詰んだぞ、アド。どうする?」


 どうするも何も、もう打つ手がない。

 魔晄結晶がなければ、アドはただの病弱なガキだ。


「配下に加わる気になったか?」


 声色は、優しい。


「魔王様、私は反対です」

「うん?」


 スカーの唐突な進言に、影の魔王がぴたりと止まる。


「人間を迎えるなど……ぐああっ!!」


 地面から生えた影色の棘に貫かれ、スカーの口から雄叫びが迸った。


「私に口答えするか、スカー」

「いえ……!」


 膝をついたスカーが、肩を上下させ、呼吸を荒くする。


「力の前に魔も人もない。この世は平等なのだ。どうしてそれがわからない、スカーよ。早くお前もこの境地に立て。この視点に立つのだ」


 アドに対してと同様に、スカーに対しても優しく言った。


「アド、私はお前が欲しい。来てくれるな?」

「いいよ」

「え?」


 ウィンターの『目を丸くする』という表情を初めて見たかもしれない。


「なろうか、仲間に」


 影の魔王に向き直り、アドが言ってのける。


「アド、何のつもり?」


 非難を含んだ冷たい声だった。


「エトエラを殺すって目的は一緒だ。何か問題ある?」


 魔晄結晶を失ってしまった今、アドが生き延びて死者蘇生を果たすには、これしか方法がないように思えた。


「あの子は? リアラは?」


 怖い、怖い。

 リアラのこと、そんなに気に入ってたんだ。


「今から条件を出すから待ってろよ、ウィンター」

「条件?」

「せっかちな女は嫌われるよ」


 リアラも罪な女だ。

 冷血の吸血鬼に気に入られるなんて。


「影の魔王」


 ずきずきと体が痛む。


「ボクを配下にするには、条件が二つある」

「聞こう」


 そう言って影の魔王は、影の棘を引っ込めた。

 アドの体が自由になる。


「一つ、アルティアとリアラの処刑はなしだ。ボクには二人が必要だ」


 無茶なことを言っているのは自分でもわかっている。


「二つ、ボクを700年くらい放置してくれ」


 ウィンターが「ついに狂ったか?」という目で見てくる。


「人の寿命は100年と聞くが?」


 影の魔王の当然の質問に、「寿命はね」とアドが返す。


「寿命を伸ばすんじゃなくて、ボクの時間を止めるんだ。クロノスの力で」

「止めてどうする、700年も」

「預言者マーリンって知ってる?」

「知らぬ」

「未来が視えるんだよ、マーリンは。700年後の未来に、この腕を治す方法があるって言ってた。マーリンが言うなら、本当に治す方法がある」


 マーリンの預言は必ず成就する。


「それで、処刑をやめろ、700年待てか」

「この腕が治ったら、配下にでも奴隷にでも何にでもなってあげるよ」

「その不遜、気に入った」


 どことなく、魔王に笑ったような気配があった。


「影の魔王。一緒にお父上をぶっ殺そう」


 血に濡れたアドの瞳が、封印が解かれるように、煌々と見開かれた。

 その瞳を、影の魔王が真っ向から受け止める。

 そして、立てられる指が一本。


「しかしだ、700年は長い。そこまでは待てない」

「なんだ。アンタもせっかち?」


 取り合わず二本。


「二つ、処刑は取りやめない。二人には死んでもらう」

「ふーん。そんなに目障りだったの」

「くく、そんな詰まらない理由で殺しはせんよ」

「……へー。暴動を起こしたいんだ?」


 国民の目の前でアルティアを殺したら暴動が起こるのは必須。


「……ほう、そこまで視えているか」

「アンタらのやり口はわかってる」


 影の魔王が感心したように顎をなでている。


「そうだ。すべては私が力を得るため。処刑が終われば、ほどなくして私は、他の魔王を殺していくだろう。それすればきっと、父さんが喜んでくれる。偉いぞ二番、そう言って褒めてくれる。ああ、目に浮かぶようだ……!」


 あっそ。


「じゃあ決裂だ。殺し合おう」

「残念だ」


 最初から話し合いで解決できるとは思っていなかった。

 話し合いで解決できるなら、メリュディナが死ぬことはなかった。


「この私がうずうずしてきた」


 居ても立っても居られなくなったのか、影の魔王が玉座から立ち上がった。


「スカー、始末を頼む。私は牧場へ行く。早く処刑せねばな」

「仰せのままに」

「尊厳のある死を。せめてもの情けだ」


 ちらり、とアドに視線を寄越したあと、自身の前に出現した影の渦へ、魔王が体ごと入っていく。

 影の魔王の転移魔術だと、アドはすぐに察した。

 空間が捻じれ、歪み、靄がかった影の渦に、外界との魔力の繋がりを感じる。あの渦を閉じられたら、魔王にはもう届かない。すでに魔王の半身は、影の渦と絡み合い、融合していた。


 アドの視界の端を、絶世の吸血鬼が過ぎ去った。


「行かせない」

「お前の相手は私だ」


 ぐちゃぐちゃの足を踏みしめて、ウィンターが魔王との距離を詰めるが、それよりも速くスカーが阻んできた。剣のような鋭利な腕をクロスし、ウィンターの蹴り上げた足を受け止める。


「くっ……邪魔」


 苦々しく呻くウィンターの軸足が、鋭利な足槍で刎ね飛ばされた。


「うっ……!」


 ブーツのはまった女性の脚が、空中でくるくると回転し、ぽとりと玉座の下に落下する。


「これで……! 両脚……!!」


 低く構えるスカーが、気迫のこもった息を吐く。

 とうとうウィンターは立てなくなり、血溜まりの中に崩れ落ちる。

 びちゃんと音が鳴り、床に血が飛び散った。


「再生……できない……」


 ウィンターがすがる目でアドを見る。

 アドは腕を箒のようにして、床に散らばる魔晄結晶の破片を、少しでも多く抱き寄せていた。それでもほとんどの破片は、魔素を蒸発してしまって、魔力へ変換することができなかった。もはや、為す術がない。


「お前も両脚、潰してやろうか、人間……!!」

「かはっ……!」


 アドは横腹を蹴り飛ばされ、玉座の壁に背中を打ちつけた。

 息が詰まり、頬から落ちる。

 床から見上げる玉座の間には、二本の槍の脚で立つ鋭利な影の魔物と、左脚を斬り飛ばされ右脚を圧搾されたウィンターの姿がある。


「さあ覚醒の時だ、影の国。父さん見てて、この世界を終わらせるよ」


 魔王が腕を広げて言い放つと、影の渦に呑まれて姿を消した。

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